私は、見えない世界は、全く信じていない人でした。 当然、見えるものしか知覚がないし、霊感も全くありませんでした。
そんな私が、【 真氣光 】との出会いにより、人生 180% 変わってしまいました。 それは、母が 鬱になり、毎日 睡眠薬 と 精神安定剤 を2年間 飲み続け、副作用もひどく、毎日が 地獄のような日々でした。 健康な私も、外出が出来ない状態で、母と向き合い、私もおかしくなる寸前でした。 あんなに明るい、朗らかな母だったのに、ハンカチ 1枚 洗えなくなり、ただ 下を向き、部屋を暗くしてじっと座っているだけでした。 今思うと、きっと苦しく、辛い日々だったんだろう。
もう、西洋医学も信じられなくなり途方に暮れていました。そんなある日、母が 「 もうダメかも知れない 」と、布団の上に正座して、手を合わせ、「 後は頼みますね・・・ 」 と 言うのです! もう、私は ビックリして、ドギマギしてどうしてよいか解らず、でも、何とかしなければと、自分を落ち着かせた。 そして、なぜか 「 大丈夫だから、とにかく横になってお腹を出して! 」 と、言ったのです。子供が、お腹が痛いときに、親が 痛いの痛いの飛んでけー! と言ってお腹をさする事を、なぜか思い出し、母のお腹をゆっくり、落ち着き払ったふりをして、摩りました。
そしたら、なんと状態が治まり、窮地を乗り越える事が出来ました。 これはなんだろう? 【 気 】 かな? ちょうど、その頃、東京にいた兄が、西野流呼吸法に通っていて、気で人が飛ばされる事を聞いていたので、そう思ったのだろう。そんな時、1 枚 の チラシ が入った。 それが 【 真氣光 】 のチラシで、あなたも気功師になれると言う内容だった。 そして、チラシの中には、体験会の案内があり、私は これだ! と思い、体験会に出かけました。 体験会場では、テレビの中で、中川先生が手を広げ、手のひらを ヒラヒラさせて氣を送っていた。
えー! テレビの中? とにかく座って氣を受けて下さいと言う。 おそるおそる椅子に座り、目を閉じ氣を受けた・・・ するとなんと、身体が揺れたり、カーっと身体が熱くなったりしてびっくりした。 これだ! と思い、氣光士養成講座を受けに、伊豆の下田に行くことにした。
一つ心配事があった。それは、恥ずかしい事だが、私はその頃、お腹がすくとグー!と音がなる体質だった。スケジュールを見ると、な、なんと、朝は 味噌汁だけ。昼は お弁当。 夜は うどん だけだった! ウワー! どうしよう? こんな少ないんじゃお腹が鳴るし、持たないわ・・・と困惑した。 でも、母の為だからと思い覚悟して出かけた。 ところが、全くお腹が空かないし、お腹も鳴らなかった!不思議でしかたなかった。 今では解るが、これは氣を受けると、エネルギーが充満されるからだ。 食事でエネルギーを採るか、氣でエネルギーを採るかの違いだ。 なのでヒマラヤの仙人や、インドの聖者は何も食べなくても、宇宙から エネルギーを採り、生きる事が出来ると言う話が、理解出来る。
そもそも中川先生は、どうしてこのような事を始めたかと言うと、夢の中に 白い髭の仙人の様な人が出て来て、氣が出る器械の設計図を見せて、これを造りなさいと言われた。その通り造ると24時間、氣が出っぱなしの 【 ハイゲンキ 】 と言う器械が出来て、治療にあたった。 又、ある日、今度は手でやりなさいと言われ、その通りすると効果が現れた。 又、今度は、氣光士を 3000人 作りなさいと言われ、氣光士養成講座が始まったのである。 嘘のような話だ。でも、これがホントだったのだ! このように、目には見えないが、見守っている存在が、誰にでも何人かいるのだ。 守護霊とか、指導霊とか、精霊とか言われるものだ。 そちらにチャンネルを合わせ、問いかけたり、お願いしたりすると、もっと人生がうまくいくようだ。
いよいよ、講座が始まった。 会場は、伊豆の下田にある、沖ヨガ道場だった。 沖ヨガの理事長の龍村修さん( ガイアシンフォニーの龍村仁 監督の弟さん)が、真氣光に理解があり、実現したそうだ。 講座の内容は、一日3回、中川先生の氣を受けて と言っても、ただ座ったりしてボーッとしてるだけなのですが、後は 講義と言っても、沖ヨガの先生だったり、各ジャンルで活躍されてる方々を招待して講義してもらうと言う、一風変わったものだった。 例えば、日本の電気工学者で、各大学の教授を歴任。加速学園代表、日本サイ科学会会長でもある 関 英男 先生だったり・・・ 知らない事が沢山あり、とても勉強になった。
氣光士養成講座と言っても、今まで治療をしていた事もあり、何処のお医者さんにも、見放された難病患者さん達の合宿と一緒に、ゴチャ混ぜで行われた。 そのおかげで、奇跡的な場面や、どうしてそうなったとか、凄い光景を見ることが出来ました。 最初は、周りの不思議な光景を見て、そんなことあるかしら? サクラかも知れないと疑っていましたが、小さな子供も、どんどん変化したので、これはほんとうらしい・・・そうこうしている間に、とうとう私にも信じられない変化が起きたのです。
3~4日過ぎた頃、ボーっと氣を受けていると、なんの脈絡もなく、目からボロボロと涙が落ちました・・全く悲しいわけでは無いのです。 それから数日たって、又、ボーっと氣を受けていると、今度は私の身体の中から、誰かが 「 ありがとうー ! 」 と叫ぶのです。 でもそれは、間違いなく私ではなく、他の人です。 これ以上無いくらいの喜びで、凄く大きな声で叫ぶのです! その喜びは、はっきり感じるのです。 私は慌てて口を押さえました。ここでこんな大きな声を出したらまずいと ・・・ 今、思うと私の中から出ていったのは、若くして亡くなったお父さんだったと思います。私が高校1年の時、父が亡くなって、私は数年立ち直れないくらい、父の事が大好きでした。 私は「 お父さんのお嫁さんになるんだ! 」と言っていたくらいです。 父も、とても可愛がってくれたので、きっと心配で私の中に入っていたのだと思います。 先生の素晴らしい氣のお陰で、きっと安心して天国に行ったのだと思います。 結果的に、父も 母も 中川先生に助けられたのです。
そして、最終日に、氣 が出るようになった人には、氣光士の免許がもらえます。 運良く、私も氣光士になることが出来、さっそく家に帰り、母の額の所に手をかざしました。 自分では、氣が出ているのか、全く自覚がありません。 あんなに眠れないと、2年間言い続けたのに、スヤスヤ寝て、「 ああー、よく寝た!」と言ったのです。 その日から薬も一切いらず、もちろんお医者様にも行かなくなりました。 ( 結果は、人により、それぞれ違います。 母の場合は、見事に大当たりでした! これも、見えない世界が有るのだと、私を導く為に起こった事だと思っています。)
中川氣光 の 氣光士 とは、中国の気功の様に鍛錬して自分のエネルギーを出すのではなく、宇宙エネルギーを、中継する道具になる事なのです。 なので、どんなにやっても疲れません。 ただ、自分がやってるとうぬぼれると、患者さんのマイナスエネルギーが自分に来るのです。 送信と受信の原理です。 だから、氣光士は 謙虚に道具になりきるのです。
そんな訳で、氣光士も 3000人 以上になり、中川先生の使命が終わったのか、残念ながら 亡くなられてしまいました。 始めた当初から、血圧が 200 位 あっても、平気で全国を飛び回っていました。 ほんとに、気さくで、おごらず、ほがらかな、素晴らしい先生でした。
今は、息子さんが後を継いで、沢山の人々を癒しているようです。
・・・ We Are The World ( マイケルジャクソン と 豪華な歌手達 )・・・
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