人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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本当の人間

2011-06-04 12:58:11 | スピリチュアル
        序
              五井 昌久

 本当の人間と名づけたこの巻では、真実の
人間とはどんなものか、その相(すがた)を
明らかにすることによって、人間が安心立命
している事実をお伝えしようとするもの
である。
        平成2年1月28日


人間とは何か──
誠実に生きてくればくるほど
みんなこの質問の前に一度や二度は
立ちつくします
自分の心のなかに
いくつもの自分の想いがあって
どれが自分なのだか
わけがわからなくなってしまう
そのうち
人間というものも
何なのかわからなくなる
自分というものを
問いつめてゆくこと
それが
とりもなおさず
人間について
考えてゆくこと
なのであります
しかし
迷ったり
悩んだり
かなしんだりする
そのなかを
グルグル廻っている
それが人間だという理解で
人間をとらえていきますと
かならず
行きづまってしまうのであります
こんなものじゃない筈だ
と思ったりする
感情の世界
自分が了解している範囲内で
人間をとらえていくということは
ある限定のなかで
自分自身をとらえる
ということになるのであります
そうではなく
人間というものは
無限定の世界から
みつめたときに
はじめてその本質が
あらわれてくるものなのであります
自由自在身
本心と本心が呼び合い
光と光が結び合う
かたちが必要なときには
かたちとなり
おもいを流すことが必要なときには
おもいを流してゆく
そういう自在さを
人間は本来
持っているものなのであります
人間は神の分生命(わけいのち)であり
分霊(わけみたま)である
ということはしばしば
申し上げているところでありますが
それは
無限定の神の大愛から
わかれてきた存在である
ということなのであります
あるがままにあることが
すなわち
光となり
愛となる存在
それが
神の愛
智慧であります
真理であり
真善美の世界であります
何をおもうということもなく
成すということもなく
そのままにあることが
いのちすこやかに生きる
ということになるのであります
朗らかに天のこころに従って
生きること
これが無為であります
自分自身を解放すればするだけ
人間は自らのいのちの流れに
すなおに
生きることになるのであります
自分自身を
本当にしってゆくには
どうすればよいか
何をすれば
真実の人間のすがたを
みることが
できるようになるか
と申しますと
それは祈りであります
人間は
祈って参りますときに
真実の自己に出合うのであります
悩みなら悩みをかかえたままで
苦しみなら苦しみをかかえたままで
いいから
真実祈りに入ってゆきますと
朗らかな自分自身
すなわち
本心が
ひらいてゆくのであります
人間は
神の愛が
光となり霊となって
その肉体に息吹きとして
吹き込まれたものであります
肉体は
この地球世界を
浄化してゆくために
仮に身にまとった
衣にすぎないもので
祈りに入ってゆきますと
自分を生かして下さっている
光のいのち
霊なるいのち
愛なるいのちである
神へと
かえってゆくことになるのであります
世界平和の祈りを唱えますと
私どもはかならず
この
私どものたましいを
やすませいこわせる
私どもの家、ふるさとに帰ってゆくので
ありますから
本当にこころがやすらぎ
しみじみとよろこびが
湧き上がってくるのであります
それはまったく
自然(じねん)なことでありまして
人間というものは
よろこぶようにつくられており
祈りによって光がつよまり
深くなり私ども自身の
ありどころが
神であることを
しらされるように
なっているのであります
だから
祈るということは
つねに
自分の家を
おもい出し
確認するということに
他ならないのであります
そして
自分自身の本体の朗らかさを
しらされてゆくことに
他ならないのであります
人間として生きるということは
本来
神から分けられたよろこびのいのちを
うたい上げてゆく
ということでありまして
我々の奥にある自在身は
いつも
直霊の自分自身と結びついて
光のながれのなかに
身を任せているのであります
かなしみの裡にも光はあるのであります
我々の心が
どんな歎きに直面して
もだえておりましても
しずかに
光というものは
我々を守り導いているものなのであります
光は絶えざる神の愛であり
愛はすべてをつつみすべてを溶かして
ゆくものでありますから
ただ一つ残ったものは神の愛
というこの事実にむかって
我々は歩いてゆくのであります
肉体をまとい、この世に生きることで
味わう苦しみはすべて
我々の人生を深くするものではあっても
それらは、この現し世にとどまる
ものではなく、人間というものが本来
宇宙大にもひろがって本心の光
神の光とともにあり
その光のみが愛のみが
実は私たちいのちを養い私たちの裡に
とどまっているのだ
ということに気づかされるとき
人間というものは
本当に自由になってゆくのであります
そして人間のすがたというものも
みえてくるのであります
どんなにかなしんでいても
光が裡にある
ということは
人間というもののいのちの根が
明るく朗らかな
本心によって
つくられている
ということなのであります
この宇宙に
神の愛の気が流れている
それとおなじように
我々人間もまた
小宇宙として
世界平和の祈りのなかで
絶えず
光を放ってゆく存在者
なのであります