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シンクロ世界一を目指して③

2016-11-05 12:54:57 | お話
③シンクロ世界一を目指して③


(井村先生がシンクロをはじめになったのはいつですか?)

中学1年の時です。

堺の浜寺水練学校からいただいた勧誘のハガキにいくつか種目の紹介があったんですど、

母が、

「シンクロって綺麗だよ」

って言ったんです。

綺麗だったらしようかなってそれだけなんです。

うちの母は綺麗なものが好きで、

自宅のテレビでもクラッシックバレーとか、
フィギアスケートとか、そういう美を競うものをよく見ていたので、

その影響も大きかったと思います。

でも、私は運動神経が全然よくなかったし、

泳ぐ時もいつもみんなに抜かれていました。

ただ、練習を休むことだけはしなかったんです。

(なぜ続けられたのですか)

指導してくださっていた先生が、ミーティングの時に、才能があるのに休む先輩に向かって

「ともかく練習に行きなさい。

来たら何とかしてあげるから」

っておっしゃっていたんですよ。

下っ端の私は、それを自分に向けられた言葉と受け止めて、黙々と通い続けたんです。

人が休んでも、私は行くんやって。


結局私にはあるのは、

とにかく休まないこと、
続けること、

それだけが唯一の才能だと思います。

コーチになってからもそうですよ。

絶対に練習は休むまい。

休むなんて恥やと思ってました。

中国にはトータルで4年半くらい行っていましたけど、

あの時も、一回も休みませんでした。

休んで練習の計画が狂うのも嫌だっただけ、意地もありました。

わざわざ日本から行って休むなんて許せないって。

だから日本にいる時よりも、ものすごく健康管理に気をつけたんです。


(影響受けた方はいらっしゃいますか)

私が現役の頃のシンクロはマイナースポーツで、それをずっと引け目に感じていたんです。

ところが大学時代の体育の先生が

「僕はシンクロが日本でどれだけの競技人口があるか知っているし、

君が日本選手権で優勝したチームの一人だということも知っている」

とおっしゃって、特技点で100点をつけてくださったんです。

他のスポーツと同じように公平に見てくださったことが嬉しくて、

シンクロをすることに胸をはれるようになったんです。


私はその経験から、1人の人間が1人を助けたら、この世の中が良くなると思いましたね。

私もたった1人でもいい、誰かの人生にいい影響を及ぼす人になりたいと思って、

大学を出て中学校の教師になったんです。


(シンクロの指導者になった経緯は?)

実は、教授時代からシンクロのコーチと二足のわらじを履いていたんですけど、

1981年頃シンクロがオリンピックの正式種目になって、

専任でオリンピック選手を育ててくれと頼まれたんです。

すごく悩みましたよ。

やっぱり教師って生涯の仕事ですからね。

悩んで先輩の先生に相談したら、

「あなたでなければいけないほうをしなさい」

って言われたんです。


その時私はすごく荒れた中学校で生活指導の怖い先生をしていて(笑)、

この学校を静かにさせるのは私でなければダメだという思いがよぎりました。

でもその先生は、

「この学校はあなたがいなくても回る」

っておっしゃって肚(はら)が決まったんです。

実際、私が退職した後に、もっと怖い先生が来て見事に学校を治められましたよ(笑)。

その経験から思うんですけど、

いくら大事な人が死んでもちゃんと時は流れていくんですね。

だから余計に死は悲しいんですけど、

それならやっぱり生きているうちに、

本当にやるべきことをやらなければいけないと思うんです。


(シンクロの指導者として影響を受けた人はいますか)

それは特にないんですけど、1つの転機になったのは、

指導を始めて間もない頃、私のチームメートだった藤原姉妹のコーチになったことです。

彼女たちは双子で、世界三位の実力者だったんですが、

コーチが結婚しておやめになって、

他に人がいなかったので指導することになったんです。

選手のほうがレベルが上っていうのは、コーチにはものすごく辛いんですね。

双子だから体も一緒で息もあっている上に、すごく練習熱心なんです。

ある時スピンの練習をしていたら、微妙に合っていないところがあったんだけど、うまく指摘できない。

仕方なく

「大体合ってるわ」って言ったら2人が顔を見合わせて

「水の中では合っていないもんね」

って言ったんですよ。

ムカッとしましたね(笑)。

結局私には見抜く力がない。

それが悔しくて、ノートに

「シンクロの同調性とは何だ?」

って、ブワーッて書き出したんです。

音の数え方、構え方、指先の伸ばし方、水面からの深さ…、

考えつく限り書き出して、それを練習で見ていった。

半年くらい経ったら、何が原因で合わないか、ちゃんとを見抜けるようになって、

結果的に2人は世界選手権で2位なったんです。

「おかげで、3位から2位に上がれました」

ってお礼を言われた時、

私は勝ったと思いましたね。

この選手たちに勝ったって。


(つづく)

(「致知」2016.12月号より)
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