東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

市長と語る会。北谷コミニティーセンター。

2016年10月19日 22時34分11秒 | 日記

 今朝は、5時半に息子たちが作ってくれた朝食を食べて

先生のお宅の庭掃除に出かけましたが、

慌てていて、カメラを持って行くのを忘れてしまいました。

痴呆の症状かも知れません。

1時半まで頑張って、いったん家に戻って、汗で濡れたシャツなどを

着替えて、急いで東矢歯科へ。

何とか2時半の予約に間に合う。

3時半に出て、伸光へ。

プリント300枚。5時半家に戻って。

夕飯を食べて、6時15分出発。

北谷コミニティーセンターに着いたのは、7時10分

既に、北谷町民と、市長、市の各部長、課長との語る会は

始まっていました。

 

 

色んな説明が終わってから、何でも言いたい事を言って下さい。と

言われたので、私は、池大雅が白山を描くのに登った加越国境の

護摩堂山までの道を整備して、「ここから、白山を眺めて描いた。」と

看板を立てるといいのではと言わせてもらいました。

後で気づいたのですが、池大雅が描いた絵を探して来て、

看板にしてはどうかと思いました。

上杉喜寿先生の「越前若狭歴史街道」の著書には、

南画の巨匠池大雅は、三回も白山登拝をやった。三回目の宝暦三年(1760)七月三日には、この道を同行者二人で歩いた。二日目の晩には北六呂師の藤左ヱ門宅で一泊、一泊翌日は家族の長左衛門ににもつを持たせ、案内かたがた牛首までおくらせている、池大雅は「日本百名山」を書写発刊の意図だったから全神経を山の描写に注ぎ、案内人を雇ったは、勿論荷物を持たせるためであろうが、それよりも谷峠付近で白山をスケッチする適地を教わりたかったからではないか。白山の全容は、遠くからでなければ分からず、他所から遠望することにより、初めて真価が得られるものである。

谷峠から、護摩堂山近くまで登ると白山の全貌が望まれる。と書かれています。

堂の守の西山でなく。又赤兎、大長でなく、護摩堂山が一番と見抜いた、

画家の眼力を山好きの人たちに納得してもらいたいものです。

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