空に浮かぶ月の灯り

自分が体験したスピリチュアル、覚え書き。

しんにょ。

2014-10-11 03:10:18 | スピリチュアル
少し寝たら落ち着きました。
さっきまで疲労感はんぱなかった…(´・ω・`)

で、さっきのブログの内容。。眠たい中で思い付くまま文字を打ったんですけど。

どういう意味?ってゆうのがちらほらありまして。。
これもメッセージなのかな?
忙しくなるとお守り役さんの声感じなくなっちゃって。
最近全然コンタクト取れてないんです。
あっ、でもコンタクトっていうのは、私が言葉として知覚できる性質のって意味であって、気付かないうちに受け取ってるメッセージはいつも通りあったと思います。
そうでもなきゃ、あんなしんどいの越えられなかったよ(´・ω・`)
んー。
や、お守り役さんだけの力じゃなくて、周りの人の協力もあったからこそ乗り越える事が出来た。ってやつですね。皆のおかげだ。

話を戻して…。
私が気になった箇所は
「誰も傷つけずに」
「不変でありたい」
ってとこです。

私はいっつも、「生きてる以上、人なりその他の生き物なり、迷惑もかけるし傷つけることもある」っていう事を考えてたんですけど、これじゃ矛盾してるよなぁ…というのと。

不変の意味がいまいちわからなくて。不変でありたい。ってつまりどういうこと?

と読み返して思った次第であります。
(´・ω・`)ちーん。

で、考えても「誰も傷つけずに」の部分はちょっと今、上手く説明できそうにないので

「不変」から攻めてみたいと思います。笑

不変は、そのまま。何も変わらないという意味。反対語は、可変。
生きてる以上、成長しなきゃだし。失敗だらけの人生、前向いて頑張らなきゃだし。不変って、いつまでもこのままの自分じゃあかんやん。
でも、不変でありたい?ん????

で、不変を調べた時に、不変の真理っていう言葉があるのを知って、またそこから色々調べたら、仏語に「真如」という言葉があるのを知りました。

以下、Wikipediaより。

『真如(しんにょ、tathatA / tathatā; bhUtatathatA / bhūtatathatā भूततथता)は、「あるがままであること」という意味があり、真理のことを指す。

金剛般若経 のサンスクリット本に出て、「真如性」と訳されている。「真」とは真実、「如」とは如常の意味である。諸法の体性虚妄を離れて真実であるから真といい、常住であり不変不改であるから如と言うとされる。』

…だそうです!


わっかんねーよ!!と思われたそこの貴方。
うんうんわかった!つまりあれね、腐っても鯛とかそういうあれね?と思われたそこの貴女。

私も正直、意味わからん。

でもアナ雪の、ありの~ままの~♪的なあれであるということだろうとは思います。

じゃ、「ありのままの自分でありたい」の方がすんなりしっくり分かりやすく表現できるんじゃね?
何でさっきの私はわざわざ分かりにくい(意味もわかってない)言葉を用いたのか。
やっぱりメッセージだったからなのかな?
と思うわけですよ。

不変。不変ね。。

んんんー。もういいや。疲れたから考えるのやめよう。ごめんなさい。笑

話題変えていいですか?
良くなくても変えっけどね!笑

アニメ寄生獣が始まって嬉しい~(*^¬^*)
小学校の頃に家族が読んでるのを私も一緒に見て、当時はすごい衝撃的だったんですけど、でもはまっちゃって。

最初キモーって思ってたミギーが、最後は遠い存在になってしまうのが悲しくて泣きながら読んだの、覚えてます。遠い存在になったわけじゃないのにね。いつも側にいるのに、なんで言葉を交わせない事が、寂しくなったりするのかな…。って思ってると、ミギーが最後にもう一度出てきてくれて、「それはね…」って教えてくれるの。その意味は、当時よくわかんなくて。「そんなんどうでもいいから戻ってきて(;_;)」って思った。笑

今になって考えてみても、やっぱりちゃんとはわからないけど…。

何かに必死になるのも良いけど、どこかで余裕を持っとかないと駄目だね。と思う。
自分をいたわってあげられる余裕。
他人に目をかけてあげられる余裕。

映画の寄生獣も楽しみです(*ノ▽ノ)

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