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幸山船長③

2017-04-21 11:20:55 | お話
🚢幸山船長🚢③


火鉢のある狭い船室から出ると、晩秋の冷たい夜気がこころよく肌にしみとおった。

だらけたような肌の細胞の1つ1つが、新しい酸素を吸っていきいきとよみがえるのを感じた。

「そうさ、芦は風を呼ぶだよ」

私の問いに答えて船長は云った。

「見せえま、東のほうで呼んでるだ、

東のほうから風が吹きだすだよ」

たしかに、船長の指さしたほうから、静かに微風が吹きわたって来るようであった。

私はタバコとマッチを出して吸いつけ、船長にもすすめたが、

船長は欲しくないと云って手を出さなかった。


月はかなり西に移っていて、空には雲の動きも見えた。

岸の草むらでは虫の鳴く音がしきりに聞こえ、微風が芦をそよがせると、

葉末から露がこぼれ、空気がさわやかな匂いに満たされた。

雲が月のおもてにかかると、そのときだけはあたりがほの黒くなるが、

雲が去ると、これらの風景ぜんたいが、明るくて青い、水底の中にあるように眺められた。


幸山船長は、船長の席にあがって腰を掛け、両手で舵輪を握って、ちょっと左右へ廻してみた。

それから、すぐ右にある打金の紐を引いて、ちん、と鳴らし、ちんちん、と鳴らし、

1つ鳴らして次にすぐ2つ鳴らしてみた。

「ゴースタン、これが合図だったよ」

と船長は云った、

「永島へ船が近くなると、こう鳴らしてゴースタンとどなる、

それからスローアヘーとどなってこう鳴らすだ、

おらが29号の船長になってからだがね」

彼は35で船長になった。

水上と土堤(どて)との300メートルの逢曳(あいび)きは続いていたのだ。

むろんずっとではない、

どちらかの都合で相当な期間、お互いに姿を見ないこともあった。

そのあいだに彼女は3児の母となり、彼のほうでは妻に死なれた。

けれども、実生活の煩瑣(はんさ)な用事に邪魔をされながら、

そうすることができる限りは姿を見せあった。


2人はそれ以上に出ようとはしなかった。

これは永島へは近よったこともない、彼女が長く姿を見せないとき、病気ではないかと心を痛める。

本当に病気だったこともあり、誰からともなく噂が耳にはいると、ようすをみにいきたい、

という抑えがたい衝動に駆られたものだ。

しかし彼は、自分の中にある自分以上に強いなにかの力によって、

そういう激しい衝動をきりぬけることができた。


「それでもたった1度だけ、側へよって口を聞いたことがあるだよ」

幸山船長は舵輪に凭(もた)れかかり、そっと微笑んでいるような調子で続けた、

「あれはそうさな、うちのおっかあが死ぬちょっとめえだっけかなぁ、

あのこが子供を伴(つ)れて、徳行からおらの船へ乗っただ、

伴れているのは4つくれえの女の子で、

おらあその子を抱いて渡り板を船まで渡してやっただ、

あのこはあとから渡って、

子供を抱き取りながら、すみませんねえって云った、

おらも云っただ、

いまでも覚えてるだが、

今日はいいお日なみですねってよ」

幸山船長は口をつぐみ、岸の松林のほうをじっと見まもっていた。


「すみませんねえ」

と船長は呟き声で繰り返した、

「、、、今日はいいお日なみですね」


彼が42の年に、彼女は死んだ。

それを知ったのは、60日の余もあとのことであった。

そのくらい姿を見せないことは幾たびもあったので、彼はかくべつ心配もしなかった。

そして、彼女が60日以上もまえに病死したと聞いたとき、

ちょっと云いようのない感動に包まれた。

悲しいこたは紛れもなく悲しかった。

この世では二度と逢えないと思うと、舵輪を握る気力もなくなり、

5日だか7日だから休んで家にこもっていた。

けれども、悲しさや絶望感の中に、一種ほっとしたような、うれしいような気分がうまれていた。

「どう云ったらいいか」

と幸山船長は凭(もた)れている舵輪を指で撫で、暫く口ごもってから云った、

「そうさなぁ、

あのこは死んで、おらのとけへ戻って来た、

っていうふうな気持ちだな、

長えこと人に貸したいたものが返って来た、

そんな気持ちだっけだ、

おらそれから、人形箱の埃を払っただよ」

彼女は嫁にゆくが、心その人形にこめてあると云った。

彼は、いまこそ、それが現実になった、

というように感じられたのだ。

彼は妻に死なれてから、ずっと独身でとおしたが、もはや独りではなく、

彼女が彼といっしょであった。

子供たちの眼があるので、口は動作には決してあらわさないが、

心の中ではいつもお互いに話し合っていた。

「今日は竪川で伝馬が詰っちまってな、高橋まで5時間もかかっちまっただよ。

そりゃあ、たいへんでしたね、疲れ休めに酒でもつけましょうか。

いやよしにすべえ、おらあ酒を飲むと却ってあとが疲れるだから。

それだけが、あんたの損な性分ねえ」


こういうふうな会話が、現実そのもののようにとり交わされるのである。

自問自答とか、空想めいた感じは少しもない。

彼がこんなふうに云ってもらいたい、と期待するときに、

彼女はしばしば彼の意志にさからったり、子供のように拗(すね)たりすることさえあった。


「あのこは、ときどきうちへ帰りたがっただ」

と船長は云った、

「子供のようすをみて来てえだからってね、

むりはねえさ、おら船が永島へはいると、ゴースタンをかけ、

スローアヘーにするだ、

そうするとあのこはうちへ帰るだよ」

これは誰も知らなかったし、誰に気づかれることもなかった。

ただ、永島へかかるときに限って、船を「後退」にし、「微速前進」にするのがわからず、

頭がどうしたんだろう、と云われたことがあった。

「いまでもみんなは、おらの頭どうかしてると思ってるだよ」

そう云って、船長は可笑しそうに喉で笑った、

「ぶっくれの17号船を貰って、

こんなところで、独りぐらしをしているのも、

頭がおかしいせいだってよ」

「独りぐらしだって」

と船長はまた狡(ずる)そうに笑った、

「みんななんにも知っちゃいねえだ、

おらも、こんな話は、誰にもしやしねえだがねえよ」

幸山船長は黙った。

私は彼のうっとりした眼が、岸の上の黒い影絵のような松並木のあたりを見まもっているのに気づいた。

やがて幸山船長は欠伸(あくび)をし、まわりの芦畑を眺めまわした。

「もうじき芦刈りが始まるだ」

と船長は云った、

「するとやがて鉄砲撃ちがやって来るだ、

あれだきゃ、うるさくてかなあねぇだよ」


私は空が白みだしてから、私の「青べか」を漕いで帰った。

そして、二度と幸山船長を訪ねてはゆかなかった。


おわり

(「青べか物語」山本周五郎さんより)
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