ひげめがね日記

基本的に自虐的な日記です。自虐ネタが好きな方はお喜びいただけると思います。

【相乗りくん】わたしが相乗りくんに参加した理由

2016-12-24 20:52:03 | 相乗りくん
 本ブログでは初公開となりますが、ひげめがねは太陽光発電のパネルに出資する「相乗りくん」に参加しております。
 このたび、その代表を務めておられる藤川様より、参加のきっかけを書くようご沙汰がございました。
 で、書き始めたら原稿用紙10枚分になってしまった!!だめだこりゃ。
 というわけで、もしももしもできることでしたらば自然エネルギーに興味ある方だけでもお読みくださいませませ。

1.巨大風車への憧憬
 そもそも私は風力発電機であるところの巨大風車が大好きでありました。
 どのくらい好きかと申しますと、2000年代初頭、当時お付き合いしていた彼女と北海道に旅行した時も、朝4時に起き出し、寝ている彼女を部屋に置いて一人で巨大風車のたもとまでドライブし、2時間くらい風車を眺め、「このまま風車の先に刺さって死んでもいい」と思ってしまうくらいであります。要は彼女より風車の方が大切だったってこと?!何がそんなに楽しいのかって?わからない方には説明できません…。
 巨大風車の建設には功罪あり、賛否分かれていることは重々承知でありますが、日本橋の上を走っている首都高とか、鉄塔とかと並び、巨大風車は人工的に美しいものの1つと私には思えてしまうのです。男の子のごく一部にはわかっていただける感慨かと思います。
 実はそんなことから、自然エネルギーを使用した発電というものに、なんとなく興味を持ち始めたのであります。

2.太陽光発電システムに対する理由のないネガティブな印象
 そんなわけで、風力発電から「自然エネルギーで発電できるなんて最高。うちも太陽光発電に」などと1990年代後半から何となく考えておりました。
 そんな折、当家は2000年に家を新築することとなったのですが、その際、わたくしめが太陽光発電の話をしようとしたところ、「まだ未成熟だからそういうのはやらない」とわが世帯主である父親からはっきり言いきられてしまいました。ちなみにわが親父様は電力関係のお仕事に長年ついておりました(現在は退職し農業に従事)。しかも我が家は昭和の家長的システムとなっており、主のいうことは絶対であります。
 当時の太陽光発電システムはおそらく今よりも相当プアでしたでしょうし、我が家は市では一番南とは言え長野市(長野県北信地域)ですから、導入しないという判断は正しかったでしょう。
 ただ、その時、親父様は文系のわたくしめには、まったく理解できない電気業界のことをおっしゃっておりました。その後、何かその理屈を超えるようなエポックメイキングなことが現在起こっているのか、現在の判断はどうなのか、今度実家に帰った時にゆっくり話を聞いてみたいものであります。

3.東日本大震災
 そんな風にして、なんとなく興味を持ちながらも何もすることなく日々を過ごしておりましたところ、3・11が発生してしまいました。
 明確に覚えておりますのは、その翌日、3月12日の午後4時台のことでございます。ひょっとするとガソリンがなくなるかもしれない、というケチ根性でガソリンスタンドまで車を走らせておりましたところ、土曜午後にも関わらず中西哲生がFMラジオに出演しており、専門家に福島第一原発のことを尋ねておりました。当時はまだ1回目の爆発的事象が起きたらしい、という段階でした。そこに速報として、爆発により建屋上部が粉砕との旨のニュースが入ってまいりました。それを聞いた専門家氏は「もう手の打ちようがありません」とのたまい、中西氏と女性アナウンサーが絶句するという事象が起こりました。
 その後の報道が二転三転することは皆様周知のとおりでございますが、わたくしめの中では、「世の中に絶対安全などない」ということを思い知らされた瞬間でございました。

4.原子力発電に対する個人的見解
 そもそもこの記事が「太陽光パネル相乗りくん」に関することですので、「原子力に対してネガティブなのだろう」と思われるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。
 私たちの生活は電気によって成り立っている、もっと強い言葉だと「支配されている」と言っても過言ではありません。しかし、2011年、首都圏での計画停電も行われ、「電気のない生活」を初めてイメージするようになりました。「そのためには生活を大幅に変えなければならない」という非常にシンプルな結論に個人的にはたどり着くわけですが、実際には電気は通っているわけです。
 下の話で申し訳ございませんが、ウォッシュレットの登場によって、私の生活は劇的に変わりました。今や、日本であればほぼどこに出かけていくのも怖くありません。しかし、電気がない生活では、その生活は実現せず、日々出血と痛みにさいなまれるわけです。まあ、私の病気など取るに足らぬものでありますが、例えば人工透析の患者の皆様は、電気がないというのは文字通り「死活問題」なわけであります。
 結果、「電気のある生活」に心より感謝するようになりました。そして、その電気のある生活は、原子力発電によっても成り立っているとの思いにも達しました。原子力発電がなくても成り立つはず、という意見も目にしますが、そもそも日本に50基あまりの原子力発電所があり、すべて今すぐ廃炉にできるわけではありません。今まで原子力発電に関わってきた人たちの生活も担保しなければなりません。すべての原子力発電を今やめてしまうことは現実的ではないというのが現在のわたくしめの考えです。
 ただ、1つ不安に思っていることは、例えば20年後なり50年後なりの日本のエネルギーバランスをどうするか、という議論が聞こえてこないことです。やがて原子力発電所は寿命を迎えるわけですから、その後果たしてどうしていくのか、という話し合いが国民的に盛り上がらないのはゆゆしき問題です。年金の問題も同じ構造ですが、国民の受けの悪いことを政治が発信しない、それは投票している人が年配の方が多く、結局今が良ければよい人が多いから。というのでは日本の破綻を危惧してしまいます。
 今の生活があまりに快適で幸せで平和だから議論が醸成されないのでは、というのが肌感覚ですが、本論から離れてしまいますのでここでは省略いたします。

5.相乗りくんとの出会いと、その時思い出したこと
 要するに、「50年後にも原子力発電があることは反対。でも電気のない生活は考えられない」というのが私の立ち位置なのですが、デモに参加することは個人的にはネガティブであり、何かもっと現実的に自分のやるべきことはないだろうか、と悶々としたまま2年が過ぎました。
 そんな2013年4月、結婚により上田市のアパートに転居いたしました。妻は学校の教師で、担任を持つことになったのですが、そんな妻が、「保護者から受け取った」と持ち帰ってきたのが、相乗りくんのパンフレットでした。
 表紙を見た瞬間から、「これが探し求めていたものだ!」と体に電気が走りました。
 パンフレットを読むと、上田市は本州で最も日照時間が長い、との旨の記載があり、そこでもまた電気が走りました。

6.北見市と上田市
 実はわたくしめ、2001年に北見市を初めて訪れ、その後も2回訪問しております。
 北見市は、私が大学時代の友人の家があります。ただ、その友人は不幸にも27歳の時に亡くなってしまいました。その友人に手を合わせるため、3回ほど夏に訪問しております。
 その友人のお父様は北見工業大学で教授(平成25年より名誉教授)をされておりましたが、誰にでもなれなれしい「わたくしめ」は臆することなく?大学近くを散歩しながら、いろいろなお話を伺うことができました。
 その中で、「ここに大学があるのは、日本で一番日照時間が長いから」とのお話がありました。「内陸だから冬はとてつもなく寒く、氷点下30度になる日も」との仰せも。
 さすがに上田市はマイナス30度にはなりませんが、気候の傾向はほぼ同じ。そんな場所に自分が住むことになるとは何か運命のいたずらのように感じられました。

7.相乗りくんパネルオーナーに
 運命に導かれるように相乗りくんのパンフレットが手元に届いたことで、ほぼ気持ちは固まっておりました。
 そうはいっても投資のようなものですので三日三晩、夜は寝ながら考えましたが、やはりこれは運命であり、自分が参加するべきもの!と思い、藤川まゆみさんに電話したのです。
 先述のとおり、藤川さんは妻の教え子のお母様。しかし、いたずら心から、また、恥ずかしさから、それは悟られないよう電話でお話しし、その後契約を交わすこととなりました。

8.素性を明かせず
 契約から2か月後、相乗りくんの総会がありました。その時に藤川さんには私の素性をお話しようと思い参加させていただいたのですが、総会の途中で尋常でない腹痛と具合の悪さを感じ、懇親会をパスして帰宅。横になったのですが全くよくなりません。病院に受診しますと虫垂炎との診断。4泊5日の入院と相成ってしまったのでございます。結局私が何者か明かすことができたのは、その2年後になってしまいました。今思うと、懇親会に出る機会を1回減じてしまったことは、ほかの皆様のお話をお聞きする機会を1回減じてしまったということであり、残念なことでございました。

9.たまごの駅
 2013年当初はパネル設置場所が少なく、またタイミングが合わず、私が出資したパネルが設置されることないまま契約から間もなく1年が経とうとしていました。さすがにしびれを切らしはじめ、「新手の詐欺なのか?」と訝しく思った(藤川さん、すみません…)矢先、私が出資したパネルが、安曇野市の会田共同養鶏組合「たまごの駅」に設置されることが決まりました。
 しがないサラリーマンのため、さすがに発電開始の式にはうかがえませんでしたが、ある夏の暑い日、妻と2人でたまごの駅に向かいました。たまごの駅の太陽光パネルは、場所が分かればはるか遠くからも見ることができました。あそこにわたくしめのパネルがあり、電気が作られているのか、と思うと、感慨深いものがありました。
 そこからは毎月私宛のメールに発電量が届くようになりました。今もそれを楽しみに過ごしております。

10.そして今思う「相乗りくん」
 太陽光発電にも賛否両論があることにちょっとした驚きを隠せずにいます。大規模開発については「自然破壊につながる」等理解できる部分はありますが、効率が悪い云々の意見はあまり理解できません。
 電気は必要なもの、その必要な電気をどのように調達するか、というのが私の発想の原点です。
 もし数年後に太陽光パネルをしのぐ、すさまじく効率の良い発電方法が開発され、太陽光パネルが意味のないものになったとしても、「今何をすべきか考えた結果」であるので、個人的には後悔はありません。
 そんな革命的な発電方法が期待できない今、日照量の多い上田市で太陽光発電に取り組む意義というのは、現実的にも実験的要素も含めても「ある」というのが現在のわたくしめの結論です。
 また、いろいろな思いを持った方が、この相乗りくんに参加しておられ、皆様の意見を拝聴することも、楽しみなことです。
 もし、相乗りくんに躊躇している人がいるのであれば、「一度経験してみるのも悪くないですよ」とお伝えしたいですね。

 以上、長文駄文、大変失礼いたしました。
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