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日本の議院内閣制に関する重大疑義

2009-08-07 16:32:02 | 中国の法律と日本の法律
 日本では、議院内閣制が採用されています。議院内閣制というのは、三権分立を前提に、行政府(内閣)は立法府(国会)の信任により存立し、立法府に対して責任を負うというものです。立法府(ここでは衆議院)は内閣不信任案の決議をなしえ倒閣できる一方、行政府も衆議院の解散権を有しており、互いに抑制と均衡を保っていますが、基本的には“協調”を旨とします。

 この議院内閣制というのは、立法府と行政府が明確に分離されている大統領制と対比されるもので、これはこれで一つの理念型であります。ですので、これ自体に異議はなく、日本の議院内閣制に関して異論を唱えている憲法学説も見たことがありません。

 しかし!

 実際には、日本の議院内閣制は憲法違反状態に達していると思います。なぜなら、議院内閣制は三権が分離されていることを大前提とした、一段格下の理念ですが、今の日本では立法府と行政府が完全一致しており、三権分立(41条、65条、76条1項特に41条)に反しているからです。

 即ち、立法作用も行政作用も全て、「与党議員及び官僚」という組織が行っているので完全一致しているということです。

 確かに、当然形式上立法は国会が行っていますし、憲法上・内閣法上内閣に議案提出権が認められていると解されるので、形式上は問題ありません。しかし、実質的には、国会ではない、そして内閣でもない、行政各部に過ぎない官僚組織が、立法をしています。そして、同時に行政行為もしています。こんなものは、もはや三権分立とは言えません。立法と行政が互いに抑制しようがないのです。

 さらにここからが重要です。一般的にあまり指摘されることはありませんが、国会議員の行政処分に関する“口利き”はそもそも国会議員の職務ではないのです。国会議員が行政処分に介入してよい、なんていうのは、憲法その他法律を見てもどこにも書いてありません。どころか、前述の三権分立の概念からすると、立法府たる国会の構成員たる国会議員が行政行為に介入することは許されないことですし、議院内閣制の趣旨も、内閣の存立は国会の信任によるものである、ということに過ぎず、国会議員が行政に介入してよいという意味ではさらさらないのです。

 つまり、日本の現状は、憲法に定められている議院内閣制を違憲レベルに曲解し立法と行政の区別をあえてなくしている、ということです。

 これ自体はたいしたことがないように見えるかも知れませんが、非常に重大です。
 まず、権力が分立していないことにより権力が「与党議員と官僚」に集中し濫用されます。
 次に、許認可権・随意契約等を通じ本来的に腐敗しやすい行政に対する歯止めがなくなります。
 そして、国会議員の行政行為への介入が当たり前とされていることにより、“口利き”と“票+金”がバーターになり、選挙自体も腐敗します。
 さらに、票が欲しい国会議員が行政行為に介入できることにより、地域に金をばらまく行為も無制約になっていき、財政も破綻します。

 つまり、日本の病理の根本が、上記の「議院内閣制の曲解と三権分立の破綻」にある訳で、一刻も早くこれを是正すべきなんです。。。具体的には、、、

①現状ではその権限が議事運営に事実上限られている国会の職員を増やして、彼らに今の“官僚”がしている立法作業をさせるべき。そして、今の“官僚(霞ヶ関)”は粛々と行政行為を行う、本来の「行政各部」に戻すべき。

②個々の行政行為について、国会議員には一切関与させない。国会議員は原則として行政部門(霞ヶ関)立入禁止。

 なんとか、本来あるべき国家制度になるといいですね。。。


<おまけ>

 「内閣総理大臣のリーダーシップ」という単語が、さもカッコの良いものかのように吹聴されていますが、これも立法と行政が分離していない日本では危険な発想です。
 アメリカは大統領制であり、行政府の長である大統領は一見国家権力を全て掌握しているかのように見えますが、立法作用への介入は限定されます。これに対し、日本では議院内閣制により、行政府の長である内閣総理大臣は、国会(特に衆議院)の与党の長でもあり、前述のとおり立法と行政が未分離ですから、立法と行政の双方を完全掌握できることになります。また、軍事(自衛隊)に関する最高責任者も内閣総理大臣です。とてもではありませんが、中国のことを一党独裁と批判できるものではないのです(ちなみに、中国では憲法上共産党が指導することが明記されており、国としてこういう制度を導入していると言えるため、これはこれとして一貫はしているのです。これに対して、日本は独裁を許さないはずにも関わらず、どんどん独裁が可能な方向に進んでいるため、理念と現実の間に乖離があるのです)。
 このような状況において、やみくもに「リーダーシップ」を強調すると、それこそヒトラーのような性格を持った人間が首相の座に就いた場合、歯止めがまったくなくなるので、非常にまずいことが起こるかも知れないのです。
 放送許認可権を駆使してまずテレビをジャックして批判論調を全て封じるでしょう。訴訟法・政令を改正して極めて訴訟を提起しづらい制度にするでしょう。国家公安委員会(警察)を掌握して政敵・批判者を全て牢屋にぶちこむでしょう。「自衛隊の行く地域が非戦闘地域である」という理屈で全世界に自衛隊を派遣し、「自衛権は憲法上放棄していない」という理屈でアメリカ軍の完全指揮下に入って西アジアを荒らすでしょう。兵力が足りなくなるので、徴兵制も敷かれるでしょう(実は、徴兵制はこれを絶対に禁じるという文言はどこにも書かれていません ので、実は「徴兵に応じることは栄誉であり意に反する苦役ではない」という理屈のみで実現可能なのです)。そして、もともと全体主義傾向が極めて強い日本人は、やがて大政翼賛会を形成し・・・

 要は、歯止めがまったくない状況下で、偏ったリーダーシップを持った人がトップになるとやばいということです。なので、何となく響きがアメリカっぽくて格好いいという単純な理由で、リーダーシップを賞賛するのは必ずしも正しいことではないのです。
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