彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

井伊家千年記(?)

2010年01月01日 | 井伊家千年紀
一つ前の記事でも書きました通り、2010年1月1日は井伊家誕生1000年の記念の日でした。
管理人はこれを勝手に『井伊家千年記』と呼び、なにがしかのイベントが出来ないものか?と考えましたが、実る事は無く当日を迎えました。

しかし、井伊神社では毎月1日の朝に神職の方がお越しになられてお参りをされる事が、以前に彦根の広報に載っていましたので、井伊神社に参拝して1000年の思いを込める事としたのです。


今朝の彦根は雪が降り、井伊神社も雪景色に覆われていました。

井伊神社は、井伊家始祖・井伊共保の750回忌に彦根藩十二代藩主の井伊直亮(直弼の兄)が建立した物で、祭神は井伊共保・井伊直政・井伊直孝の三柱として、その他歴代の井伊家当主を祀っています。
日光東照宮の建築を踏襲した為に“彦根日光”とも呼ばれているのです。


午前9時ごろ、井伊家当主を含め10名ほど集まった境内で元旦の神事が始まりました。

元旦の神事で、特に井伊家1000年と関わる事を行った訳ではありませんが、貴重な区切りの日にそこに関わる場所での行事に立ち会わせていただいた事に感謝しています。

帰りにお神酒をいただきました(家で撮影の為背景が似つかわしくないのをお許しください)



井伊神社は、建立当時から改修・改築を行った跡は見られません。
ですので、古く朽ち果てた印象をも受けますので、貴重な文化財保護の為に改修を早急に考えていただきたいと思う限りです。



【追記】
井伊家千年記と書きましたが、
“千年記”にするのか?
“千年紀”にするのか?
という大きな疑問が残ります。

根本的に“記”は記録や記述などある一点の時間軸に使われ、“紀”は年代として期間を有する時間軸に使われるので、今回のようにある一日にしぼって書いている時は“千年記”と表し、これをきっかけに井伊家の今までの1000年の歴史を流れとして書き進めて行く時は“千年紀”を使います。


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2 コメント

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謹賀新年 (喜の屋)
2010-01-02 22:11:19
明けましておめでとうございます。

いつも楽しく読ませていただいております。今年は“千年紀”とのこと。これをきっかけに、こちらも多少行動しようと考えております。

具体的には決まっておりませんが、井伊谷や貫名山妙日寺などへ訪問したいと思っております。何かお知らせできるような話題が見つかりましたらご報告させていただきます。

今年もよろしくお願い致します。

Unknown (管理人)
2010-01-03 19:20:55
>喜の屋さん

新年おめでとうございます。
井伊家千年の記念年が静かに始まりました。
井伊谷では今年中に企画があるとも聞いています。

今年は井伊家千年と同時に桜田門外の変150年でもあるので、井伊家にとって重要な年かもしれませんね。

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