hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

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人の機能は何種?

2016-12-11 14:25:11 | お話
🍀人の機能は何種?🍀


「鉱物」の機能を考えてみます。

例えば「コップ」なら、

お湯をためる、水をためる、という機能があります。

「新幹線」という大きな「鉱物」の機能を考えると、

ものを運ぶ、人を運ぶ、という2つの機能を持っていることがわかります。

「機能」とは「役割」のことです。

その役割をいくつ果たせるか、というと、鉱物の機能は、おそらく2つくらいでしょう。

「植物」の役割、機能を考えると、

「木の実を食べてもらって、動物を生き長らえさせる」

「二酸化炭素を吸い込んで酸素を出す」

「防風林、防砂林、防雪林になる」など、

おそらく20くらいはありそうです。

今度は「動物」の機能を考えてみます。

動物は、自分の身を投げ出して食物連鎖の中に存在していますから、

それによって相手の動物を生かすことをしています。

自分が木の実を食べて排泄したフンの中で植物の種を運ぶといった機能も含めると、

おそらく、200くらいはありそうです。

続いて、「雲」の機能を数えてみます。

雨、曇り、あられ、ヒョウ、風を起こす、竜巻起こす、太陽を隠すなど、

おそらく2,000くらいあるでしょう。

では、「人間」の機能は、どのくらいあるのでしょうか。

鉱物は2、植物は20、動物は200、雲は 2,000だと推定すると、

「人間は2万くらいかな」

と思ってました。

私は、そのことを、ずっと宇宙に問いかけていました。

そして、2年ほど経ってから、

次のような答えが降ってきました。


「人間の機能は、喜ばれた数だけ存在する(つまり無限に存在する)」


まったく想像していなかったことに、私は衝撃を受けました。

電気が走るとか、鳥肌が立つというレベルを超えて、

体が震えてしまいました。

たとえば、隣のおばあさんが駅の階段を上っているときに、荷物を持ってあげた。

そして、おばあさんから「ありがとうございます」といわれた瞬間に、それがひとつの機能になります。

駅で、びしょ濡れになって立っている人がいて、

自分が帰る方向が同じだったとき、傘をさしかけて、

「途中まで一緒に行きますか」

と声をかけ、

「ありがとうございます」と言われたときも、それも機能のひとつになります。

しかも、相手は人間だけではありません。

すべてのものから喜ばれたときに、「私」は、機能を持つことになります。

私がマイクを机の上にそっと置いたとき、マイクが、

「あぁ、この人の前にマイクとして存在してよかった。

そっと置いてくれたので嬉しい」

と思われたとすると、「喜ばれた」ことになるわけです。

あなたがガラスのコップを「どーん!」と置いたとき、

コップに入り込んでいる魂があるとして、

「あやうく割れてしまうところだった。
あぁ、この人に持たれたくなかったな」

と思ったりすると、「喜ばれなかった」ことになります。

でも、心を込めてそっと置いたときに、

「この人に持ってもらってよかった」

とコップに思えて思ってもらいもらったとしたら、

コップに「喜ばれた」ことになります。

人間だけは、自分の意思によって、

自分の機能をいくらでも増やせます。

私はそのことに気がついて、「喜ばれること」を投げかけ始めると、

人間である「私」の機能は、無限に増えていくことでしょう。


(「ありがとうの奇跡」小林正観さんより)


人間は、生きた人の分だけ、機能があるんですね。
いい機能をたくさん残して行きたですね。(^_^)

ノーベル賞への道⑤

2016-12-11 12:34:10 | お話
根岸ノーベル賞⑤


(そこからどう道を開いていかれたのですか)

🔹ペンシルベニア大学でお世話になっていた化学科の主任のチャールズ・プライス教授がたまたま京都大学にこられていたので、

相談に伺いました。

自分はもう一度アメリカに行って、博士研究員として勉強したいので、推薦状を書いてくれませんか、と。

そしたら、すぐに推薦状書いてくれましてね。

そのおかげで、三つのオファーをいただくことができて、

その1つが後に私の恩師となるパデュー大学教授のブラウン先生からのものだったんですよ。

ブラウン先生のことは、ペンシルベニア大学時代に講演を聴いていて、その時から興味を持っていたんです。

そのこともあって、私はブラウン先生のところにお世話になることを決め、

結果的には
博士研究員として4年、助手として2年の計6年間を過ごしました。


(ブラウン先生からはどんなことを学ばれたのですか)

🔹ブラウン先生からは常に新しいことに挑戦することの大切さを学びました。

新しいことやるには、やはり新しいことをやろうと本気で思うことから始まる。

新しい分野を切り開いていこうと、心の底から思わなければ成功を得ることはできません。

それと、先生は何事にも諦めるということをしない方でした。

ですから時に挫折をしてもへこたれず、

プラス思考で最後まであきらめない姿勢はとても刺激になりました。

一方、ブラウン先生とはずいぶん議論もしました。

というのも、先生のところに行ってすぐの頃に、

「私は先生のおっしゃるような方法では望ましい結果は得られないと思います」

とはっきり申し上げたことがあるんですよ。

(それはブラウン先生も驚かれたでしょうね)

🔹当時私は31歳で、ブラウン先生は55歳。

ずいぶん歳は離れていましたが、ブラウン先生は決して怒るようなこともなく、

意を尽くして議論に付き合ってくださったんですよ。

結局、それから2ヶ月後に私の言ってることのほうが正しいことが分かったわけですが、

先生の私の対する謙虚な姿勢というのは非常に印象的でした。

その後は、関連する文献の過ちを見つけては訂正するなどして、

その分野における研究データをかなり塗り替えることもしました。

そのためブラウン先生からは絶大なる信頼を得ることができました。

(ブラウン先生にとっても、根岸先生は良きパートナーのような存在でもあったわけですね)

🔹それもあるかもしれませんが、
やはり私にとってブラウン先生との出会いがなければ、

ノーベル賞は取れなかったでしょうね。

私はノーベル賞が取れる確率はどれくらいかということを考えたことがありまして、

だいたい、10の7乗分の1の確率ではないかと思うんです。

(それはどのように算出されたのでしょうか)

🔹1901年に始まったノーベル賞の受賞者は1,000人くらいなので10の3乗。

その間に、この世に生まれた人を、およそ100億人、

つまり10の10乗だとすると、

ノーベル賞を受賞できる人の確率は10の7乗分の1になるという計算です。

しかし、これでは宝くじを買うようなもので、

夢はあっても現実味をほとんど感じません。

そこで私が考えたのは、10の7乗分の1を分解して、10人に1人が勝ち抜く競争に、7回連続で勝てば、

ノーベル賞が見えてくるのではないかということです。

例えば中学、高校、大学と10人に1がいける学校に進学すれば1000人に1人、つまり10の3乗分の1になれる。

私の場合、さらにフルブライト留学、そしてブラウン先生との出会いによって、

10の5乗分の1まではいけたと思うんですよ。

そうやって、7段ある階段を上った先にノーベル賞が見えてくるのではないか、と。


(「致知」1月号 ノーベル賞受賞者 根岸英一さんより)