ひだまりクリニック~産んだ後にも母親学級~

杉並区で小児科医がひらいている母子で集えるクラスです。

「母性」って種みたい・・・

2013-03-18 22:53:53 | 母親への支援

先週、お話をさせていただけるということで、母親を支援する仕事をしている専門家の方々に講演会をさせていただく機会がありました。

私には、ほぼ初めてのこと。

お母さんにお話しすることには少しずつ慣れてきたけれど・・・

よい話ができるだろうかと心配で心配で。

でも、母親支援ということは、私にとっても子育て支援と並んで(というかより重要視してるかも)

大事に思っていることなので、チャレンジすることにしました。

結果は・・・がんばってみてよかったなと思います。

私自身、よい学びになりました。

自分の母への思いと、多くの子育て中の母たちへの思いと、自分が若かった母だったころの自分への思いと・・・

いろんな思いが渦巻いて・・・ぐるぐる・・・そんな二日間でした。

母への思いというのは・・・少しだけできた市内観光の神社でのお参りで、神様と同時に母にも自然に話しかけてました。

「あーちゃん、見ててね。頑張るね。」と。

(あーちゃんは母のあだ名、おばーちゃんなんていわせないわよ!って、息巻いてたの)

そして、子どもに読み聞かせた絵本を思い出しました。

「おおきなのはら」という本。

かわいい動物のこどもたちが、おかあさんにやってごらんといわれて、

「みててね」といって、がんばってみるという繰り返しのお話しです。

絵がとてもかわいい、ほのぼの絵本です。

母は、亡くなっても私と一緒にいる、見守ってくれてる、見ててねと語りかけて頑張れる、そんな存在です。

その母が、理想的な母だったかというと・・・どうなんでしょうね?

叩かれたこともあったし・・・厳しかったです。

でも、私が子どもに厳しくしてしまうとしょげていたときに

「子どもは愛情が通じれば大丈夫よ!」といつも励ましてくれました。

そこが難しいとも思ったりもしたのだけれど・・・

 

母親が生き生きしていることは、子育てには必要なことだと思っています。

その母親が生き生きできないのは、子育てそのものに自分自身が取り込まれ過ぎてるのかも・・・と思ったりします。

自分がうまくできないのは自分のせいだと思い込みすぎ・・・。

なんでもかんでも自分のせいだと自分を責めるのはやめた方がいいのですけどね。

「可愛いと思えなくて母親失格ではと悩んでいる母親がいる」という質問を受けました。

 長い間、たぶん次男が生まれるまで、私は、自分が母性的でないかも・・・ということに悩んでいました。

そのことを見ないようにしていた。目を背けていました。

確かに可愛いけど、辛いこともあるし、泣きたくもなりました。投げ出したいときもあった・・・

「母性」ってなんでしょう?

そして、そんなものないよという人もいます。(そんな言葉に気が楽になったこともあります)

でも、そんなことはないと私は思います。

やっぱり母性ってあると思う。

母性的な人はいると思うし、とても母として幸せそうに輝いている人もいます。

(自分でそうでないと思ってる人は幸せそうな人を見てて辛くなったりもするんです、かつての私もそうだった)

みんながそうなれないのはどうしてなんだろうか?

それは、その人の持つ母性の素というか種というか・・・それがいろいろなんじゃないか?

その種がある場所がいろいろなんじゃないか?

そんな風に考えています。

その人の性格や育った環境や背景で、もともと芽の出やすい種とそうでない種がある。

さらに、種の蒔かれた土地がどんな土地かによって(母親の生活環境によって)母性は育ちやすくも育ちにくくもなる。

固い芽の出にくい種が、日の当たらない乾いて荒れた土地に落ちた場合と・・・

もともと芽の出やすい種が、陽のあたる豊かな土地、潤った場所に落ちた場合と・・・

全く母親としての感情の育ちは違ってきます。

 

お母さんが周りから大事にされない、尊重されない、そんな環境では、子育てはとても難しいものになります。

お母さんは取り巻くすべての人、地域や社会から大事にされるべき存在です。

だから、お父さんは重要な人だし、お母さんを支援する人は、重要なキーパーソンになりえるのです。

種の芽が出るように・・・おひさまは見守ってくれている。

だから、お母さんを取り巻くすべての人は種に水をあげたり、養分を土にあげたり・・・

そういう支援を大丈夫だよといってあげながら見守ることが大事なんです。

なかなか芽が出ないということだってあるかもしれない。

お産が辛かったり、身体が元気になれなかったり、経済的な困難があったり、DV家庭だったり、そんな過酷な環境だってあります。

その種に一番よいものもそれぞれでしょうし・・・

支援者は、いろいろなアプローチをすること、連携してやっていくこと・・・。

温かく見守って、ゆっくりじっくり待つ姿勢で支えていくこと・・・。

そのお母さんの背景にヒントがある場合もあるでしょう。

 

聴いてくださった方の中には、虐待家庭の支援者もいらっしゃって、うまく答えられない質問もあったのですけれど。

でも、多くの方々が一生懸命できることに取り組んでいらっしゃることを改めて知って、本当によかったです。

私も、自分の置かれた場所で、出会うお母さんに元気でいてもらうために自分にできること、

これからも捜して取り組みたいなと思っています。

なかなか種が出ないと苦しい人もいるかもしれないけれど、時間がかかるのも悩むのも悪いこととは思いません。

そういう悩む時間が、また母親を育ててるのだとも思うからです。

助産師さんが素敵なお話しをしてくださいました。

一人目の子どもが発達に問題があって、自分もつらくてかわいいと思えなかった日々の後で、

二人目が生まれて可愛いという感情が持てたとき・・・

一人目の子との関係もよくなって、今までの苦労も受け入れられた上で、一人目も可愛いと思える自分になってたという・・・話。

母としての自分にとって、必要なことだったのだと思えたのだと思います。

本当に素敵な話ですね。

私も同じです。

一人目のお産や子育ての苦労、こんなものではないはずだという想いがあったからこその二人目のお産と子育て。

繋がっているんですよね。

悩みそのものが、母を育てているということなんでしょうね。

苦しい最中は、気づかないことも多いのですけどね。

今回、よい経験でした。

質疑の時間によいお話しをしてくださったみなさま、拙い話を聴いてくださったみなさま、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 


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