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鈴木大拙③

2017-05-26 11:56:38 | お話
🌸🌸鈴木大拙🌸🌸③


🔸岡村、ここで少し大拙先生の足跡を辿ってみたいのですが、

先生は明治3年に金沢でお生まれになっています。

本名は鈴木貞太郎。

ちょうど西田幾多郎先生と同じ年でいらして、

第四高等中学(現・金沢大学)在学中から無二の親友となられるんです。

東京大学在学中には西田先生の勧めで釈宗演老師に就いて坐禅を学び、大拙という号をいただかれている。

🔹上田、禅の歴史をひもときますと、大拙という号を持った禅僧は何人もいます。

まぁ、固有名詞はともかくとして大拙というのは普遍的、根源的な意味を持った言葉なんですね。

大は大小の大ですが、そういう比較を絶したところにこの文字の真意があります。

拙は「拙(つたな)い」「まずい」という意味に解釈されるのですが、

その根本の意味は、あれこれ余計な計らいをしないということなんです。

つまり大拙とは、

「巧(たく)まないところに、大いなるものが現れる」

といった意味に捉えたらいいと思います。


🔸岡村、私ははまり字を知らないものですから、

そのことを大拙先生にお話ししたら

「大馬鹿になることだ、美穂子さん」

とおっしゃいました。

私にも分かるように簡単な言葉でおっしゃったのでしょうけれども、

深い言葉ですね。

また、後年、民藝運動で知られる柳宗悦先生とお会いされた時、

民芸のお話をしながら

「馬鹿になることほど難しいことはない」

ということをおっしゃってたことがあります。

🔹上田、なるほど。それは本当でしょうね。

🔸岡村、つまり、大馬鹿になることは無心であることと同じなのだと思います。

それが大拙という意味であり、先生のお姿であったと思います。

🔹上田、そうでしょうね。

大拙先生は釈宗演老師から大拙という号をいただかれることで、だんだんその方向にご自分をつくっていかれたし、老師も大拙という方向に貞太郎青年を導いていかれたのだと思います。

🔸岡村、それから、大拙先生の大きな人生の転機ということになりますと、

明治30年、アメリカに渡り、イリノイ州ラサールのオープン・コート出版社の編集員として11年間、

翻訳や通訳の仕事に当たられたことが大きかったのではないでしょうか。

🔹上田、東洋思想を研究されてていた先生が西洋人の思想や考え方に直に触れられたことは、

確かに大きな転機だったことでしょうね。

🔸岡村、先生が勤務されたオープン・コート出版社では二つの雑誌を出していたそうですが、

先生はアメリカ中から送られてくる宗教的な記事を読みながら、

西洋人がどういう考え方をしているのかを深く研究なさるんですね。

そして、これは大拙先生がまだ東京大学在学中、

東京の加賀藩前田家の寮におられた時、同郷の西田先生、安宅弥吉さんとご一緒でした。

安宅さんは後に安宅産業という大商社を興した方ですが、

夜になると三人でよく語り合われたそうです。

安宅さんは

「加賀の商人・銭屋五兵衛のような貿易をするのが夢だ」

と。

西田先生は

「西洋の思想を日本に持ち込んで紹介したい」

と。

それで大拙先生に対して

「君は東洋の思想を西洋に持っていったらどうだ」

という話になったというんです。

まだ明治中頃の無名の青年の何気ない話のやりとりですけれども、

3人ともお話しになったとおりの人生を歩まれている。

安宅さんは大拙先生を資金的に援助されております。

このことは実に興味深いではありませんか。

🔹上田、全くです。

🔸岡村、大拙先生も西田先生も安宅さんも、

その頃すでに西洋思想の限界がお分かりになっていたのではないでしょうか。

戦争や民族の対立をもたらす西洋の相対主義的な考え方に変化をもたらすには、

東洋思想を西洋に伝えなくてはいけない、と。

20歳前後の若者に、よくそういう話ができるものだと感心しています。

🔹上田、しかも、ただ気宇壮大というだけでなく、

根本の部分がはっきりしていますからね。


🔸岡村、大拙先生が東洋思想を西洋人に伝えるために再びアメリカに渡られたのは、昭和24年、79歳になられた時でした。

実に88歳になるまで海外の世話を続けられるわけです。

その事実一つを取り上げただけでも先生の誓願、願いがいかに強いものだったかがよく分かりますね。

🔹上田、先生は西洋に東洋思想を伝えることがどういう意味を持っているのか、ということをはっきり自覚しておられたのだと思います。

美穂子さんがおっしゃったように、西洋社会に東洋思想を浸透させることによって、

東洋や西洋というものを超えて

世界が本当の平和な世界になる。

そこで初めて、一人ひとりの人間が本物になることをはっきり見ておられたのでしょう。

大拙先生は禅の道を歩ながら大乗仏教や老荘思想など東洋の精神的伝統を体現していかれたわけですが、

若い頃から海外で活動され、41歳の時にアメリカ人女性と結婚されています。

ある意味で東洋と西洋を真に自分に親しい世界とすることのできた稀な世界人でいらっしゃったのではないかと思います。

その先生の「願」は東洋の真の意義を探究して、それを世界のために実現していくところにありました。

言い方を変えれば、先生は大乗仏教でいう大慈大悲(だいじだいひ)を現代社会の中で実践していかれたと言えるかもしれません。

🔸岡村、そういえば、大拙先生は晩年、精神医学の会合などでお話しされる場合、

東洋、西洋ということにはお触れにならず、

人間が二本足で立ち上がって、どうなったのか、という話をされていました。

大昔、四つん這(ば)いで歩いていた人間が、どういうわけか二足歩行始めた。

そうすると遠いところまで見れるようになった。

これはすごいことなんだぞ、とおっしゃる。

🔹上田、四つん這いのままでは、前は見えませんからね。

🔸岡村、ところが、二足歩行を始めると、

今度は脳みそが2つに分かれてしまった。

それがいわゆる主観と客観というものであると。

つまり、世界の東西を問う以前に、人間という一人の存在をそのように捉えていらっしゃったんですね。

そして、そうなると人間は、相手や周囲の環境にばかり目を奪われて、

自分というものが見えにくくなってしまった。

もう一度、根本を確認することが大事になってくるわけですが、

そのためには無心になることだとおっしゃるんです。

大拙先生はいつも無心を「ノーマインド」と訳されるものだから、

私、ある時、

「無心とは、マインドがなくなることですか」

と聞いてみました。

すると、

「マインドが、出てくる前があるんだ」

と。

🔹上田、ああ、マインドが出てくる前がある、と。

それもまた言葉を超えた世界なのでしょうね。


(つづく)

(「致知」6月号 岡村美穂子さん上田閑照さん対談より)
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