心に青雲

心に青雲とは青雲の志を抱くこと。弁証法、認識論を踏まえ、空手、科学、芸術、時事問題などを論じます。

認識を歪めた人間の末路(下)/静岡児童相談所批判

2008年03月18日 | Weblog
《2》対象を歪めて反映した末路
 続けて、静岡市児童相談所の村松隆之所長ら職員と、市立三保第二小学校のトーヘンボクらに(親切に)認識形成過程を説いてやろう。
 ご両親は、学校の虐待通報と児童相談所の保護=拉致監禁の不当性を訴えていて、所管の静岡市にも不服申し立てを行っている。所管の責任者である静岡市長は自分で直接判断することなく、これは業務分掌の規則により当該処分庁である児童相談所に丸投げしそこから回答させるという愚を犯している。これでは客観性、妥当性を欠く。訴えられている児相自身が市長に替わって弁明する、というより判定をくだすとは、卑劣である。
 この行政のやり口、これを認識論から問題にしていく。彼ら行政側は、これは法律に依拠しているから合法だと言うのであり、そう返答されると市民は反論しようがない。という事態が起きる。いかにも法律に準拠していて結構であるが、そういうズルをすれば、おぬしら公務員がどういう天罰がくだるかを述べていく。

 もう一つ事例を取り上げると、児童相談所は両親の問い合わせにも誠実に答えず、体罰を行った両親の教育方針には耳をいっさい貸さず、「理由の如何を問わず、体罰は虐待」と言い切るのである。そういうふざけた態度をとれば、誰だって(木っ端役人以外は)アタマにくる。アタマにこなければ親じゃない。人間じゃない。
 ところが児童相談所(行政)は、そうやって市民=納税者の正当な法に則った問い合わせにごまかし、無回答を続けて親を激怒させると、それをこと細かく記録していくのである。蛇のような執念深さだ。
 以下は静岡児相の担当者・内山の「ケース記録」の一部である。

(H19.7.25 清水市児相にて母と面接(内山統括、浅沼、近田)
・ 小柄で大人しい感じの女性という印象だったが、席についた途端、写真を撮る。その後、一方的に主張を訴える。
・ なぜ、(児相が)3人で来るのか、私は人間として内山さんと話がしたい。他の2人は邪魔。人数で囲んでも、私はひるまない。何人でも連れてくればいい。警察が来てもいい。
・ (CW近田に向き)あなたは嘘つきだ。所長から電話させるといって、所長から電話が来ていないではないか。嘘つきとは話をしたくない。
・ 児相の言い分を聞く気は無い。相容れる気も無い。
・ 児相のやり方に対して、断固糾弾する。
・ 自分たちのしている体罰は暴力とは違う。なぜ体罰が悪いのか分からない。
・ あなたは自分が死ぬときに、自分達のやり方が間違っていたときっと後悔する。(内山統括に告げる)

 と、こういう記述が延々と続く。ここから読みとれるのは、児相の悪意である。自分たちがいかに不誠実、傲慢な対応をしたかの客観的な記述をいっさい残さず、母親が言っていることだけをあたかも冷静に事実だけ記録しているかに見せる卑劣なテクニックである。
 最初に、「小柄で大人しい感じの女性という印象だったが、席についた途端…」という書き方だが、これは勝手な解釈である。「小柄」も「大人しい感じ」も、解釈である。事実と解釈の違いなどこいつらにはわかるまいが、自分の解釈を事実めかして書くことは役人には許されないことだ。こんなことが許されるなら、「私の印象ではあの男が犯人だと思いますから、逮捕してください。有罪です」と言う証言がみんな正当になってしまう。
 母親が席についた途端、「一方的に主張を訴える」と、こう書く。これは、事態の推移を無視した書き方と言える。仮に一方的に母親が主張したとしても、その前に何かやりとりがあったはずであって、それを書かない児相は汚い。母親によれば、これは母親の話に対して児相が何の主張もできず、黙っていただけのことなのである。
 この「ケース記録」を書いた内山は、自分らにまったく落ち度はないという、木っ端役人によくあるその前提だけを死守して、問題は母親側にだけあるという印象操作を、読む者(例えば裁判官や上部行政機関など)に植え付けるテクニックを弄している。

 つまり、母親が例えば、「電話をしますと言ったのに、かけて来なかった。なぜ電話をかけない」と問う。すると児相の役人は黙っている。黙っているから母親は重ねて「どうしてちゃんと理由を言わないのか?」と問う。それにも黙っている。そういう対応を役人がすれば、市民はだんだんキレてくる。声を荒げることにもなる。そういうことになるよう役人は誘導している。市民を激怒させ、一方的に非難させるようにしむける。それを「してやったり」と役人は「ケース記録」にしたためるのである。かくて裁判所に提出する「児相に有利な」証拠が揃う。
 「ケース記録」を読むと(てめえたちが如何に不誠実な対応をしたかは伏せて)、さも母親がヒステリーを起こして、理不尽な要求をわめいている、との印象を第三者が受けるような記録に仕立てあげてある。

 みなさんも何でもいいから、役所に苦情の電話を1本かければ、これと同じ推移を味わうことになる。経験ありませんか?
 行政は、市民に誠実な対応をしなければならない、とする法律はないからだし、会話の仕方なんてことはどうしたって規則にはならない。市民の問いにひたすら沈黙、無視を決め込んでも、咎められる法律はないから、役人どもは安心なのである。無視しても、それは説明しても相手が理解しなかったからです、と言えば済んでしまう。
 実際、児童福祉法第2条第1項で定義は「児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれがある暴行を加えること」を児童虐待と規定しているから、同法は暴行に至った理由または事情を問題としていないのである。むちゃくちゃな法であり、解釈である。

 いかにも法律によって、それは問題ないよと守られて、木っ端役人どもはあらゆる市民のクレームに勝てるだろう。有史以来、役人が間違いを認めて謝罪したことは本邦においては皆無なのだから、始めから勝負はついている。だから役人どもは、鼻毛を抜きつつデスクでふんぞり返っていられる。もし咎が問われるとしたら、それは市民寄りに同情したり便宜を図っちゃた場合である。それは役人社会では許されない行為だから、左遷の対象になるのだ。左遷されたくないならば、ただ役所の上司の顔色さえうかがっていたらいい。

 こうした児相職員のやり口は、彼らの人生にどんな影響を及ぼすだろうか。原則的には、前回タバコの害を例に説いた中身と変わらない。端的には脳細胞が荒み、蝕まれて行く事態を避けることはできない。それが天罰である。避けることが不可能だから「天罰」というのだ。
 ではそれを論理的に証明していこう。
 われわれ人間は、対象の反映をもって認識を形成していく。その認識形成がくり返され、量質転化することで要は「認識の技化」が起きる。平俗な言葉でいえば「癖」であり、性格になることである。
 例えばカレーを食べているときに、中にゴキブリが入っていてゾッとした経験があるとすれば、カレーという対象は、それ以後、「嫌い」「気持ち悪い」という感情=認識が定着していく。これが急激なる量質転化であって、それが「カレーは嫌いな食べ物」と転化してしまう。いわば「カレー嫌いな性格」になるのだ。

 児相の役人ではどうなるか。
 彼らは、児童の痣を親による虐待だと曲解した事実はいっさい見ない。親の申し立てを検討する客観性は無視している。子どもを叱る際の、親の認識のありよう、感情の質、決断の内容、そういった種々の条件もいっさい見ない。ひたすら「理由の如何を問わず、体罰は虐待」との屁理屈に依拠するだけで、ほかの事情はまったく反映させない。反映させないということが、前回も述べたように致命的にやつら役人の認識を歪めていく。
 人間は本来は動物であって、動物は対象の反映を生きるに必要な範囲で全的に行う。それは本能であるが、見たくないものは見ないなどという芸当はできないし、しない。しかるに人間だけが認識的存在ゆえに、対象の反映を取捨選択し、見たくないものは見ないとか、好きなものだけ見ようとすることができてしまう。例えば枯れたススキを幽霊と見てしまうとか、人の好意を嫌みと受け取るとか…、つまり「問いかけ的に反映」してしまう。
 児相職員の態度は、まさに歪んだ「問いかけ的」反映の典型である。

 人間は、かかる問いかけずんば止まずの存在であるだけに(それが文化・文明を創る原動力とはなったが)、歪んだ、自分勝手な主観を形成しかねないのである。
 それゆえにこそ教育が必須であり、社会的規範(認識)を柱にして認識し行動できうる主体として育て、育ち、しなければならない。簡単に言えば、赤信号では止まらなければならない社会規範が存在するのだから、子どもには叩いてでもその規範を身につけさせなければ、やがて好き勝手な問いかけをして、暴走族になって赤信号無視ともなりかねない。
 人間には、児童のときからどうしても、正しい問いかけ方、正しい社会規範に従った問いかけ方を教えねばならない。
 その正しい問いかけ方を習得し損ねた連中が、三保2小の西村ら教師どもであり、児相の役人たちである。彼らは自分勝手な、自らの仕事にだけかなった立場からの問いかけで認識を創ることを勤しんできた。その一つが、「体罰は理由の如何を問わず暴力」と決めつける、その認識である。

 親の切実な感情とか、社会正義だとか、公平なものの見方とか、情報の精査とかは、絶対に見たくない、反映したくないと決め、ひたすらに、自分らの役所という小社会で強制されたものの見方を当てはめて(問いかけて)反映させてしまっている。
 あの「ケース記録」がまさにその歪んだ問いかけで作成された噴飯ものの記述となっている。市民の問いかけに、ズルを決め込み、無視し、法律と組織の決めごとに忠実でありさえすれば、他はいっさい反映させないありかた。それが技化していくのだ。
 先に説いたように、ことは行政の仕事に限ってでは済まない。脳細胞は1つだから、器用に仕事と生活を区分けして働かせることはできない。仕事のありようは必ず自分の人格形成に影響を及ぼす。よく公務員を揶揄する言葉に「休んで、遅れて、働かず」があるが、その態度がくり返されるうちに、人生の生き方全部に貫かれて性格と化してしまうのである。
 だから恋をしようとしても、まともな知性ある女性からは相手にされないとか、子どもに疎まれるとか、近所付き合いの悪い人と嫌われるとか、定年後に趣味のサークルに入れてもらおうとしても「あんな横柄な人は嫌」と拒絶される運命が待っている。

 子を不当に拉致された母親が激怒するのは当たり前であって、感情的になるのは人間だからである。それが児相の木っ端役には理解できない。他人の悲しみとか喜びとか、困惑とか、悔しいとかの感情は、いっさい反映しない(感じない)ように役人という生き物は自ら訓練している。母親をかわいそうだと思ったら、即座に子どもを返したくなってしまうから、そういう感情豊かな認識にならないように、「鍛えた」のだ。だからあの気持ちの悪い「ケース記録」が書ける。人の気持ちがわからない哀れな人間となり果てたのだ。
 児相の役人どもは、そういう他人の痛みが一生わからない冷酷無情、横柄な人間として生きていくのほかない。それが天罰である。

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7 コメント

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Unknown (放浪する者)
2008-03-18 17:43:09
 以前「公務員の葬式はすごく寂しい」と、ようするに参列者が少ないと、聞いた時は「なぜなんだろう」と思ったものですが『認識を歪めた人間の末路』を読んではじめて得心がゆきました。日々の仕事振りがいつのまにかその人を「人を遠ざけてしまう人格」に変えていたからなのですね。
 昨日と今日のブログはすごく面白くてしかも大変参考になりました。このことを「他山の石」としていこうと思います。
 
Unknown (放浪する者様へ)
2008-03-18 22:06:38
ブログ主です。
コメント感謝しています。
公務員は社会になくてはならぬ存在なのですから、きちんとやってほしいものです。
Unknown (天人)
2008-03-18 22:17:35
税務署の職員がそうだね。
葬式に人が集まらない。披露宴に呼ばれない。カネは貸してもらえない。結婚相手がいない。

庶民からそういう報復を受けるね。
自業自得だ。
しかし世間からそう冷たくされるから、役人がまた庶民をいじめるんだね。
身につまされます (木っ端役人)
2008-03-18 23:02:00
 毎日楽しみにブログを拝見しています。
 今回は、児童相談所の話題が続いていますので、つたない経験から一言意見を申し上げます。
 以前、児童相談所に勤務していたことがあります。当時は28条(保護者の同意を得ずに施設措置を行う行為)を裁判所に申し立てるには、客観的な虐待(の疑い)行為があり、且つ放置しておけば児童に多大な発育(発達)上の問題が懸念され、ケースワークによって改善が困難な場合、というような特殊の場合だけでした。(私は申し立てした経験がありません)
 しかし、今回のケースは、痣等はあったようですが、ほぼ学校の意見だけで一時保護をし、28条の判断を家裁に求めたようですが、「本当?」という気がします。家裁でも「それだけの理由で施設措置の決定をしたの?」という疑問がわきます。
 一時期、児相が関わっていながら虐待により死亡するという事件が、いくつか起きました。マスコミはこぞって児相に押しかけ「なぜ虐待を防げなかったのか」と詰寄りました。近隣の人も「痣を作っていた」とか「よく泣き声が聞こえた」とかの情報がテレビのワイドショーを賑わっていました。児相で聞き込みにいっても、何の情報も出さなかった人たちです。
 そういった世相を受けて、「疑わしものは児童の保護を」といった流れのになり、児童虐待防止法も制定されてきたという過去があります。
 だからといって、今回の件を正当化させるものではありませんが・・・

 今後も楽しみにしております。がんばって下さい。
 私も20数年前、ブログ主と同じ流派で修行をしていたことがあります。もっとも、枯れ枝諸侯になってしまいましたが・・。
Unknown (天人様/「木っ端役人」様)
2008-03-19 13:09:26
ブログ主です。
コメントありがとうございます。
天人様へ おっしゃるとおり、税務署員は最も嫌われますね。

「木っ端役人」様へ 「児相が関わっていながら虐待により死亡するという事件」、ありましたね。あれも仕掛けられた事件ではなかったでしょうか。あの事件を起こして、児相の権限をより強固にしたのではないですか。ロックちゃんならそういうことは平気でやります。
ご相談させてください (本当の人になりたい)
2008-03-21 12:13:09
はじめまして。
いつもブログを拝見しております。ありがとうございます。

突然で恐縮ですがブログを拝見していて、この記事にある、認識をゆがめた人間が、私そのもののだと感じ、ご相談したく投稿させていただきます。

私は28歳、女で、現在縁故採用の会社で働いています。

今までいやなことがあると逃げ、避けてきました。
また、いろいろなことを人に押し付け、甘え、怠けて生きてきました。

最近、本当に脳が働いていないと感じますし、人の気持ちが気持ちでよく理解できません。

マイナス思考が転じて、とても恵まれた環境で生きてきましたが、今、人生に明るい光が見えず、また周りを巻き込んで暗くしています。

最近、彼氏にも自己中心的に冷たくしてしまい、結果的に振られてしまいました。

またもともと怠惰な性格でしたが、最近は、無気力に拍車がかかり、仕事に行きたくなく、ニートになりそうです。

すべては、人生や性格に、量質転化したのだと思います。
危機と感じています。

なんとか人として立ち直りたく、何をしたらよいのか、どうしたらよいのか、あつかましいお願いですが、どうか教えていただけますようお願いします。


Unknown (真奈美)
2008-03-23 13:51:49
最近、本当に虐待して子供を死に至らしめるような事件が続発しているので、後になって児童相談所は何をしている、と叩かれないために、少しでも痣があるのを発見したら虐待だ、という事になっているのではないでしょうか。
実際、虐待で重傷を負ったり、死亡したりと言う事になるとマスコミはこぞって児童相談所の罪!と大騒ぎしますね。でも実際一番責任を問われなければならないのは虐待者のはずです。
マスコミの姿勢もかなりいけないものがあると思いますね。

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