ブログ katsukazan/活火山★時々の四方山話

謝罪の文化-日本流は「まず謝る」


不祥事や失言、暴言、スキャンダルで超名人が謝罪する日本の文化?



この背景にあるのは「まず謝る」は、なれ合い文化の日本流と今日の産経紙ニュース(関西)にあった。


 


切り出しは、元兵庫県議の野々村竜太郎氏の一件からはじまり、自殺、丸刈り、土下座などの日本的な誤り方の背景にあるものは、「本質を置き去りにした異質なパフォーマンス」とパロディー作家のマッド・ アマノしが切り込む。


 


名前は承知しておりましたが、アマノ氏の著書に、さまざまな謝罪を論評した「謝罪の品格」(平凡社新書)があると紹介されています。


 


言われてみれば、そうかなとも思ってしまいます。


 


大事件で謝罪し、「人の噂も△△日」とやらで、知らないうちに、あの人はと思うと、元のさやに収まっていたなんていうことは珍しくもない。


 


週刊誌で秘書給与の公費流用で叩かれ、議員辞職をした大阪10区の議員さん、辞職直後の国政選挙の当選で「禊」は終わりシャンシャン。 確かに慣れ合い文化の日本流は妥当な見解かもしれない。


 


なれば映画やTVで作品になる、今様の言葉を借りて言うなら、反社会的組織は大変です。 なれ合いはあるにしても、自分の指を切り落として、切り落とした指を差し出して謝まる。この世界では「指を詰める」というらしい。これはかなりの激痛が伴うし、生涯詰めた指はない。


 


直近では朝日新聞が32年前の誤報記事を、記事が報じられた時期から、その誤報を指摘されたにも関わらず、 誤報の上書きを世界に発信し、日本国を貶めた。32年間、真剣に全社をあげて学習でもしたのか、ようやく誤報報道を認めた報道があり、その後彼等にとって、最も都合の良い日時に謝罪記者会見をしたが、実際は自らを正当化し、問題の本質をすり替え、誤ったようなパフォーマンスで終始した。


 


国家が、積算不可能な位の損失と不名誉を国際社会から受けたにも関わらず、 国政レベルでは、一議員の団扇談議を予算委員会で取り上げるものの、この重大な問題の総括をする気配は一向にない。


 


こうした慣れ合い体質が、日韓条約や、その後の慰安婦問題に繋がったのは明らかです。国際社会は日本社会の風土が異なる以上、「yes」「no」を明確にするのが常識です。きっちりと始末をつけなかったことが原因で、中国や北朝鮮、韓国はそこをついてくる。


 


尖閣問題もしかり、日中友好条約やその後の小平主席が来日した時に、明確な解決をせず、玉虫色にした事が現在の拡大した問題に肥大化したことは紛れもありません。 所轄官庁である外務省の責任は重大なことこの上無いことですが、外務省が謝ったのを一度として見てないことが不思議に思えてきます。


http://www.sankei.com/west/news/141109/wst1411090004-n1.html


 


 


 


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