嗚呼!京都

「嗚呼!東山」としてスタート。いまは、「京都」にかかわるできごと・見聞録をボチボチときろく。

リトル・キョウト?

2008-12-07 | 東京の京都
昨日のことになるが、京都時代に知り合った人と食事をしに上がった大丸(東京駅)で、思わず京都に出くわした。

それが「近為」

そこは、「たん熊北店」とか、もひとつ「なんとか」とか、京都に本店を持つお店がいくつか並び、さながら「リトル・キョウト」。

普段、そんなところに足を踏み入れない私も、つい、懐かしくなって、食事の後は、すぐきやらちりめん山椒やらを買ってしまった。

今日は早速そのちりめん山椒をまぶしたおにぎりをつくって出かけたわけだけれど、おにぎり食べながら、気がつけば、東京人に能書たれて京都の宣伝をしている自分に苦笑。

私が宣伝なんてしなくても、味が教えてくれる京都ブランド。

世界中のものがなんでも揃うような街、東京は、お国のブランドアピールの格好のステージ。

帰りがけ、山梨のアンテナショップやらいろいろ見つけた。

でも、いくつかの百貨店をまわったが、茶道のメッカ、京都を満足させる品揃えの店には出会えなかった。

京都だと、●●家元好みの「なんとか」なんて売り方をしているところもあるという。
知らん者には見えなくても、知ったものには見えて見つからないブランドの力、というものに、ためいき。

どこまで地元を知っているか!?

どんだけ時間があっても足りまへん。

アメリカの京都

2008-11-11 | 外国の京都
(子ども博物館)

機会あって、ボストンにある子ども博物館に展示されている京の町家を見学してきた。

ボストンは、京都市とは姉妹都市で、来年、50周年を迎える。そんなご縁で数十年前に西陣から町家が寄贈されたそうだ。
この博物館の目玉でもあるという京の町家は、ボストン市民にも人気だそうで、地元ハーバード大学と共同で開発される町家などを紹介するプログラムが地元の学校で子供たちに施されるなど、アメリカ人が異文化を知るきっかけの一つとして重宝されている様子がうかがえた。
同館では、来年の50周年に向けて、さらなるバージョンアップをはかるべく準備を進めているという。

ボストンは、アメリカで最も古い地下鉄、とか、2番目になんとかのなんとか、とか、歴史のある街ながら、一方で、地上を走っていた高速道路を地下に通し直して分断された地域に交流をもたらすとか、地上に走っていた電車を地下に埋めてその上部を回廊にし、沿道の地域再生を実現するとか、古い建物を上手に手を入れながらリノベートして使うとか、どこか落ち着いて時間の流れがNYなどとはちがうのだが、過去のまちの文脈を生かしながらその時々の町の課題に対してまちを挙げて英断を繰り返してきたことを地元で数々のプロジェクトにかかわってきた建築関係の専門家の説明を聞いて、納得。

ガイドブックをみながらあるくだけでは知り得ないとてもメモに取りきれないほどの濃い中身。

京都には京都の文脈があって、その文脈を生かしながらさまざまな相克を経て乗り越えることが、どんな未来をもたらすか。やってみないとわからないが、やってみる価値は必ずある!と確信した。

分野を越え、新しいチャレンジのためのヒントが詰まっていた今回の7日間の視察。NYを経てボストン。




東京の京都

2008-11-01 | 東京の京都
ひょんなことから、東京で暮らすことになった。
しかし、京都と無縁ではいられず、ひょんなことから見つけた東京の京都を紹介してみようと思い立った。

まずは東京の玄関口、東京駅八重洲口にある京都館から。

ここには、京都の物産が所狭しと並べられ、売られているだけでなく、これから京都と出会う人への情報のアクセスポイントにもなっている。

いつもたくさんの人でにぎわっているが、この秋、おもしろ企画が待っている。

その名は「お猪口フェア」。
いのぐち、ではない。おちょこ。
これからますますお酒のおいしくなる季節に、京都の伝統産業である清水焼や京焼をはじめとするさまざまなお猪口と楽しむ京都・伏見の新酒の試飲会。

やりますね~(*^o^*)

私も東京モンのふりをして、お猪口を愛でるふりをして、いただきにまいりたいと思います。

11月4日から15日まで。


そして今、東京メトロの車内広告に、「日本に京都があってよかった」ポスターも貼りだし中!

ちょっと写真に撮る勇気はないけれど。。。



京都館

もやもや病?

2008-01-06 | Weblog
 このブログは、2005年6月に立ち上げ、ぽつぽつと東山に関して思うところや見聞録を綴ってきた。始めたきっかけは、とある人からの呼びかけに乗ったもの。京都というまちが、なにゆえに京都として存立しているのか、さまざまな切り口からゆるやかなネットワークで情報を束ね、発信することで京都のまちを考えるきっかけになればという(たしかそんなだったと思う)趣旨に賛同したから。
 何を見ても何を聞いてもおもしろいなぁと思って更新を楽しんでいたが、ここ数ヶ月は、なぜか更新できていない。
 なんでやろ?東山のまちが嫌いになったわけでもないし、毎日の生活の中で「あ、これブログネタにええやん!」と思うこともよくある。
 しかし、発信できない。
 なんでやろ?答えの半分は、ブログそのものの性質に由来するもの。そして、もう半分は、その性質を生かしきれていない現状があるということ。
 人に読まれることを前提としないなら、家の日記帳にかいておればいい。みんなと共有しようとするんなら、名乗って自由に書けばいい。
 更新が滞っていても、アクセスがあるのがまた怖い。
 どっちつかずで2年半。これじゃあかんやろ。

 というわけで、もう少し社会性のあるブログを目指して、まだまだしばらく考え中。


「地域力」どんなん?

2007-12-16 | 番外編
先日、自分が住む地域の美化活動にはじめて参加した。

集合時間に集合場所にいくと、「はい!これどうぞ」と燃えるごみ用、燃えないごみ用の袋をわたされた。

おや?みんなが持ってる火ばさみは?
「あのぅ・・・火ばさみ・・・」といいかけると、「あ、あれはみなさん自前なんですよ」。

ピピ~ンッ!

ホレ、押さえて押さえて・・・。

そして、代表とおぼしき人のご挨拶。

「・・・(中略)・・・何十年と続けていますが、その甲斐もあってか最近はゴミが減ってきました。・・・(後略)・・・」

ふ~ん。そうか。こんな取り組みをされていることすら知らなかった。

ごみは、おもったより少なかった。

キラキラの火ばさみを持つ親子、ネンキの入った火ばさみ。

京都では、「門掃き」というのがあって、みなさん、お隣さんの領分を侵さず地域の「きれい」を保っておられる。
私のイメージでは、「門掃きせぬ者、地域の者にあらず」くらいの強固な習慣。

うちの地域は、「みんなで地域をきれいになったらええ気分~♪」ってなノリ。

お初ではすぐには馴染めない私だが、なんかこの「ほっとかれ加減」がいい感じ。
そこそこ獲物もとれたので、袋を返して帰ろうと思ったそのとき、「ちょっと待っといてや~。みんな帰ってくるし」。

あ、そうですか。

みんなが帰ってきて解散になったので、スタスタ帰ろうと歩き始めたら、後ろから、「ちょっと、おうち~!もう帰られるか~っ?」

「はぁ。(なぬ?まだなんかあったか?)」

「ちょっと、これ、もうて帰ってや」。

と、お茶とポテトチップス。

クスッ。(別にええのに)と半分思いながら、半分はなんか照れくさく、少し嬉しかった。

名前も聞かれへんし、名も名乗らんけど、地域初デビュー。

いつか私もマイ・火ばさみもっているのかな?