アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

五月の風・五月のバラ・歌声は舟木一夫―

2015-05-07 | 世情もろもろ
初夏…というより、夏のような暑さだった連休が終わり、今日から、日本国中、いつもの日常―。
そして、今日は、昨日までとは変わり、雲の多い空、気温も、朝は少しヒンヤリ―。
五月の風は、緑の匂いを含んでいる。
五月は一年中で一番美しい時期―と、私は自分勝手に決めて…そうして、例年、脳裏に巡る『五月のバラ(なかにしれい作詞・川口真作曲)』の歌。
『五月のバラ』は複数の人が歌っているが、以前も書いたように、私の好きな『五月のバラ』を歌うのは、舟木一夫さんで、
♪ 忘れないで 忘れないで 時は流れ過ぎても ♪
と、伸びやかな歌声が、頭の中をグルグルーと。
五月の風の中を、
♪ 忘れないで 忘れないで
時は流れ過ぎても
むせび泣いて むせび泣いて
別れる君と僕のために♪
遠くまで、その歌声が響いて行く。

数年前にステージで聴いた。
そして、昨年九月に思いがけず、舟木さんがステージで歌った。その時の私の心境―「狂気乱舞」という状態だったことはいうまでもない。
「思いがけず」―だったから、余計に…ね。
その『五月のバラ』が、脳裏を巡りながら、五月もまた、逝く。
♪ 風は五月、うしろ姿の春は哀しく遠く ♪
…と、これは、舟木氏自作の『end love』の歌詞。
「うしろ姿の春」―という言葉、その表現力―つまり、その感性に驚いた作品の一つだ。
そう、春はうしろ姿を見せて、もう去ってしまった。

春が来て夏が来て、そして、夏には待ち遠しい秋が来て、いつの間にか、冬がそっと忍びこんでいる。
そうやって、時間は矢のように過ぎて、忍びこんでいるものは、季節ならよいけれど、昨今、いや~なものが、私たち個人にも、そっと、忍び寄っている。
味方みたいな顔をして、「あなたを守るためです」―というような言葉を口にして、一応、笑顔を見せて、しかし、その笑みの何と誠意の無さがにじんでいる事か、何と、薄っぺらな言葉を並べていることか―等々、思っている間に、いつの間にか、国民一人一人に、背番号が付くことになっていて、そのナンバーが、10月以降だったか、順次、届くそうだ。
国民総背番号制は、何度か、議題に上がっては、立ち消えになっていたけれど、いつの間にか、決まっていた。
いつの間にか、決まる法案や政策が多い。
いつの間にか戦争が始まっていたら、どうしよう!
「戦争は突然始まるのではない、徐々に近づいてくるのです」
と、語った戦争経験者(高齢者)が語っていた言葉を思い出す。
いつの間にか、他国の戦争に巻き込まれていて、いつの間にか、テロの脅威の晒されている。
いつの間にか、米軍とともに、「世界の正義は我等にある!」とか、叫んで、世界中に自衛隊が派遣される。
そうなると、自衛官が極秘で語った「戦争に行くとなれば、3分の1の自衛官は除隊する」という通りになったら、いつの間にか、徴兵制だ。
そもそも、戦争に正義などはない。
そのように、「いつの間にか」が、多くなった。
その「いつの間にか」は私たち個人の人生を変えてしまうくらいの力を持っている。だから、もっと、しっかりせよ、私たち!…である。
五月の風の中で、『五月のバラ』の舟木さんの歌声が、グルグルと脳裏を巡りながら、片方の脳では、危険な匂いに気がついている私の五月だ。

危険な匂いの正体を、文芸評論家の斎藤美奈子氏が『家長のやり方』と題して、4月29日の東京新聞コラムに書いていた。まさに、この通りだ。(以下)


《 家長のやり方       斎藤美奈子

「次からはウチの子どもたちもおたくのケンカに参加させますんで」父ちゃんが外で勝手にそう約束してきたら、家族は怒りますよね。
「先に家族の合意を取れよ」「っていうか、ひとんちの争いに、なんで関係ないオレらが参加し
なきゃならないんだよ」って話ですよね。
「日米両政府は、外務・防衛閣僚会合(2プラス2)で自衛隊と米軍の役割分担を定めた日米防
衛協力指針(ガイドライン)の改定に合意した」
とは、そういう意味だと私は理解している。
 つまり決め方も決めてきた内容もムチャクチャなのだ。国会に提出されてもいない安保法制法案を前提にした日米の約束(決め方)。地理的な制約も時間の制約も取り払った「地球規模かつ切れ目のない」形での米軍に対する自衛隊の協力支援(決めてきた内容)。
 一昨年成立した特定秘密保護法も、昨年、閣議決定というインチイキな方法で通した集団的自衛権の行使容認も、すべてはこのための布石。今度は国会に提出する現行法十一本の改定案を「一つの法案にして一括提出」したいと言いだした。
 家族の比喩を使ったけれど、国民(主権者)も国会(国権の最高機関)も無視する首相は、自分は家長だくらいに思っているのだろう。閣僚は家臣団。国民は領民。まるで戦国大名だ。ここが民主主義の国とはとても思えない。》


まったく、戦国時代、戦国大名―。
それでも、戦国時代、領主(大名)は、敗れれば、自らの命を持って贖(あがな)った。
その覚悟は、この国の為政者に、そう、その「家長」には、全く無し、皆無であることを、私たち、主権者でありながら、いつの間にか、奴隷状態の国民は、肝に銘じておかなければならない。


五月の爽やかすぎる風と大気の中で、本当は、『五月のバラ』の歌声だけを巡らせて、もう一方の脳はオヤスミしていたいけれど、そうもしていられないなぁ…。
しかし、緑が綺麗だ! 
新緑の木々に抱きついて(!)エネルギーを貰って来ようか。        
 
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