ぺんぺん草

うたごころ*こども・・・語りつむぐことなど

ダウン症のこどもたち

2009-09-14 23:05:39 | 子育て
9月14日
雲の形も秋、空の青さも秋、畑も秋、身ほとりの秋を楽しみたいと思う一日でした。畑も大急ぎで、夏野菜の後片付けをし、土を返し肥料と腐葉土や籾がらを入れ今はもう大根の芽が出ています。黒い土と緑の双葉のコントラストがきれいな時期なのです。今年はニンジンに挑戦します。時無しニンジンが作りやすいとあり、15センチほどの丸っこいニンジンが収穫できるそうです。種をきれいに筋撒きし、かすかに芽がのぞいています。ホウレンソウも芽が出始めました。

あちこちに蝶々が飛び交い、そのうちにアオムシを退治する作業がやってきます。手でつかめない人はお箸を使いましょうとテレビ「野菜の時間」が伝えていました。薬剤を使用しないで無事に育てるには、見つけたら捕ること。コンパニオン野菜の利用もやろうと思います。夕方の畑はいつもの顔ぶれが集まって話が弾みます。そしてお互いに温かな気持ちを抱いて夕餉の支度に帰っていくのです。

土曜日(12日)に久しぶりに「はな・はな」の皆と託児の仕事をしました。今年まちづくり事業に応募され、市の支援を受けることになった団体のお手伝いです。ダウン症の子どもを持つ親たちの集まりで、情報交換や講演会をされるため、その時に子どもたちの託児が必要となります。0歳から2歳までの子どもたち16人ほどが初めてお母さんから2時間も離れる経験をしました。さっとお昼ねしてくれた子、2時間ずっと抱かれてすごした子、おもちゃで遊べる子、おふとんに下ろすと目をさまして泣く子、ボランティアはみんな全力で対応です。

今は幼くて、どの子も健常児と変わりありません。お母さんの顔を見てほっとするのも、知らない人に抱かれてずっとがまんしていた様子も。もう少し大きくなった時から始まる両親たちの心配や、抱える問題について、この日は熱心に話し合われたようです。一人で悩まないで、同じ思いを分かち合う若い人たちの集まりがあり、真剣に歩まれる活動の支援に、2時間という短い時間でしたが参加できてよかったと思います。「はな・はな」の子育て支援はこれからもまだまだ続きます。かわいいしぐさで「さよなら」と手を振ってくれ、一番最後にお母さんに抱かれて帰っていった子の笑顔が今も浮かんできます。

この秋から、政治は変わります。どうなるのか不確かではありますが、国民の声を聞く姿勢だけはつらぬいてほしいと思います。自分の選んだ人がどのような活動をするのか見守ることが大切です。希望学を研究する時代とか、この日出会った子どもたちや、親たちの希望をつむぐ社会であってほしいと願います。
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こわれそうな おかあさん

2008-06-19 01:11:02 | 子育て
6月18日
手づくりが好きな人が集まって編み物をしています。会場は支援センターです。月曜日にセンターに子どもを連れた女性がやって来ました。1歳5ヶ月くらいの女の子を抱っこしてロビーの掲示物をキョロキョロ見ておられたので、声をかけると編み物の部屋へ入ってきました。

おもちゃを出すと女の子は早速遊び始めました。
「よく遊べるお子さんですね」と、まずお母さんの気持ちをほぐそうとしました。お母さんの表情はそれは、それは不安定で、私達は心の中で「何とか自信を持ってもらわないといけない!」と思ったのです。

そんな気がかりは顔には出さず、どこから来たのかとか、子どもさんはいくつ?とか声をかけました。
 「1歳と4〜5ヶ月です」との返事でした。

4〜5ヶ月という返事に、わたしはとても戸惑いました。親なら「○ヶ月です」とはっきり言うところなのに。夫の両親と同居しているそうです。子育てサロンへもよく出かけるそうですが、どこもお母さんの落ち着ける場所とはならなかったようでした。

自分の子がまだしっかり歩けないことを気に病んでいる様子が見えました。
「ゆっくり育つ子もいるし、そのうちに走りまわるようになるわよ」
「言葉なんか、うちの子はとっても遅かったのよ。でもね、2歳半がすぎたら、ペラペラうるさいくらいしゃべり出したの」
私たちの子育て経験を色々と聞かせ安心させようとしたのでしたが、耳に入らなかったかのように、おかあさんはそわそわ、ふわふわして、子どもの遊びの相手も上の空で、何を求めてこられたのか、どうしてあげればよかったのか不透明なままの出会いでした。

こわれそうなおかあさんでした。現状をどうにか変えたいのだけれど、どうする考えも湧かなくて、相談できる相手もできず、毎日苦しい空気の中で子育てをしているようでした。

子育てサロンは親も子もゆったりできる場でなくてはなりません。しかし、表面的には楽しそうでも、互いに子どもを比べ合う場ともなるのです。発達の早い子を持つ親はいいのですが、歯が生えない、いつまでもハイハイばかり、一人で立たせようとすると怖がってしゃがんでしまうなど、親の気持ちはあせりだします。親身に話せるお友達ができる場合は子育ての不安も薄れますが、友達のできないお母さんには、不安が広がる場所ともなるのです。

サロンを開設している公民館あるいは市民の自主サークルは、いつもそんな親に心せねばなりません。サロンを開いてさえおれば良いというお役所的なところでは、多種多様なおかあさんたちへの対応はなかなかできないと思われます。

どこにも居場所ができないおかあさんは、子どもが3歳になるまで持ちこたえられるのでしょうか。仕事を始めて、保育園に預けたらという解決方法もすすめたのですが、仕事で得るお金の額と保育料を天秤にかけると馬鹿らしくなるのですと話されていました。

気軽に行けて、でも真剣に対応してくれる子育て相談をする所が必要でしょう。予約が要る、2.3ヶ月待たされるそういう子育て相談が現在も行われています。子育ての相談は専門家や保健師さんにつなぐよりも、まず身近で、気軽な、明るい縁側のような場所で話されることで、案外落ち着くことが多いのです。深刻な問題ならそこから専門家につなぐこともできます。

思い余って、何かが起こる前に先輩ママたちが手を差し伸べられる仕組みをやはり、あちこちに、作っておきたいと思うのです。対人関係をうまく結べない人たちが増えていることも気がかりです。「また、うちのセンターへ来てね」と編み物仲間は声をそろえて言いました。本当にまた来てくださいね。待っています。
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おてがみ

2008-02-04 00:17:38 | 子育て
2月3日のち
立春の頃はいつも寒さのピークです。天からの手紙とたとえられる雪片が、今朝は窓の向うに絶え間なく舞い降りていました。きっとたくさんの人からお手紙が届いたのでしょう。後に残した人への思いを本当に言葉で伝えられたら、どんなにいいことでしょう。金子みすずさんや、中条ふみ子さんからのお手紙が高い高い空から白い雪に乗って届いたらすばらしいだろうなと思った朝でした。

「おてがみ」というお話があります。子どもたちの大好きだった本の中の一編です。アーノルド・ローベル作「ふたりはともだち」です。がまくんとかえるくんはともだちです。がまくんはおてがみを待つ時間がかなしいとかえるくんに話します。おてがみをもらったことのないがまくんは、かなしい気分で玄関にこしをおろしています。大急ぎで家に帰ったかえるくんはがまくんにおてがみをかきました。

『しんあいなるがまがえるくん。ぼくは きみが ぼくの しんゆうで あることを うれしく おもって います。きみの しんゆう、かえる』というおてがみでした。

「ともだち」の真実を伝えているみごとな作品です。小学校の教科書にも載っていたと覚えています。何かを書く作業は考える作業でもあります。こどもたちに伝えたいことをお話にすることはわたしの夢です。がまくんとかえるくんのぬいぐるみを最近お店で見かけた人はいませんか。一目見てそのぬいぐるみを買ってしまった娘と「ふたりはともだち」のことを懐かしく思い出したのでした。

ふたりは おてがみが届くのを長いこと待ちますが、がまくんはとうとうかたつむりさんからおてがみをうけとります。手紙を待っているときのふたりはとてもしあわせなきぶんにひたっています。

手紙を待つたのしさはほとんど失われ、ダイレクトメールやカードの支払い明細書ばかりが郵便受けに入っています。税金の連絡もよく届きます。忙しい時代は紙に言葉を残すことがなくなり、しみじみと読み返す愉しさもなくなりつつあります。
手元に置いておきたいという手紙を持っている人は本当に幸せだと思っています。
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天国で抱きしめて

2008-01-25 00:48:59 | 子育て
1月25日
雪になりました。

 雪の降る日に「春」とう一文字を
 ひとりの部屋のガラス戸に書く

春はまだ遠く、寒波が日本を覆っています。23日深夜に山中いづみさんは亡くなりました。新しい命をこの世に届けてたった20日程で自殺されました。子どもの悲しいニュースのない年になりますようにと新年に願った私の思いも届きませんでした。

「耳に残る禮弥の最後の声がつらすぎて生きていけない」といういづみさんの遺書があったそうです。出産してしばらくは心も体も休まねばなりません。そんな時に子どもを目の前で殺された母親のつらさはいかばかりかと胸が痛みます。「天国で一緒に幸せになろうね」というメモも残して。

今の世の中は「変な人」がいっぱいいると思いなさいと、我が家の娘はおまわりさんから教えられたと言います。一日にそういう人の2・3人と街ですれ違っているんですよとも。不用意な私はいつも娘に言われっぱなしですが、女性の一人暮らしや、男性のいない世帯は十分に用心しなければならないのです。自己防衛を意識して暮らすことが大切です。

今は母と子が天国で出会っていることと思います。しっかりと抱きしめて短かった二人の命の花をそこで咲かせてください。のこされた方々もそう願っておられることでしょう。命は宝です。みんなで守っていきましょう。命を奪うすべてのものを決して許してはならないのです。

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木のおもちゃ その後

2007-12-19 15:16:43 | 子育て
12月19日
部屋の中から見ていると、温かそうな日差しがふりそそいでいました。久しぶりに「たくみちゃん」に出会いました。「ガレージに車があれば、畑で○○さんに会える」と決めていて、「今日は畑になんで来なかったの?」と赤いPASSOを指さして言いました。丁度玄関先に出た時にたくみちゃんとおばあちゃんが通りかかったのでした。ちいさなクリスマスリースを手渡すとスキップしながら去っていきました。

このクリスマスリースは「はな・はな」の12月のイベント用に作ったものです。赤・緑・白の糸をマクラメ編みで手作りしました。木のおもちゃはこのイベントのため初めてまちづくりセンターへ移動しました。相当重い荷物でしたが、立命館大学の学生さんがボランティアに来てくれて運べました。草津コミュニティ支援センターにいつもは置いていますが、残念ながら居場所がなくなりました。二階のホールで使用するので、二階の小部屋に置かせてもらっていましたが、張り紙がしてあって、「決められた場所以外に置かないでください。他の団体にしめしがつきません」と書かれていました。

重たいし、場所をとるこのおもちゃはとうとう到着して半年もしないうちにほんとうのお荷物となりました。あんなに皆で喜んだのに、子ども達も親たちもお気に入りのおもちゃでしたが、さて、行き場は?

団体の活動を支援するセンターなのに、張り紙一枚で、はな・はなの活動にブレーキをかけてしまいました。市は20日(明日)子育て支援の場所をやっとオープンします。木のおもちゃはその広場へ寄付するしか道はありません。より多くの子どもたちや親に利用してもらえるのならそれも良いのかもしれません。くださった「ニッセイ財団」にはごめんなさいと言うしかありません。

市は既存の施設で子育て広場を開設しました。大慌てで今年も押し迫った12月20日に。でも、何はともあれほっとしています。ボランティアを募集して毎日運営していくようですので、はな・はなキッズという子どもの広場を閉じる良い機会かもしれません。木のおもちゃはそこでどんどん利用されていけばいいのですから。
今は、誰にもわからない場所におもちゃは隠れています。はな・はなのメンバーはボランティアとして、市の広場の運営を支えていけたらいいと考えています。

でも、「しめしがつきません」という言葉は、お役所的ですよね。張り紙ではなく、直接話していただいたら、意思の疎通も図れたのでしょうが。他団体にもご理解くださるように精一杯説明もさせてもらいたかったなぁ。市民営の施設なのですから話し合いを大切にして運営されるよう希望します。
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たくみちゃんは4歳児

2007-11-01 22:37:01 | 子育て
11月1日夕方から
カレンダーを剥がすと6枚綴りなので最後の一枚になりました。大切な時間がどんどん過ぎ去っていきます。こどもの頃は一日がとても長かったのに今はほんとうに短く感じられます。誰でも大人はそうなるのですが、時間よ止まれ!と言いたいですね。

近所のたくみちゃんは4歳です。昼間はおじいちゃん、おばあちゃんが預かっています。おばあちゃんはMおばさんの畑仲間です。たくみちゃんはいつもおばあちゃんと一緒に畑へやってきます。保育園になかなか入れず、この秋で4歳になりました。

まあ、やんちゃな子です。広い畑は遊び場です。細い畝を走りまわり、ころんでホウレン草を倒したり、菊の花を折ったりしてはおばあちゃんに叱られています。タマネギの苗が育ち植え替えの時期になりましたが、せっかく柔らかく耕した土を踏みつけては怒られるのですが、すぐにどこかへ駆け出していきます。

鍬をうごかしたり、スコップで土をすくったり、そのへんの棒で穴をほったり、振り回したり何でも遊びます。力もついてきて大人の道具も使えます。でも時には畑仕事とかけはなれた遊びも始めます。

「ねえ、ねえ、Mさん。信号つくりたいんやけど」とMおばさんはおともだちにされて、たくみちゃんに話しかけられるのです。「Mさん」というのはおばあちゃんがそう呼ぶのをそっくり真似しているからですが、友達っていう感じにさせられてホイホイと相手をするのがMおばさんの子どもっぽいところでしょうか。

今日は電車ごっこのつもりのたくみちゃん。「Mさん。信号がいるよ」「うん何でつくろうかねぇ」「この棒を立てて、先を曲げて」(この棒は彼が昨日土につっこんだ時に曲がってしまったもの)「赤と黄色と青が要るよ」「どうしようかな」たくみちゃんは畦に咲いているたんぽぽを発見、「これ棒につけてよ、それから赤はどうする?青もないし」

難問を解決したのはさすがMおばさん。用水路の傍に植えたホウズキがまだ赤いままで残っていました。そして薄紫の野菊の花ざかりです。「青はこれにしようか」と言うとたくみちゃんはこっくりうなづきました。

なんとすてきな信号機でしょう。かわいい花の信号が夕風にゆれていました。感動的な畑の中の信号。たくみちゃんは夢中で畑の畦を特急列車になって走っていきます。大きな声をあげて。4歳の子どもの一日は実に様々な体験に満ちています。長い一日をたっぷり遊んだたくみちゃんは、夕暮れの道をおばあちゃんに手をひかれて帰っていきました。「Mさん、今度家へ来てよ。絵本読んであげる」と言ってくれました。

おこりんぼうのおばあちゃんがほとんど一日世話をしています。友達が近所にいないので大人に囲まれた生活です。でも「おばあちゃんお昼ねしよう。僕が絵本を読んであげるから」とやさしい面をみせるそうです。そしておばあちゃんは本当にぐっすり寝てしまうそうです。目をさますと空き箱で恐竜を作っている孫のたくみちゃんが、おばあちゃんには亡くなった息子に見えます。東京で20歳で急死した息子は「たくや」という名前でした。「たっくん」「たくちゃん」と呼びながら孫を愛しているその人の持つ哀しみは、今少しづつ薄れているようにMおばさんには思われるのです。

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子どもを落とした・・・

2007-10-23 01:14:25 | 子育て
10月23日
秋の高く青い空がこんなにも心を晴れやかにしてくれるのに、その空を仰ぐことにも思い及ばず、母は子どもを6階から落としました。子育ての苦しみから、どうしていいか判断力もなくした結果の出来事です。

母乳で育ててきて、ミルクを飲まないことが気がかりだったそうです。11月から保育所に預けることが決まっていた矢先でしたが、保育所が母親の悩みを全て代わってあげることはできません。このお母さんの子育て不安を和らげる方法はもっと別のところにあったのではないかと感じました。

傍にいて一緒についていてくれる人がほしかった、ここまでがんばってきたことを誉めてくれる声が聞きたかった、今のままでも大丈夫よと励ましてほしかった、私も同じように悩んでいるのと話し合える友達がほしかった、そんなふうに思えてなりません。

あかちゃんと接する機会が一度もないまま親になり、育児書や、ネットに流れる情報で育児をする若いパパとママたちの危うさがずっと気がかりでした。年の離れたきょうだいやいとこがいたり、近所のあかちゃんをあやしたりすることがない時代です。やはり、多感な10代の子どもたちに何らかの機会を設けてあかちゃんを抱いたり、遊び相手をするなどの体験をさせる必要があると考えています。

あかちゃんの持っている不思議な魅力、どんな人をも微笑ませるちから、柔らかくこわれそうな感触を知っておいてほしいのです。さらにまわりの大人たちが愛情深く育てている姿にも接していれば、子どもが子どもを育てているような状況にはならないのではないでしょうか。

残念ながら同様の事はどこでも起こり得ます。大津市では相談を受け付けていましたが、それでも悲しい事件は発生しました。身近な人たち、町内の人たち、しんどそうな暗い感じでバギーを押している若いおかあさんを見かけたら、何でもいいから声をかけてみてください。「いいお天気ね」とか、「かわいいあかちゃんねぇ」とか「道を教えてくれない?」とかそれで元気になれるのです。同じくらいの子どもを連れている人同士だったらもっと気軽に声がかけられますよね。

どうぞ、ポストの数ほどそんなお節介な市民のいる地域つくりをお願いします。
私流の「あかちゃんポスト」を提案です。
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踏まれたスカート

2007-08-25 01:11:41 | 子育て
8月25日
子育てを社会で見守ろうという空気に少し陰がさしてきたようです。
親の守備範囲の強調とも思える事態が起きています。「踏まれたスカート」というタイトルで朝日新聞の生活欄が取り上げています。

規範意識を教えられる専業主婦の役割が重要

子どもの育ちには母性・家庭が一番大切

親としてあるべき姿を示すことが必要


若い母親への育児不安を解消するための子育て支援は、くるりと逆回転し、却って不安と負担を広げようとしています。
「はな・はな」では、毎日子育てに追われて世の中に物を申す時間もないお母さんたちと出会っていますが、家庭にいるお母さんに子育ての責任を今以上にもたらすのは、危ういと私は思います。

社会の動きのつらい部分を担うのはいつも物言わぬ人たちです。子育て支援の予算はいつまでも潤沢に付くわけではありません。予算が削られたら、子育ては家庭の責任に戻されます。しっかり自分でやりなさい・・・という声が迫ってきています。

それぞれの家庭の有り様や、働き方や、考え方の多様性を認め、一律のあるべき姿論に流されずにいてほしいと思っています。仕事を持たないお母さんは、何とかして孤独な子育てにならないように、子育て情報を探しては、今日はココ、明日は○○へと子どもをベビーカーに乗せて出かけているのです。不安の解消のため、勇気を出して知らない町で知らない人に声をかけています。

スカートのすそを踏まれたように、身動きできない女性をふやしてはならないのです。ジェンダーという言葉も日陰に追いやられたそうです。女性への風も以前のように厳しく吹くような気配が感じられます。
子育てが楽しくできる環境を作るには、若い親の働く環境の改善や、地域の人たちの見守りや、政策面でのバックアップが必要です。

子育て支援の予算も本当に効果的に運用されているわけではありません。お金をかけずにできる支援の道を「はな・はな」は微力ながら示してきたわけですが、そういう視点でわがK市も動いてほしいものです。

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木の砂場

2007-07-21 01:07:00 | 子育て
7月20日まだ梅雨があけません
はな・はなの子育て支援にニッセイ財団が50万円のおもちゃを助成してくれましたが、とうとう今日北海道から届きました。
木の香りがいっぱい詰まった木の丸いボール2000個と、円形の木製プールのセットです。この中に入ってボールに囲まれていろんな遊びが始まります。大津市の子育て支援センターには贅沢なほど大きなこのおもちゃがあります。大人も癒される優れもので、はな・はなの仲間もあこがれのおもちゃでした。

草津コミュニティ支援センターの一階に置くこととなり、やっと落ち着けましたが、この置き場には少々紆余曲折がありました。市の施設にお願いしたものの快諾はないままでした。
市民の自主運営でこれまで皆で支えてきたセンターこそ、頼みの綱でした。市民活動を支援しなくてどうするの・・・と押し切ったかたちで、獲得した居場所です。

活動にはお金と場所が必要です。仲間がどんなに誠実でも、叶わない事は多いのです。駅前のスーパーの空き店舗が最近子どもの遊び場になりました。1時間利用すると600円かかります。その上英語とか、体操などを体験するとあっという間に4000円使った人がいます。「高うてもう行けへんわ」というお話を聞きました。

すぐ近くで開いている私たちの「はな・ななる〜む」の利用者は本日も盛況でした。お金をかけずに、安心して子育てのできる環境を市が提供しないうちに、利益目的の子育て施設が出来ていきます。石油から生まれる遊具ばかりが並んでいたそうです。はな・はなのメンバーが早々と見学してきて報告してくれました。

民生児童委員が3か月と1歳児の家庭全てを訪問する「こんにちは赤ちゃん訪問事業」をお隣の守山市がはじめたと、朝日新聞にありました。地域で見守る姿勢が、子育て中の親に安心を与え、児童虐待の防止につながると市では話しています。

個人情報保護という建前が、幼い子どもの存在を公開できず、悲惨な事件に至る状況を察知できないことは、民生児童委員さんたちの悩みです。まわりの人が知る範囲でしか対応できていません。守山市に習って是非草津市でも赤ちゃん訪問事業を実施してほしいものです。

秋の市会議員選挙では、子育て支援をすすめる意思のある議員を議会に送り出すように活動していきましょう。あまりに草津市はこども対策に鈍感です。
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梁塵秘抄によせて

2007-06-20 02:43:41 | 子育て
6月19日(日付けは20日になってしまいましたが)
「梁塵秘抄」359番目の「うた」です。
 《遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さえこそ動がるれ》

「これは、中世の曙を身に浴びた子どもの未来に健やかな光を垣間見たい、古代の親の思いです。と同時に、決して人間は、遊びをしに、戯れをしにだけ生まれてくるのではないもっともっと重い業苦を担いながら、長い、暗い、辛い、道のりを歩んでいかねばならない存在であるということを、熟知している大人の歌声です。中略・・・真心こめて読めば、私どもの心に古代人の思いがまっすぐ響き合ってきます。
 いつとなく真珠のような大粒の大人の、親の、涙が眼に見えてくる。幼い子、育ち盛りの子を死なせたくありませんね。元気な未来を、なんとしても健やかに生きていってほしい。そう、いつも、私も、心から願っております。」

 秦 恒平さんの本を借りて、私の言いたいことを述べておきます。子どもが犠牲になる事件はもう耳にタコといった感がします。詳細は不明ですが、ある時テレビから、幼い子がしかられて「ハイ、ハイ」と何度も返事をしては泣いていた声を聞きましたという近所の方の話が聞こえてきました。おなかが空いて勝手にラーメンを食べたことをしかられていたのだそうです。でも、その子はラーメンを水で作ったのです。親がいながら水でしか作れなかった痛ましさに涙を覚えました。きっとろくに食事も与えられず、我慢しきれずラーメンを作ろうとしたのでしょう。

日本の古代は今のような美味しいものもなく、不便きわまりない暮らしだったけれど、生まれて来るならずっと昔の方が良かったように思います。辛い暗い生きるだけで精一杯の日々でも、親から虐待を受け続ける毎日よりましだったかもしれないのです。

親を責めたり、批判をするのではありません。子どもを守れない社会全体に無性に腹立たしい気持ちを抱きます。冷血な人ばかりの世になったわけでもないのですから、まわりに住む人々の暮らしに少しだけ関心を持って、これは!と気づいた時は勇気を出して通報してください。「ひとごと」にせず、自分だったら困ることは、誰もが困るんだよと声をあげてほしいのです。

生き難い現代をいかに笑顔で渡っていくか、それはいつも言うように人と人との連帯が一番の決め手ではないでしょうか。他人に迷惑をかけない人になれ!と育てられた30才代の大人たちには、今からでも「心を素直に表わして生きること」を進言していきましょう。

悲しい思いはもうごめんです。見知らぬ幼子の身に起きる事件は想像するのも辛いことです。梁塵秘抄のうたを涙と共に読んだ夜・・・でした。
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