晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「風呂と日本人」(3) 10/15

2016-10-15 | 雨読

2016.10.15(土)快晴 
 ならば平安京以後の御料地として木材を調達した、北桑田郡あたりには風呂地名はないかと調べてみる。石風呂地名はないものの風呂ノ本、風呂ノ上、風呂谷、風呂ノ向などの他に湯のつく地名も随所に出てくるのである。綾部市はどうだろうと調べると、風呂ノ木、風呂ノ谷、高風呂、中風呂などがおそらく山間部だろうところに見受けられる。これ等はかつて風呂があったところなのだろうか。わたし自身はやはりなにかの地形を表す地名ではないかと思っている。「風呂と日本人」のなかでも筒井氏は次のように書いている。
 例えば、風呂地名が付いているからといって、そこにかつて風呂があったはずだなどと簡単に考えてしまうことは、不用意な短絡でしかない。中略 現に石風呂のある場所に風呂ノ谷(風呂ヶ谷)の地名が付いている例を一つ、二つ確かめたとしても、そういう地名のところには必ず風呂があったと断定することも危険である。同様の事例を、もっとたくさん集めなければならない。わたしの取材では風呂ノ谷の地名は、たしかに石風呂の所在地を指していることが少なくなかった。しかも、その「谷」の形状には、後述のように、ある明確な共通点が認められる。そうしてそれには相応な理由があった。だが、それでもなお、風呂ノ谷の地名が常に石風呂と結びついていたかどうかに確信がもてないでいる。「室ノ谷」がなまったではないかと想像される場合があったからである。
  これはいったいどういうことなのだろう、わたしには痛いほどわかるのだが、地名の研究になど興味の無い人には何のことかわからないかもしれない。地名の探求をしているとその語源や意味についてこれだっという事象が見つかることがある。見つけた本人は世紀の大発見でもしたような気分になるのだが、その事象はすべての場合に合致するわけではない。地名の意味が時代や場所で変わることはわかっているのだが、研究者にとってはやはりジレンマである。このことを筒井氏は先の文章で語っておられるに違いない。

【今日のじょん】やっと涼しくなってきたのでじょんもワンコインリゾートに連れてってもらえるようになった。わたしらは芝生広場でお弁当を食べピクニック気分なんだが、じょんはとにかくワンコの匂いが気になるらしい。なんてったって、近所にお友達がすっかりいなくなってしまったから。

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