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清田製作所・清田茂男社長 世界一位の町工場、世界最小の道具を最高の技術で

2013年01月29日 23時30分01秒 | ニュースの感想

清田製作所・清田茂男社長 世界一位の町工場、世界最小の道具を最高の技術で

★清田製作所・清田茂男社長(85)

2013.01.29

http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20130129/ecn1301290710000-n1.htm

 

連載:トップ直撃


清田製作所・清田茂男社長(撮影・野村成次)【拡大】

 「小さな巨人」の異名をとる半導体プローブ(検査針)のトップメーカー、清田製作所。

半導体プローブとは、半導体に電流が正常に流れるかどうかを調べる道具で、1000分の1の精度が求められる。

これまでその域に達することができたのは、清田茂男社長を含めて世界で2人。

発明大賞など数々の賞に輝く業界の有名人でもある。

 



 ──半導体のプローブ(コンタクトプローブ)のトップメーカーと聞きました。どのようなものですか

 

「プローブは針で探るという意味で、半導体を検査する針のことです。

半導体と電子部品に電流が正常に流れているかどうかを調べる道具ですね。

直径0・16ミリという髪の毛ほどの細さのパイプの中に、さらに細い芯(しん)棒、コイルバネ、

そして金属製のボールが仕込まれている。世界最小の道具と呼ぶ人もいます。

1000分の1の精度が求められ、その精度を実現したのは英国人技術者と私だけです」

 



 ──清田さんは、もともとプレス機を使っていろいろな型をつくる技術職人です。

それがなぜ高度なハイテク技術に取り組んだのか



 「戦後、勤めていたハーモニカ工場が斜陽化し、独立してダイヤモンド・レコード針などを作っていた。

あるときコンタクトプローブの試作を依頼され、電子分野に進出するチャンスと見て取り組んだわけです。

開発成功まで6年を要しました」

 



 ──失礼ですが、プレス職人が、ハイテク技術に取り組み成功させた。スゴいですね



 「これもサトウハチローさんに教わった『見たり聞いたり試したり』のおかげです。

分からないことは人に聞く。そして自分で試してみる。それの繰り返しです。やっているうちに分かってくる」

 



 ──松下幸之助さんを救った、“大阪事件”というのがあるそうですね



 「60年代後半でした。商社を通じて松下電器(現パナソニック)から

レコードプレーヤーのレコード針、アームの先端のカンチレバー部品を作ってほしいとの注文が入った。

超特急で試作品をとの要望でしたので、当社がレコード針を含めた先端カンチレバー部品、

もう1社がそのレコード針を組み込むプラスチック部品を製作し、サンプル品を納めたわけです」

 



 ──なるほど



 「ところが数日後、レコード針をレコード盤に載せると針が吹っ飛んでしまうとクレームがきた。

しかもこの製品は、幸之助会長がマスコミに×月×日までに発表すると約束した高性能ステレオに関連するもので、

時間が残り1カ月弱しかない。何とか問題を解決してほしい、と」



 「問題はわれわれではなく(発注された)設計図にあったのですが、とにかく時間がない。

それから丸3日一睡もせずに修正品を作った。

結局、新たなステレオは期限に間に合い、専門家を招いての発表会で高く評価された」

 



 ──頑張りましたね

 「しばらくして松下電器から幸之助会長の『要望だ』として『ぜひ予定を組んで本社の方へおいでいただけませんか。

できたら別荘に案内したい』との連絡を受けた。

この申し出は丁重に辞退させてもらいましたが、後でこんな連絡をいただきました。

『今後5年間、このレコード針部品について、当社は単価の引き下げ要求は行いません』と。

前に向かって進むことの大事さを学びました」 (宮本惇夫)

 



 【祖母の教え】

 祖父母は石川県出身で開拓者として北海道へ。

ニシン漁などの漁師相手の雑貨商を営んでいたがニシン不漁で家が没落した。

「気丈な祖母から『家が貧しくても人に迷惑をかけてはいけない。

獅子は子を崖から落とし、はい上がった子を育てる。

お前も崖をよじ登り、世の中のために尽くすんだよ』と」。その教えを支えに生きている。



 【健康法】

 暴飲暴食をしない。「晩酌も毎日ワインを1杯。兄弟は一升瓶ですが」



 【趣味】

 詩吟に書。工場内には自ら書いた佐藤一斎の言葉

『若くして学べば壮にして為す 壮にして学べば老いて衰ず 老いて学べば死して朽ちず』が掲げてある。



 【見たり聞いたり試したり】

 詩人サトウハチローから教わったこの言葉を行動の指針にしている。

北海道でホッケ漁に携わっていたとき、ラジオ番組「ユーモアクラブ」の会報に投稿。

その時、サトウハチローからもらった返事のなかにあったという。



 【一生懸命】

 「小学4年生のとき、先生から将来の夢や目標を述べることを求められた。

同級生は陸軍大将、看護婦などと答えていたが、自分は『一生懸命頑張ります』と。

自分はそれが人生の生きがいだと思っています」 



 【ゴルフ】

 毎年夏は娘を連れて家族3人で軽井沢へ避暑。

「ホテルのショートコースでゴルフをするのが楽しみで、そのため王子(東京)のゴルフスクールへ通って練習したものです」



 【働き者の手】

 「遠縁に初代の若乃花関家があり、一度叔父の手紙を持って部屋を訪ねたことがある。

お母上が出てきてあいさつ。浴衣をいただき帰ろうとすると、呼び止められ、

『あんたの手は普通の人の手ではない。うちの横綱よりしっかりしている』とほめられた。

戦時中、漁業で鍛えた手が“働き者の手”になっていた」と振り返る。


 北海道に戻り、戦後、再び上京してハーモニカ工場に勤務。

「ひもで包んだ60~70キロの巻き板(布を巻く板)を平気でポンポンと運んでいたら

『お前、バカ力もいい加減にしろ』と、よく言われました」



 【痛い思い出】

 十数年前、ふくらはぎがつる病気で苦しんだ。痛さで失神し、東大病院へ担ぎ込まれ1週間ほど入院。

そのとき、空き部屋がなくVIP専用の病室へ。

後で医師や看護師に「私たちもこの病室に入るのは初めてです」と感謝されたという。



 【会社メモ】

1963年創業。本社・東京都北区。プレス加工によるカメラ・電機通信部品等の製造業でスタートし、

82年、電子部門に進出、電子デバイス検査用コンタクトプローブの研究を始めた。

86年、国産初シリコンウエハー用4探針プローブの開発に成功し、発展の基盤をつくる。

資本金600万円、売上高約1億4000万円(2012年5月期)。従業員16人と社の規模は小さいものの、

技術力の高さから「世界一の町工場」と呼ばれる。


 ■きよた・しげお 1927年12月生まれの85歳。

北海道積丹町(しゃこたんちょう)出身。町立入舸(いりか)小学校卒。38年、

上京して荒川区のプレス工場に勤務。戦争で北海道に戻り漁師に。戦後の47年、再び上京し、

ハーモニカ工場に入り、精密加工技術を習得。63年、36歳で独立し、67年に有限会社清田製作所を設立。

事業をダイヤモンド・レコード針から電子部門へとシフトし、今日の発展につなげた。

科学技術庁「科学技術振興功績賞」(95年)、日本発明振興協会「発明大賞」(2005年)を受賞。

著書に『愚直に勝る天才なし!』(講談社)。

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