ぺんぺん草

うたごころ*こども・・・語りつむぐことなど

花は葉に

2012-04-20 21:36:41 | 随想
4月20日
 今年はお花見を4回もすることができました。
今はもう、花のなごりを惜しみつつ、季節の移ろいに身をまかせるしかありません。

 「ひだまり」という高齢者サロンで行なったお花見は、36人の参加。楽しい会話もはずみ、送迎ボランティアをしたかいがありました。花よりおしゃべりの方たちばかりでしたが、お弁当も喜んでくださって、無事終了。

 子育てサロンのお花見は、幼いこどもにエネルギーをもらったひとときでした。お母さんたちは、親しい友人を得て、子育ての情報を交換していました。泣いていても、ぐずっていても、こどもはかわいい。文句なしに! 少し天気が下り坂になり早めにおひらきに。17組のおやこが参加してくれました。

 さて、短歌の吟行会は、石山寺へ船で行く計画でした。生憎の雨でしたが、瀬田川の桜は丁度満開で、枝垂れ桜もみごとでした。一番丸という客船は、昭和時代を偲ぶ外輪船です。琵琶湖の南湖をぐるっと廻ってから石山寺の船着場に。傘の触れ合う中を多くの客とすれ違いつつ、めざす会場へ。しじみ御膳の昼食後、短歌の例会をして、帰路は送迎バスで石山駅に戻りました。雨の日の桜は、少し色濃く感じられますね。

 どうしても行きたかったのは、H市の桜です。懐かしい故郷のお花見を心ゆくまでしてきました。川音を耳にしながら、長く続く桜のトンネルを歩きました。

  川音へはらはら花の散ることよ

母の遺作です。芹川の水はたっぷりと流れていました。中学生が竿を手に土手を下り、河原に降りていきました。
 「何が釣れるの?」と私。
 「鮎です」
と素直に応えてくれました。鮎を上手に焚いて毎年送ってくれた母のことが思われました。鮎の稚魚をお酒と砂糖と醤油で炊き上げ、山椒の葉を添えて。この季節を待ちわびるのが常でしたが、もう今年からは、私が鮎を焚く番でしょうか。

 お昼は娘と、レストランへ。父母が親しんだそのお店は、店主も変わらずに元気でした。何かの記念日に二人で行っていたようで、80歳過ぎの店主は父母のことを親しそうに話しかけてくれました。
 「そう、お母さん亡くなったの。94歳でねぇ」
 「はい、12月でした。寝ている間に安らかにさよならしたんですよ」

 私の顔をよく記憶していてくださったと、感激です。父の忌明けの会食をした時に出会っただけではなかったかと思うのですが。私の顔が父か母に似ていたせいかもしれません。「ドリア」が父の好物で、いろいろ迷った末、いつも「ドリア」に落ち着いたのだそうです。そう聞かせてくださいました。父母のふたりっきりの時の様子が思われ、心温まる時間を過ごしました。

 一度だけ、わが娘も、ここに来たことがあったそうです。
 「仕事の関係でH市にきて、ついでに、おじいちゃん家を訪ねた時、これから食事に行こうと誘われて。やっぱりグラタンライスを注文してはったわ」

 父のグラタンは、焦げ目にこだわりがあって、テーブルに届いても、「もうちょっと焼いてほしい」と注文をつけることがあったそうです。特別の日のレストラン行きのひとつに、孫が来てくれた嬉しい日を加えていたなんて、知らなかった私です。

 思い出の中で、父母は次第に、やさしくあたたかな人という容に昇華されていきます。叱られたことも、病気で苦しんだ様子も、少しづつ薄れて、ただただ、子煩悩だった姿のみがクローズアップされてきます。両親と桜を眺めて喜んだあの日はもう帰ってはきませんが、今年のお花見は私の心を満たし、癒してくれました。良いお天気の一日でした。

 桜の花はもう散り、葉桜になろうとしています。散ったはなびらを詠んだ短歌を紹介します。

  過ぎ行きはなべて哀しも雨あとの下駄にはりつくはなびらを剥ぐ 
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間違い

2012-04-07 12:30:35 | 随想
4月7日
 「桜の頃」の記事の写真は、映したものではなくて、いただき物でした。ごめんなさい。来週はお花見をみなさまどうぞお楽しみください。

 故郷H市の桜で思い出深いのは、今は亡き父母と行った芹川の桜でしょうか。多くの人びとが行き交い、「この桜は樹齢どれくらいだろうか」「300年はするのではないかしら」「いやもっと古いかもしれない」などといった、人語のたゆたう桜のトンネルが忘れられません。今はもう、父母は空の上から存分にお花見ができます。

 満開の桜の梢をゆるがせて昼の電車は光りつつゆく

JRの電車が芹川の鉄橋を渡っていきました。春の光がまぶしく反射して、何事もなく明日も明後日もいい日が続くと思えていた時の短歌です。

 できれば、今年はその場所へ行ってみたいと思っています。
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桜の頃

2012-04-07 11:14:10 | 随想


 四月になりました。寒い日がいつまでも続き、春は足踏みしています。
庭を見てまわると、花や樹木の新芽が、次々と伸びはじめていました。この地に住んで40年近くなります。思い出の花や木が庭を占めています。

 貝母という草花は故郷の庭からやってきました。古くは薬草として、栽培されていたそうです。傘の形をした、薄いベージュ色の花が咲き、蔓のような茎が上へと伸びていきます。花が咲くと待ちかねたように、父母の写真の前に飾ります。

 芍薬の紅色の芽も立ち上がってきました。これも実家からきたものです。薄いピンクの花が5月には開きます。丸い蕾が凛と伸びる様子が私をシャキーンとさせてくれ、大切にしています。

 母のお気に入りの都わすれは鉢植えですが、緑の元気な芽が出て、今朝の陽光を受けて急に伸びたようでした。濃紫の可憐な花は、その名前と共に私もお気に入りの一つです。

 自然感あふれるちいさなすみれは、今年は場を広げ隣家の塀際に咲いています。紫の花はささやかに開き、いくつかを摘んで束ね、小さなグラスに挿すと、部屋に春がやってきます。

 名前もわからない黄色の花は、強い草花で、いちばんに春を教えてくれました。福寿草の種類かもしれません。黄色は明るさを運んできます。今年こそ名前を調べてあげましょう。

 桜の写真は、大津市の疎水で撮りました。もう数年前になります。

 新年度が始まりました。思い出は桜の花の記憶と共にどんどん甦ります。どの年の春も緊張感に満ちていました。さぁ、歩きましょう・・・今年も。


 この国にやよいの陽ざしひろごりてめぐるひととせ幸あれかしと

 3月の短歌です。被災地にもこの暖かい陽ざしがきっと射すことでしょう。震災から一年が過ぎましたが、これからの一年がどうか希望が感じられる日々に向かいますように。二年後へ願いをこめて作りました。

 石山から船で花見をしつつ、歌を詠む吟行会が予定されています。瀬田川の桜もそろそろ開花するのでしょう。

 悲しい時や寂しい時は、背中の腎臓のあたりを、撫でるといいそうです。昨日、そう教えてくれた友人の優しい心を思いつつ、記しています。

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南木佳士の本を

2012-03-10 12:08:47 | 随想


3月10日
 1989年の芥川賞作家の作品を読んでいます。信州に住んでおられ、山の話も多々出てきますが、八ヶ岳の描写に出会って、蕎麦畑のスナップをアップしてみました。

 繊細な心の動き方に就いていくのがやっとという思いで、読み続けています。

 冬ごもりの間に増えた体重を気にして、図書館まで歩いています。3986歩で行ける距離だということが、携帯の歩数計でわかりました。

 「阿弥陀堂だより」という映画は心に残る作品でした。その原作者です。

 何があれば、どうすれば、人は安んじて生きて行けるのでしょうか。意志を述べたほうがいいのか、黙しているほうがいいのか。真実に思い及ぶには、永い時間がかかります。想うこと、語ること、心にしまいこんで温めておくこと、など、これまでの過ぎ越しをあれこれ思い出しながら、多様な人という「生きもの」のことに想いをめぐらせています。

 雪のたくさん積もった朝、庭は一変していました。昨夜まで寒そうに立っていた、葉をすべて落とした木々は、ふんわりと雪に囲まれて、そこには、ほっとした安堵感が漂っているようでした。雪の心が、辛い思いを隠してくれているように感じられた朝でした。

  淋しくてどうしようもない裸木をまどかに雪の包める朝

 栞を本に挟みながら、就寝までのひとときを、南木佳士さんの著書に浸っています。 
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図書館へ

2012-02-13 15:59:46 | 随想
2月13日
 冬の夜は暖かなガス暖房の部屋で過ごしています。節電のため、テレビは消えて、とても静かな時間が流れています。さぁ読書! 市の図書館ができた時に登録した図書カードはもう古くなり、図書館の司書さんが、新しいカードを作ってくれました。

 児童書をはじめ、ぐるっと図書を一巡りして、7冊借りて帰りました。児童書は一冊、岸武雄さんの「ブナ林の天狗さま」。天狗さまは高齢になり、死期を悟ります。落ち葉に埋もれて土に戻ります。その落ち葉の上に森のいきものたちはブナの種をまきます。「ブナの木は山に降った雨をじっくりとたくわえ、その根は土深く入って山くずれをさせません」「杉林にくらべ、ブナ林はおおらかで、多くの雑木が育ちます」山のいきものの食べる木の実や山芋もそだちます。「人の作った杉林は、根が浅く山をしばる力が弱く大雨で災害が起こりやすく、日の光も射さず、しーんとしてしめっぽく、山の炭焼き男は『死の林』と呼んでいます」

 「ブナの種は天狗さまの身体の養分をもらって大木になるでしょう」そんなくだりを呼んでいると、昔見た「ブンナよ木からおりてこい」というお芝居を思い出しました。子ども向けの舞台でしたが、自然界の命の循環が描かれていました。

『苔とあるく』田中美穂著は苔をたのしむ本です。身のまわりにあるけれど、普段あまり気にもされない緑色の苔を訪ねる旅を、読者にもさせてしまいそうな雰囲気を持つ本でした。

 『声の力』『種子たちの知恵』『はな ひと うつわ』なども読んでもらうのを待っています。

 新年から読み始めた「三国志」は最後の8巻目に入りました。その頃日本はまだ邪馬台国の時代でした。中国の歴史年表に日本の年表を添えた簡易なものを夫が作りました。水墨画の仲間向けのものですが、一部もらって眺めています。三国志にはよく漢詩を朗詠する場面が出てきます。

 本もいいのですが、詩吟の練習もしなくては! 26日に流派の年次大会が行なわれます。今回は「小谷城懐古」を吟じます。今は草が茂り竹の葉の揺れる音が静かに響くのみ・・・と詠っている詩です。昨年の賑わいが去り、城跡は雪に埋まりそれこそ静寂に包まれていることでしょう。

 話は逸れますが、東近江市にできる仮称平和祈念館は、3月17日にオープンするそうです。多角的に平和を考えていく施設となるよう期待しています。母の預けた戦地からの伯父の手紙も、母の聞き取り記事もここに保存されます。残念ながら、一年前に亡くなった母も、天上からこの祈念館を見て、笑顔を浮かべることでしょう。
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一木一草展

2012-02-01 11:31:58 | 随想
2月1日

 
 今年の年賀状を整理していて、「あっ、今日までや」と思わず口をついて出だ言葉。年賀状兼M氏の水彩画展の案内状を手に、1月26日、まめバスに飛び乗って会場の喫茶店へ直行しました。

 昨年、朝日新聞滋賀版に、著書を出版されたという記事が載っていました。Mさんの展示会はもう何度も開催されてきましたが、画文集として本が出たことは嬉しい限りでした。多くの知人たちが、本のできるのを待っておられたことと思います。

 表紙には、「草花との出会い 本との出会い」という書名と、それを囲むかたちで草花の絵が並んでいます。人との出会いもすてきですが、ふっと目の前に現われた花との出会いも忘れ難い瞬間です。実際に自分の目で見たものは、どんな良いカメラで撮った画像にも負けはしません。その出会いを絵にされて、その時々の想いを多くの図書と繋げて、文章に綴られています。

 その中にムラサキツユクサがありますが、冒頭の写真は我が家のムラサキツユクサです。残念なことに、今はもう姿を消してしまいました。この花に伴う文章は、今、とても心を打つものです。放射性物質に最初に反応し、ムラサキツユクサは枯れていくそうです。常に敏感に世を見つめ、警鐘を鳴らすことができた先人たちを惜しむ文から、Mさんの人柄が伝わります。

 随所になつかしい文章がありました。読書会も今は少なくなったものの一つでしょうか。文学散歩という楽しさも思い出されます。たくさんの図書が紹介されていますが、全て読んでみたくなります。冬ごもりの季節、すてきな読書案内にさせていただきたいと思いました。

 誰もが山に登ったり、花を訪ねることは難しいかもしれません。そんな時、大和未生流の展示会を観られるといいと思います。年一回、秋に、近鉄百貨店草津で、大和未生流の展示会があります。そこでは、自身が野山を歩いているような感慨を受けることができます。素朴で、優しくて、なつかしい、でも凛とした光を帯びた山野の花たちに出会ってみてください。
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奥さんはごきげん!

2012-01-24 15:59:10 | 随想
1月24日
 支援センターの今年初めての「うたごえひろば」は60人の参加で盛況でした。男性の姿もちらほらと見られ、主催者側としてはうれしいかぎりです。歌声は終盤になるほど大きく響いていました。

 鼻歌が知らず知らず口に出る・・・という人は案外多いのかもしれません。我が家の横を通る人の鼻歌が、キッチンに届くことや、畑にいると、向こうの土手を散歩する人の鼻歌もかすかに聞こえたりします。

 人の心に深く残っている歌や、さっき商店街で流れていた童謡だったり、その歌はさまざまな容貌を伴っています。何気なく口から出てしまうので、あっ、こんな歌を思い出していたんだと、そんな自分に気づくこともしばしばあります。

 私の思い出で、おっとこれはまずかったというものは、就職面接の日に会場まで案内してくださった方の後ろについて歩いていた時の鼻歌でした。自分は意識していなかったけれど、採用のあかつきには「あなた、あの時鼻歌歌ってたでしょう」と話題になっていたこと。

 最近の出来事では、自転車で商店街を走っていたら、後から追い越していくおじさんが、「奥さん、ごきげんだねぇ」と振り向きながら言うのです。どうして、そんなこと?と思った瞬間、あぁ、また、鼻歌を歌っていたのだと気づいたけれど、「ええ、そうです」みたいな返事までしてしまったこと。

 ごきげんがどうかは関係なく、鼻歌が出てくるときは、私は何か考え事をしています。短歌の締め切りが近いなぁとか、消費税上がりませんようにとか、お茶の葉を買い忘れたなとか、たわいもないことばかりが私のなづきを通過していたのでしょう。

 
 歌のちからは被災地の人を慰め、励ましています。
 歌は一人暮らしのMさんの唯一の楽しみで、また生きがいでもあります。
 歌を歌わずにいられない境遇を生きてきた人もあります。

 こまどり姉妹をテレビで拝見しました。二人で力を合わせ生きてこられ、70歳半ばになって、蜷川氏の舞台に今度立たれるそうです。若い人たちに知られているのは、姉妹の映画ができているからだとか。若い女性の監督が製作されて、あちこちで上映されたとお話しされていました。辛い生活というものに、若者の視線が向いてきたのでしょうか。暗さを嫌う風潮が変わってきたのでしょうか。

 前を見て歩くしかなかったというこまどり姉妹の言葉がありましたが、どんな辛いことも、あの時こうしていればよかった・・・と嘆きかなしむより、何とかなると信じて前へ一歩、歩き出すことが大事なのだと、しみじみ感じました。人生には形こそ違え様々な苦労が襲います。乗り越えてから分かることがあります。いつまでも長くは続かないということ。真摯に生きてゆけば大丈夫なのだということ。

 私の鼻歌は何かを乗り越えるためだったかもしれません。朝から「ふん♪ ふん♪、と何を歌ってるのかしら」と娘たちの顰蹙をかいつつ、どうにも鼻歌はとまりません。歌を愛する人はわかってくださいますよね。

 
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2012年ようやく始動

2012-01-12 11:49:26 | 随想


1月12日
 今年一番の寒さとか。昨日の夜に積もった雪は殺風景な庭を一変、疲れた目をほっとさせてくれました。新年から三国志を読んでいます。文庫本の文字はやや見辛い年になっていますが、全10巻の半ばにさしかかっています。目はうるみ、しばたきながら読み続けています。ついでに数独も楽しみ、目はさらに酷使されています。

 新年のあわただしさがやっと通り過ぎ、日常が戻ってきました。カレンダーをめくりつつ今年の幸を祈りましたが、良いニュースは届かず、厳しい冬の予感が強まります。
寒中見舞いの葉書もいただきました。

 長女が勤める病院は湖東にあります。雪が積もった様子をメールで送ってきます。こちらとは随分温度差があり、重ね着でしのいでいます。自分の体調をうまくコントロールしながら、言語聴覚士として仕事をするまでになって、昨年の今頃を思うと感謝の気持ちでいっぱいになります。一日4時間の勤務を明るくこなしつつ、新しい仲間との出会いに刺激を受けて、アクティブな日々をすごしています。

 支援センターでは、年頭から広報紙の発行を行いました。5000部の印刷と配布の手配は、多くのボランティアの手で進み、無事に終わりました。市との協働とは言いながら、センターが全ての作業をしています。
 「あっ、回覧の文字がぬけている」
 「えっ、ほんまや」
 「ともかく、はんこを押さないと」
 「全部で数千枚あるし、ど、ど、どうしよう」
市役所の小部屋で、はんこを借りると、わき目もふらず、ぽんぽんと押し続けること3時間。さらに、地区ごとに分けて袋に入れて完了しました。全市に回覧するって結構な作業ですね。もう、なんでもこいっ!という、さわやかな自信を持った私たちでした。とても疲れました。

 日常が戻って、てんやわんやした後、日常をいかに過ごすか、その繰り返しの中にこそ人の生きる姿があるのだと、思わずにいられません。晴れやかに飾られる日、記念の日々、そのためにさまざまな力を注ぐこと、その過程にこそ醍醐味があるように思われます。震災復興の日々を生きる方たちの毎日を、我が乏しい想像力で思うとき、かっての日常が戻ることすらおぼつかない人々の胸の裡はいかばかりでしょうか。10ヵ月たった東北の地、今日また、強い地震がありました。かの地の子どもたちに、あの恐怖がもう二度とやってこないように祈り続けたいと思います。


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あと一日になりました

2011-12-30 22:55:59 | 随想
12月30日くもり
 長らく御無沙汰しました。やっと再開です。このパソコンも10年が過ぎ、ご機嫌のよくない日々が続きました。息子の年末帰宅を待っているうちに今年も暮れんとして、ようやくたった今、ブログの再開ができました。

 個人的な諸事情を抱えての一年でした。東日本の人たちのつらさを思いつつも、何もできない日々でした。

 来年こそ、明るい日差しがさすように願わずにはいられません。

 大掃除もまずまず済みました。例年どうりお節も用意しています。今は畑もお休み中です。タマネギとエンドウが春にむけて用意されています。白菜や菊菜や大根、ブロッコリーは正月用にいつでも収穫可能です。

 母の一周忌を済ませました。新しいお墓に父と共に眠っています。

  供花抱きて故郷の道こつこつと歩める耳に亡き母の声

H市の由緒あるお寺にお参りしました。花束を買い、駅からアスファルトの道をお寺まで歩きました。こつこつと歩く自分の足音を聞きながら。子どもの頃から見慣れたふるさとは、今、様変わりし、どこかよそよそしい空気を感じるのもやむを得ないことでしょう。お寺には石田光成や、井伊家の資料が保存されています。新しいお墓は戦死した叔父さんのお墓のすぐ前に建ちました。叔父さんは妹(私の母)よりも70年も前にお墓に入りました。

  慕いたるはらからの墓のその前に新墓はあり母を眠らす

行く年、来る年に想いをつのらせつつ。

 人の世の幸せのみを運び来よ祈りをこめて開くカレンダー
  

 
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秋の菜園

2011-10-23 21:46:57 | Weblog


10月23日晴れ
子育て支援市民活動はな・はなが計画して、先日バスで京都の動物園に行きました。参加したお母さんたちと話をしながら、50分ほどで到着です。
 「本当は、私のほうが楽しみにしていたの」
 「そうそう、私もよ。だって子どもはまだ小さくてよくわからないかもね」
子育て中のお母さんたち、どうぞ、上手に息抜きをして、子育てって楽しいよと言えるようになってくださいね。

動物たちは、眠っているのが多くて、熊もライオンも熟睡中。象の前だけはたくさんの人だかりでした。象は愛想よく行ったり来たりしてくれました。日本カモシカは奥のほうにいてあまりよく見えませんでした。写真の鹿は水辺で幸せそうです。陽射しのやわらかさが何よりステキです。グルジアの画家、ピロスマニの絵画です。

さて、畑では秋の野菜が育ちつつあります。サラダみずな、小松菜は去年の種を播きました。雨にたたかれながらも、芽を出してくれました。大根も順調に育っています。たくさん作ると食べきれないので、今年は20本にしました。大根の間引き菜のおひたしはゴマ和えにして、大切に食べました。白菜は今年初挑戦です。苗を分けていただいて、8本が無事に大きくなりました。ブロッコリーは4本、青虫を毎日捕り続けて今は花蕾がのぞいています。サトイモは土の下で大きくなろうとしている最中です。

残りの空き地はタマネギ用に耕しておきました。端っこには花を植えています。秋らしさがあふれて、毎日ダリアや菊の様子を覗っています。種から播いたダリアがやっと黄やピンクの花をつけました。夏の暑さに負けずよく育ったものです。菊は父の思い出に繋がる花で、今日は白い小菊がさわやかに咲き始めました。

「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」というメモを手帳に遺した父。私たち兄弟は良く出来た俳句だと感心したのでした。菊作りが生涯の趣味だった父らしいねぇ・・・と。後でこの俳句は夏目漱石の作品だったとわかるまで、母につられて父も一句ひねっていたのかもしれないと、父の評価も上がったのでした。もちろん棺にはたくさんの菊やその他色とりどりの花をたっぷり入れました。

どんどん日が過ぎていきます。毎年必ずやって来て、嬉しいのか、嬉しくないかもしれないものは何? 子どもは待ちこがれるけれど、その日に○○が増えるのがだんだん悲しく思えてくる・・・。明日は私の誕生日。今は天国にいる父母に育てられたことを感謝しつつ、迎えようと思います。良いことも勿論あります。娘に湯呑みを買ってもらいました。近鉄で見つけたその湯呑みは私のたなごごろにピタッとはまり、もう、わたしの為に焼かれた陶器としか言いようがありません。「そんなに気に入ったの」と言いつつ娘が買い求めてくれました。

もう一人の娘は「何と、○○歳だって。それはたいへん、お願いやから減らしてくれへん」と。減るわけないけれど、もっと若いつもりでいたんでしょうか。何時までも元気で、いそいそと動いているのが、母だと思っているのでしょうね。○○歳でも、年よりは若く見えるらしいので、もう少し娘たちのためにアッシーをしたり、美味しい食事を作っていきましょう。

10月の短歌を二首

 ちちははの好みし野菊あまた咲く秋の草叢土バッタ跳ぶ

 土バッタ追いかけてゆく秋の野の
 果てに大琵琶広ごりてあり





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