故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

声なき声を聴く

2017-01-09 03:12:18 | プロジェクトエンジニアー

真面目一本。
そういう印象でした。
本当のところは解りません。


工場造りというプロジェクトの仕事を、長年にわたってやってきました。
ずーっと作る側でした。機械を作ったり、工場を作ったり、
仕組み作りから運用の手助けまでしました。
最近の2年間は、工場を使う側で工場造りをしました。
作る側は、持つ技術を売ろうとします。それが顧客から求められているからです。
20年以上使われる機械やプラントを売るようになって、
求められているものを売るだけでは駄目だと思うようになりました。
20年先は、予測がつかない。
寄り添うような営業となりました。
頻繁に顧客のもとに通って、顧客の声を聴くようになりました。

使う側になって初めて、売る側は使う側が求めるものの半分も提供していないと
判りました。求めるものとは、使う側でさえ予測がつかないものでした。
こちらも予測不能なことでした。

今日のテーマは、「声なき声を聴く」です。
保護司のばっちゃんについて、報道していました。
悪さをするのはお腹が空いているからだと、
非行に走りがちな子どもたちにご飯を食べさせる。
お腹がいっぱいになると、子どもたちは本音を話し始める。
そして街に出ていく。また、悪さをする子もいた。
ばっちゃんの家は、お腹がいっぱいになる食堂でした。
食堂に通えなくなって、実は食堂ではなかったと気づく。
苦労ばかりが多い、ばっちゃんの仕事。
感謝の言葉を言わない子供達。

私はこの報道を視ていて、子どもたちに語彙が少ないと感じました。
状況に応じた言葉が出てこない。
しかしよく聞いていると、彼らは訴えていることが判りました。
「助けてくれ」と面と向かって言われたことがありますか。
ばっちゃんにどうして続けるのかと質問した取材者への
ばっちゃんの絞り出すような答えでした。

予測不能な工場造りの場面での「声なき声」とは似ていますが少し違います。
ばっちゃんに届く声は切羽詰まっている。
予測不能な工場造りの声は、切羽詰まっているとはいいがたい。
しかし、工場を運用する側から見れば切羽詰まっている。
工場を作る際、なかなか聞こえてはこない声です。
工場を作る側も、使う側もこの聞こえぬ声を聴かなければならない。

言葉面だけでは聞くことができない声を聴く。
ばっちゃんは、続けているから聞こえてくるのです。
ばっちゃんに届く声は、悶絶する「叫び」として
(ばっちゃんには)聞こえているのです。

声なき声を聴く。

冒頭の彼にも、悩みがあることでしょう。
悪さをする子供に共通して言えることは、「居場所がない」ということでした。
つまり、常に空腹なのです。その空腹を満たす場所がない。
空腹なのは子供だけじゃない。大人は、揉まれて食うだけのことはできる。
しかし、本音を言えば、大人も空腹なのかもしれません。
20年先が見通せない工場を任された運用者もやはり空腹なのです。
どこにその不安を伝えたら良いのか分からないからです。

腹満たし つんぼとおしが 会話する

2017年1月9日

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