晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

最勝河原-8 8/5

2017-08-05 | 上林たんけん隊

2017.8.5(土)晴れ

 平安京佐比大路に対応する通りは西洞院大路である。左京にあり、平安京の中心的な位置にある通りだと思うのだが、この五条に道祖神があったとされる。(今昔物語集)道祖神(さいのかみ)は村や市街の境界にあるもので賑やかな中心地にあるのは不可解である。佐比大路と同様に考え、西洞院大路を南に辿ると鴨川に接する地点がある。平安時代の鴨川は現在とは流路が違うかもしれないが、このあたりに葬地があれば道祖神の意味も理解できる。この世とあの世の境と考えられるからだ。残念ながら当時の葬地は深草で、やや東にそれる。

 8月4日付け各紙で平安期最大級の邸宅跡が発見されたと報じている。「敷地は1町(約120m四方)と大規模で、大型建物が軒を連ねる状況から、高級貴族の邸宅とみられる」(京都新聞)、平安時代前期のものと見られ、この時期では京都で最大級の建物となる。問題はその位置で三条佐井西の島津製作所敷地内ということである。建物の規模からいって天皇に近い高級貴族の住居跡かといわれている。大内裏に近い順で高級な貴族が居住するというので、この地域が平安京の中心部であることがうかがえる。従って平安前期に西院が葬送の地であったということはあり得ない。(2017.7.17参照)
三条西土居上がる、無縁墓地があったとされるこのあたりも平安初期には高級貴族の邸宅であっただろう。
 百年もたたないうちに右京は衰退を始め、洛中洛外の境はついには朱雀大路にまで達したという。最勝河原が三昧(この場合は火葬場を意味する)として存在したのも右京が衰退したためである。その発生はおそらく中世だと想像するのだが、それ以前にも西院の地が葬地となっていたことは充分考えられる。つづく

【今日のじょん】久々にニューモモちゃんが来じょん、ドッグランどはさすがに暑すぎるので室内で遊んでいたが、相変わらずじょんとは歳の差が埋まらない。

 

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