故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

おかげさま

2017-07-14 07:26:36 | プロジェクトエンジニアー

郡山から友人に連れられてカフェに来られました。
良い出会いになったでしょうか。
おかげさまで。


今日のタイトルは、「おかげさま」です。
相手の親切などに対して感謝の意を表す挨拶語。(広辞苑より)

最初にタイトルを書きます。
自分なりに、言葉に集中するためです。
また、興味がなかったら読まないでくださいと言う意思表示です。
読者の貴重な時間を奪いたくない。

田舎に来ると、たくさん採れたものを分けてもらうことがよくあります。
タダではありますが、無料ではありません。
循環の輪の中へのいざないです。

都会にいる時、母や親せきから大量の野菜を送ってもらいました。
保管する冷蔵庫がない。
旬のもの(筍、山菜、きのこなど)の料理の仕方が分からない。
そもそもそんなに大量には食べられない。
言える人には、送るなら考えてと伝えました。
しかし、この地に来たらそれは日常のことになりました。
筍が要るかと聞かれ、コンテナ一ついただきました。
筍は、4時間以上過ぎるとえぐみが出てくる。
一次料理(糠を入れて煮る)用の大きな鍋が必要になりました。
捨てようと思っていたものの利用価値が初めて解りました。
水と一緒に、何重にもしたビニール袋に入れ都会に住む複数の友人に送りました。
食べ方も添えて送りました。
要るかと聞かれたら、「はい、ありがとうございます」と何でもいただきます。
乞食ではありません。その利用の仕方を一生懸命考えています。
今は使えないものだけど、使えそうなもの(家具、道具、機材資材)を保管する
ために、空き家を利用しています。

私達は、元を正せば瀬戸内の島育ち。
いかに多くのものが採れたからと言って、野菜がタダとは思いません。
何かお返しはないかと考えるものです。
この地に無くて、喜ばれるもの。
買って渡すわけにはいかない。
ホームベーカリーでパンを作って、フライパンでお好み焼きを作って、
お返しにしました。

貴重な時間を割いて、話をしてくれた方の似顔絵を描きました。
コピーではなく、原画を渡しました。

どうしても返せないものやことがあります。
恩です。
あの時、この人が私にしてくれた親切です。
気づいたのも遅ければ、返す力が付いたのはもっと遅い。
返すことが出来ない相手がたくさんいることに気づきました。
恩返しするには、親は亡しです。

田舎のタダは、循環します。
もので返せないなら、サービス(無償の労働)で、
直接返すのが野暮なら、その子供へと循環します。

地域おこしの仕事をしています。
動機は、「故郷へ恩返し」です。
地域おこしの仕事は専門職だと今では思います。
ピンポイント(限定された時間に、ニッチの世界で、本当に必要とされる)の
仕事です。兼務では簡単ではない。しがらみと優先する本業があるからです。
故郷は、自分の故郷ではありません。
日本であり、世界であり地球です。もっと大きなものかもしれません。

自分が変わることで、受け入れられる田舎の生活です。
都会では、こうだった。あそこではこうした。
これは通用しない。地域にとけ込みたいなら自分が変わることです。
外から目線で内から発信と言われます。そうして欲しいとも言われます。
これは、私をよそ者と思っている証拠です。
現に、地域の仕事(草刈り、公民館の掃除)には出なくても良いと言われました。
地域に住みながらそれは出来ません。
つまり、私達はよそ者です。
自分から草刈りも掃除もさせて欲しいと頼みました。
この人は、地域おこしの人で、いずれ去る人と思われていました。
そうじゃない。
カフェをやる時、5年はやるからと賃貸契約書に明記しました。

おかげさま。
今では、ここの住民として付き合ってくれるようになったと感じています。
よそ者でもうちの者でも良いのです。
沖縄では、うちなんちゅうとやまとんちゅうと、はっきり区別されます。
笑顔の対応ではありますが、沖縄に通い始めて3年目にして、
やっと仲間に入れてもらいました。
どこでもそうです。
転職を6回繰り返しました。
3年間は、信用してくれない。すなわち仕事をさせてもらえない。
外資系の会社で働く日本人が、「ムラ」を作っていました。

地域おこし協力隊の募集要項にある踏み絵(移住を希望)も妙な話です。

おかげさま。
と気持ちと共に、余った財産がタダで回ります。
日本の原風景です。
省エネであり、財産の無駄使いを防ぐ知恵です。
都会では、回らなくなった。勘違いする人も多くいる。
田舎でも、この意識が薄れてきています。
お金が回す循環になったからです。
お金にならない草刈りや祭りは必要ない。
そうでしょうか。
日本中で祭りがあり、美観を保つためにゴミを拾っています。

空き家が余っていれば、整備をして必要な時に必要な人に一時預ければ良い。
耕作放棄地も同じです。都会では、市民農園をやりたい人が順番待ちをしています。
若い子育て世代が、幼稚園の空きが出るのを待っています。
移住しろというから、話はややこしくなる。

余った財産と作り過ぎた野菜を捨てています。
なんとか循環ができる仕組みを作りたい。
効率だけを追い求めた縮図が空き家です。
それは田舎だけじゃない。
人口が減っている日本全体(都会も含め)で起こっていることです。

田舎を出たければ、「行ってこい」と背中を押してやれば良い。
帰って来たければ、いつでも帰ってこい。
それまで俺たちが守っているから。

おかげさま。
と私達は生きてきました。
これからも生きていきます。
子供達に、循環の意識を伝えていきたい。
できることをできる時にやる。
それには、したいことが出来る場(職場、子育て、憩いの場)を
作らなければならない。

一番大切なことは、人材を作ることです。
工場誘致なんかじゃない。人材がいれば工場は出来るからです。
特産物を売ることじゃない。美味しいと食べてもらうことです。
無料じゃない、タダのおすそ分けです。

おかげさま。

放射能 都会で発表 彼も我

2017年7月14日
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