ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

伊達政宗公誕生秘話と異国人の側室?? その1

2009年02月26日 15時42分25秒 | 仙台藩と伊達家のお話し
昨今、政宗がスペイン人であるとか?

面白い話しが巷で話されているようです。

残念ながら、その番組は見る事が出来ませんでした。
ですから、反論するにも何に反論すれば良いのかわからない次第です。

まぁ、政宗がスペインの血を引いているのなら、父輝宗か母最上義姫のどちらかが同じくスペイン人でないと行けませんね。

すると福島県や山形県の血筋もスペイン系が居るわけで、顔立ちや毛髪にも、まれに西洋系の特徴が出てきてもいいのでは無いでしょうか?

しかし、そんな話しは今までに聞いたことも、ありませんねぇ。
まぁ、それだけ政宗公が人気者である証拠だと思いますので自分も嬉しい限りです。

そこで噂になる要因が一つあります。
それは側室の中に異国人の女性が居たことです。

政宗公の人生の半分は、戦地か江戸屋敷での暮らしでしたから、長崎から南蛮人が江戸へ来ていることは確実です。

こんな話しが残っています。

フランシスコ会の神父ベアト・ルイス・ソテロは、今のスペイン・セビリア市の上流貴族階級出身の宣教師です。
慶長8年(1603)にメキシコ…マニラ経由で来日しました。

慶長15年の事です。
ソテロの教会堂は浅草にあり、そこへ一人の武士が訪ねてきたのです。
この武士は伊達家の勘定奉行でした。
以前、彼の妻が病気の時、教会堂付属病院の医師であるペトロ・デ・ブルギーリョス修道士に治療してもらったことがあったようです。(彼は茶道の清水道竿の祖父で江戸勘定奉行)

何故ここに彼が来たかというと、政宗公は側室の中でも異国人の女性(侍女とも)をもっとも愛していたとも言います。
その女性が病になり日本人の多くの医師達に診てもらったのですが一向に良くならず、往診を頼みに来たのでした。

ソテロの命令でブルギーリョス医師が江戸の仙台屋敷に行き、女性は全快したそうです。
政宗公は感謝のしるしに治療代に加え金・銀の延べ棒や絹地、衣装を贈りましたがソテロは受け取りませんでした。
それは、宣教師が治療するのは利益の為では無く、神の愛そして隣人の愛の為に治療するのです。と断ったのです。

政宗公に取って、贈り物の拒絶は初めてのことで驚き、公はソテロとその医師に会見を申し入れるのです。
二人は献上品としてパンを五十個、ローソク三十本、薬剤になるチョウジ(蕾を乾燥させる)三斤(1.8キロ)コショウ三斤を持って、仙台屋敷に参上したのです。
この時代にパンも凄いですね。

ソテロが日本語を話すことを知って、公は長時間語り合い、領内に置ける布教活動も許したそうです。


たまたま、この絵を見つけました。 政宗と常長とソテロの会見の様子です。

チョット寄り道が長くなりました。


政宗公の誕生秘話

伊達政宗公は、永禄十年(1567)8月3日辰の刻(午前8時)

羽州置賜郡長井荘米澤(現:山形県米沢市)の城内で生まれました。

父は伊達家十六世伊達輝宗22歳
母は山形城主、最上義光(もがみよしあき)の妹義姫20歳でした。

生まれた男の子は、右手をしっかりと握りしめ、7日が過ぎた時、手の平が開きました。
そこには、墨で書いたかのような「満海」と言う文字が現れています。

輝宗は、不審に思い城下領内に「満海」という者がおるのか尋ねたところ、城下に「満海」という修験道の行者がいたことを知るのです。

満海は京都の将軍足利義昭の近臣でありましたが、弓矢を捨て法師となり諸国を行脚し米沢城下で年月を送っていました。

彼は、生まれつきの正直者で、少しも私欲がなく、常に人をいたわる心の持ち主なので、近在の者ばかりでなく、遠国の者にも慕われ尊敬されていました。

ところが老衰となり8月3日の辰の刻に霊去してしまいました。
満海は右目を失明していたというのです。

「満海」上人のことをこのように聞いた輝宗は、亡くなった月日時刻まで政宗誕生と同時であることを知り驚きました。
誰しもが奇異の思いをしたと伝えられています。

しかし、伊達家の正史『性山公記録』には、政宗公誕生秘話を次のように伝えています。



これが最上義光です。

長くなったので……つづく
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23 コメント

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側室の中に異国人の女性 ! ()
2009-02-26 19:23:00
面白く読みました。
「政宗と常長とソテロの会見の様子」
絵も残っているのですね。

ひーさんの博識には驚きます。
続きが楽しみです。
お袋の実家は・・・ (ぐずら)
2009-02-26 20:26:07
山形県東村山郡中山町です。
政宗スペイン人疑惑とはチョッと話題がずれますが、
最上義光の肖像が出てきたのでひとこと・・・

最上家が盛んに周囲の豪族を切取りしていたころのこと
中山玄蕃頭という殿様が中山町に城を構えており、
最上家の政略により一人娘を嫁がせていましたが
あるとき姫が病に臥したとの知らせに山形まで見舞いに出向きました。
しかし、これは真っ赤なウソ!
途中待ち伏せに遭い敢無く最後を遂げ、領地を奪われてしまったのでした。
同様に隣りの谷地城主白鳥家などもだまし討ちに遭い滅びてゆきました・・・

時は流れ、戊辰戦争、明治維新となり
新政府に恭順した山形城(すでに最上家ではない)を
解体することとなったときのこと、谷地の大工
細矢某は真っ先駆けて山形城の本丸床下にもぐり込み
「殿様の敵!!」と叫びつつ芯柱を挽き切り、
300年前の恨みを晴らしたとのことです。

ちなみにこの大工の細矢某はお袋の曾爺さんだったらしい・・・
Unknown (はー)
2009-02-26 21:54:12
>ソテロが日本語を話すことを知って、
公は長時間語り合い、領内に置ける布教活動も許したそうです。

仙台とキリスト教 
この後のお話知りたくなりま~す 
異国の~もの (維真尽(^^))
2009-02-26 22:03:01
自分にないものを
受け入れる
そういう器量~大事です~ね (^^♪

さすがですね (^_-)~☆

それから・・どうなったぁ~ (かにちゃん)
2009-02-26 22:25:20
長くなったので……つづく

興味深々で読んでいたら~ あ・あ~

早く続きをお願いしますね (^∇^)/
TVで (あーさん)
2009-02-26 22:27:37
政宗公がスペイン人だ、というのを観たのは拙でしたが、ひーさんの反論? じっくり伺いたいと思います♪
林さんへ (ひー)
2009-02-26 23:51:12
ずーっと、政宗誕生の秘話と言うか、伝説というか・・書き留めておきたかったものです。
本にも書いてあるのですが、自分も勉強しながらです。
現実離れしている話もあるので、政宗スペイン説よりウソっぽかったりしてwwww
ぐずらさんへ (ひー)
2009-02-26 23:58:57
遅くなりした・・
勇気あるご先祖さまをお持ちでしたね。
山形の領地はさっぱりわからないです。
そんな先祖が居たら、調べたくなりますね。
最上家・・・兄弟共根性悪いね。

はーさんへ (ひー)
2009-02-27 00:04:20
そこに興味を抱きましたか・・・
確かに、隠れキリシタンは宮城県にもかなりありそうです。
色々調べていると、キリシタンにぶつかります。
チョット時間掛かりますが、見つけたらメモしてまとめたいと思います。
政宗がスペイン・・ローマに使節団を出した理由はこの辺にあるのかも知れませんね。
維真尽さんへ (ひー)
2009-02-27 00:07:25
政宗の世界に向けた目は、正しいと思います。
後に鎖国が無ければ、また違った日本があったのかも知れません。
それがいいか?悪いか?は別として。
かにちゃんへ (ひー)
2009-02-27 00:09:43
あまり長いとパスされるかと思いまして・・・
www
後、2話位になるかも?
あーさんへ (ひー)
2009-02-27 00:11:20
そこなんですよね!
何が決定的理由だったのですか?
教えてちょんまげ!
あぁ独眼流政宗がー/二高応援歌雨か嵐か (クロンシュタット)
2009-02-27 06:38:54
あのTV番組は「テレビ東京」で私も見ました。
政宗の片方の目が青いゆえ、それを隠すために眼帯をかけていた、そういった説も唱えていましたな。
アングロサクソンやゲルマンやスラブ系とは異なり、ラテン系の方には案外アジア系に似通った外見の持ち主がおりますからね。

逆に支倉使節団の部下で、スペインに残った人間がいて、その子孫は現在でも残っているのではないでしたっけ?
苗字が「ハポン=日本人」であったように記憶してますが・・・

今日の東京は、今冬一番の冷え込みが予想されております。
次男の小学校がインフルエンザで学級閉鎖になってしまいました。
ひーさんも皆様も、無理をなさらずご自愛ください。
興味深いお話です。 (ミモザ)
2009-02-27 08:13:44
お早う御座います~♪
政宗公がスペイン人だったとか、
側室が異国人だったとか、とても興味深い
お話です。
それに満海上人のお話なども次回も楽しみにしています。
クロンシュタットさんへ (ひー)
2009-02-27 09:43:59
「青い目」がその説の一つですか~
なるほど・・・目については定説もありますが、曖昧な点もありますからね。
当時のどれだけの人が、記録に残しているかですね。
実は、今回の記事の中で、削除した部分があります。
それは、「生まれながらにして、右目が失明していた」というところです。
しかし、これは、遺体発掘の結果、先天性ではなく後天性と発表されています。
その辺については、続編にて・・・
ハポンさんは、苗字として残っていますね。
日本人の面影は、ほぼ消えてますが、名前として息づいていることが嬉しいですですね。
人種については、チョット次回に触れましょう。
ミモザさへ (ひー)
2009-02-27 09:46:56
なかなか、真実を暴くのは難しいのですが、興味を持って見てくれてる人が増えることを、願って書いてみます。
へぇ~ (ほでなすいっく)
2009-02-27 12:46:17
政宗公がスペイン人だったというのはともかく、異国人の側室というのはあるかも

私の伊達政宗に関する知識はほとんど大河で見たものなので、最上義光は悪者なイメージです
見れなかった (papiee)
2009-02-27 18:00:23
その政宗はスペイン人だった?!の番組
見逃してしまったのでどういう内容だったのか
凄く気になってます。再放送でもあれば良いのですが・・・。
異国人の側室がいたと以前ひーさんから聞いててたので
読んでてそうだったんだ~、と驚かされる事
多々あり。
当時のパンはやっぱ小麦で出来てたんですかね~。
そこら辺も気になりました~
いっくさんへ (ひー)
2009-02-27 19:14:05
どうも~
政宗は当時の戦国武将から比べると側室は少なかったようです。
そんな話が出るのも、政宗の人気度と思います。
全国の人に知られるようになりましたからね。
まぁ、自分が喜んでもしかたがないのですが、そろそろ月浜にも取材にいかないと。
papieeさんへ (ひー)
2009-02-27 19:21:40
政宗はパンを食べた時どんな感じを思ったのでしょう?
軟いパンだったのか? それともフランスパンのように固かったかなぁ?
きっと小麦粉だと思うけど。
Unknown (桃源児)
2009-02-27 20:12:59
死んですぐに生まれ変わった?
何だか出来過ぎな話かも。これから続きを読みます。
桃源児さんへ (ひー)
2009-02-27 21:23:46
まぁ、この辺は、後の家臣たちが考えたのか?
歴史家のイタズラかはわかりませんがね。・
なるほど (りひと)
2017-03-07 11:51:22
政宗は本当理解が難しいですね。
でも河童っぽい感じもするので大昔に渡ってきてすでに日本にいた種族のお母様はいそうな気がしますね。また片目がないのか眼帯ならばたたら系。尾張氏か和爾氏の関係のある筋だったんでは?とも。多分ある時期に近畿の方から追い出されて東北に行った方々がいて多分安閑系の伝承とか南朝系の伝説とかで東北の残っているように思います。良い筋だったと思います。それ故取り巻きがくるんですよね。伊達さんはあまり相性が良くなかったのですが少し知識が増え筋は決して合わなくないのですが筋が入り組みまくって結局消えてしまっているのをみると妬まれていたんでしょうね。石清水辺りの古墳や大阪の初期の古墳との共通性が東北に表面化するかですね。お家の形の埴輪とか出ていないかな?
政宗さんも全く知らない大昔の事が絡んでいるのを後世にか、たまたま異質感感じたか?
田村麻呂の筋のように感じますね。蝦夷でもあるんでは?今後の考古学で何か出てくると良いなあと思います。2453 ニワタリ神好きそうな?
本人の行動としては時代的にそれを許されなかったかもしれませんが。

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