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書評ー「男は遍路に立ち向かえ ―歩き遍路四十二日間の挑戦ー 」

2009-10-09 09:49:58 | 本ーノンフィクション
男は遍路に立ち向かえ―歩き遍路四十二日間の挑戦
森 哲志
長崎出版

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本との出会いって不思議だ。
トレッキング入門書を探してて偶然見つけたのが、この本。
その背景には、ただひたすら歩くという行為が、
心の曇りや翳りが晴れて、童心に還ったように透き通った心持ちになる、
ということを体験的に知ってることもあるけど。
気分をリフレッシュし、精神を若返らせてくれる。
歩きは、ココロのアンチエイジングには“もってこい”の行為なのである。

さて本書は、<四国霊場88ヶ所1,200km>の「歩き遍路」に
挑戦した42日間激闘記。
著者は、元朝日新聞社の記者。
定年退職後、世界一周のバックパッカーの旅に出かけ、
続いてアフリカ縦断の旅の準備段階になって、
「遍路」という言葉が何の脈絡もなく浮かんでくる。
著者はその言葉を2日間放置するものの、
再び「遍路」が心に響き、歩き遍路に向かう準備に入る。
その一方で、自分は駅でも必ずエスカレーターに乗り、
登山にもまったく興味もなければ、
200mの距離でも必ず自転車に乗ってしまう横着者が、
果たして毎日20kmも歩けるのかを不安を抱く。
その不安さは、第1日目・一番札所<霊山寺>での朝の記述が物語る。
  柔らかな朝の陽を受けて,境内に遍路が3人。時節柄やはり少ない。
  その1人、中年男性の白衣の背文字は色が薄れていた。遍路を終え、
  朝一番のお礼参りなのか。遠い人に感じて視線をそらした。
  挫折するに決まっている。すぐに音を上げて、東京へ戻る自信だけは
  ある。だから眩しく感じるのだろう。

そんなヘタレな著者が毎日20kmの行脚を平気をこなせるようになってくる。
  日が暮れかける頃、疲れ果てて遍路宿に辿り着き、風呂と夕食と睡眠を
  取るだけで、翌朝には若者に負けぬ活力がみなぎる。日が経つにつれ、
  五臓六腑は規則正しく脈打ち、パワフルに変身する自分に気づく。

この激闘記の行間から、汗と涙と苦痛さが立ち上ってくる。
「遍路ころがし」と呼ばれる峻険な山道、台風の暴風雨にも遭遇し、
たびたび挫けそうになる。
「宿でゆっくりしたい!」とか「車に乗りたい!」いう邪念も次々と襲ってくる。
そんな萎えそうな気持ちに陥った時、危険な時に、
必ず現れるのが、四国の地元の人々。
あくまでも優しく、でも時には厳しく叱咤励してくれる。
また「お接待」として、無料で宿を提供したり、食事の提供までしてくれる。
著者は気づく。
  四国路はペットボトルや空き缶、ポリ袋のポイ捨てが少ない。
  自販機の普及数は大都市と何ら変わらない。
  遍路小屋や東屋も汚れていない。誰かが世話している。
  不届き者がどこにもいる筈だが、善意の人の数が上回っているということか。
  公衆道徳が高いレベルなのだ。これは遍路の歴史が培った文化かもしれぬ。

知らず知らずの内に、結願(88ヶ所の遍路を達成すること)まで、
「あと少しだ、挫けるな、頑張れ!」と応援してる自分がいる。
そして、読み終えた今の思いは、
「50歳になったら50日間の休暇を取り、歩き遍路に挑戦したい!」
と真剣に思う。
インドには行きたいとは思わない。
でも、歩き遍路はしてみたい。
著者は「歩き遍路は究極の一人旅である」と喝破する。
  連れだっていても、靴に小石ひとつ入れば立ち止まる。
  相方はその度に休むと、ペースを乱すから止まれない。
  休憩も個人の体力差がある。3m離れると会話が途切れる。
  つまり思索の旅にならざるを得ない。

同行二人(どうぎょうににん)は、「弘法大師 空海」さんが、
常に側に付いて一緒に歩いてくれてるって教えだけど、
妻は賛同し、一緒に歩いてくれるだろうか?
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