みる きく よむ

読んだ本などを忘れないように書き留めるメモ。

ラグジュアリー:ファッションの欲望 @京都国立近代美術館

2009年05月22日 23時54分51秒 | 美術館の展示
新型インフルエンザの大騒ぎの中、比較的人が少ないだろうと見込んで見に行ってみた。展示は明快な構成でとても楽しめたがもう少しボリュームが欲しかったような気もする。印象に残った服の感想を書き留めておこう。

中心:ルイ・ヴィトン(マーク・ジェイコブス)

チェックの生地と毛皮の色合いとボリュームのバランスが素晴しく、ただため息。これ以外はありえないデザイン。着てみたいか(似合うか?)は別として、憧れる。12月のニューヨークで颯爽と着て頂きたいですね。セレブリティのリアル・クローズはこういうのなんだろうか。

右側:ヴィクター&ロルフ

アニメのようなグラフィカルな作品。正面からの写真が無いのが残念。きっと、こういうのを思いつく人はいるんだろうけど、ここまでの高みで実現できる人がいないんだろう。即物的(美しい曲線の重なり)にも概念的(リボン=装飾)にも装飾的という二重性。彼らは「ファッションは夢」と言ったそうだけれど、彼らの圧倒的な美意識において、このふにゃふにゃとした有機的で不完全な身体という塊(=現実)を包むものは、夢であるしかないのかもしれない。

ヴィクター&ロルフに関しては、数年前の『COLORS―ファッションと色彩展』が本当に面白かった。あれはヤバかった。

右端:バレンシアガ

ただ、ただ、美しい。誰も思いつかないけれど、普遍的、絶対的な美しさを湛えた洋服。お花の模様は30時間かけた手描きらしい。中心のあわせの角度、縮緬のような生地、ふくらみのバランス、夢のような世界観。全てが完璧。この洋服が世の中に生まれた事について、ただ、祝福したい。



クレージュ。
うーん、可愛い!手描きっぽいお花のデザインとシンプルなシルエットを繋ぎとめるスパンコールの質感。スパンコールの黄色も色々な濃さのものが混合していてニュアンスに富んでいた。写真では分からないけど実物には割りとオーラがあった。



今回の最も大きな収穫は、コム・デ・ギャルソンの素晴しさを理解した事だ(今更…)。ランウェイを歩くモデルが着ている姿はその時点で既に芸術的であり、はっとする新しい造形美を見る者に理解させる。でも、それだけじゃなかったのだ。その洋服という物自体が、着る前に床に広げると、平面的でへんてこな形を有していたのだ。知らなかった!(今回は、洋服の実物と、洋服を広げたときの写真があわせて展示されていた)その、直線、四角、三角などの記号的な洋服の形。人間という蠢くものに無機的な記号を合わせるとどうなるか。躍動的な、新しい造形美が生まれるのだ。これは、現代という非対称の世界に生きる人間が持てる希望ではないだろうか。つまり、カオス、ノマド、混沌である私達人間は、記号やデジタルのシステムに直面し、システムに使われ、歪み、苦しみ続けるのか。否、システムを身に纏い、華麗に変化するのだ。自然回帰でもない、システムの歯車でもない、私たちは、美しい曲線、新鮮な造形を生み出しながら、未来へと飛び込んでいくのだ!みたいな。

こういうのを理屈っぽく語っちゃうのって陳腐で、先述のバレンシアガのようなシンプルな感情の方が良いとは思うんだけれど、でも、そういう深みに過剰反応するのもまた人間らしい営為と言うか…。言葉にすると深まる事もあるじゃないですか。と弁解してみる。まぁ、とにかく素晴しかった。

マルタン・マルジェラは普通だった。
割れたお皿で服を作るとか面白い事考えるなぁ、とは思った。

展示以外では、大きなモニターを前にプレイステーションのコントローラーを操作して、ミクロな視点で洋服を見ることができるコーナーがあり、新しい試みとして楽しめた。

新しい試みといえば、マルタン・マルジェラの展示で、各作品に当たるスポットの照明がランダムに点いたり消えたりする工夫(?)インスタレーション(?)があったが、面白いといえば面白いけれど、見難いことは確かだった。マルジェラに関しては各作品が個性的なものなので、別に要らないんじゃね?と思ってしまった

参考URL
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2009/372.html
http://www.kci.or.jp/exhibitions/luxury/exhibits/index.html

最新の画像もっと見る