ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

慶長遣欧使節船 第一段終了

2008年04月06日 20時33分01秒 | 仙台藩と伊達家のお話し
遠藤周作著『侍』の巻末に解説があります、その一部を紹介したいと思います。

1613年10月28日、支倉六右衛門常長が月の浦港から日本を後にした
その日から、彼は外国での経験を記録した日記をつけはじめる。
彼の死後しばらくは、この日記は東北地方の彼の領地内に保管されていたが、
この旅にかかわるほとんどすべての資料と同様、これもまた藩当局の手によって
紛失せしめられたか、あるいは抹殺されてしまった。

このことは我々にとって大きな損失といえる。
支倉のこの日記こそ、あの旅をめぐる数多くの謎に光を投げかけうる唯一の信頼
できる資料であったのかもしれないからだ。

通訳として同行したイタリアの記録係、シビオーネ・アマチが、のちに
『Historia del Regno di Voxu』という題でこの旅の記録をあらわしているものの
彼が自分の目で見た事実以外の報告については、信用するわけにはいかないのである。

本書はまず、きわめて巧みに作りあげられたフィクションであるとともに、
歴史的仮説としてみた場合も価値ある仕事といえる。
本書中、支倉についての記述は、そのほとんどすべてが事実である。



何故支倉常長が選ばれたのでしょう

以前に海外へ行った経験があった。
伊達藩鉄砲隊の一員であったこと。
(足軽鉄砲組まとめていた)
比較的小さな土地の領主であったこと。

政宗は、位の高い武士を配属しなかった。それは、失敗に終わった時に藩への
影響が無いようにだろう? それに重臣が何年も席を空けられても困る。
かといって、忠誠の無いものを出すわけにもいかない。
きっと支倉常長が妥当な人物だったのだろうと私は想像する。



船は、1614年1月28日にアカプルコに着く。
皮肉にも、家康がキリシタン追放令を発布したのとほぼ同じ時期であった。



1615年1月 スペイン国王フェリーペ3世に謁見
     2月 王位跣足派女子修道院付属教会で洗礼を受ける。
        フェリーペ3世ら臨席

洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコハセクラ



キリシタン弾圧、鎖国へと走る時代の中で、交渉を成功させることはついに
出来ませんでした。
イギリスやオランダ商人達が自らを有利にしようと江戸幕府に取り入り
「スペインはキリスト教による日本征服を企んでいる」と訴え、これを信じた
幕府がキリスト教禁教令を発布、こうした日本の国内情勢がイスパニアや
イタリアに伝わったことからでした。


オッ! ガラス越しに撮ったら、下の方に私が・・・・・(*^-^)b

船尾には伊達家の家紋の一つ九曜門が付いている。
一般的には竹に雀が有名だが、よく使われるもう一つは、三引両です
これは、仙台市のマークに使われています。


帰国後の常長は、非運にも反逆者・キリシタンとして、幕府の厳しい追及を受けます。
幕府の手前、政宗も幽閉せざるを得ず、晩年は、どこに住んでいたのかも定かでは
ありません。

帰国して2年後に無くなったとされています。
そこで、問題なのは、お墓が3箇所あるのです。

柴田郡川崎町支倉  円福寺 
仙台市青葉区    光明寺 今でも子孫の方がお線香を上げに来てます。by住職
黒川郡大郷町    西光寺 メモリアルパーク

私は3箇所訪れましたが、どれが本当なのかわかりません。
1622年元和8年7月1日 数えで52歳で亡くなったことになってるのだが、
メモリアルパークの銅像の台座には、1654年承応3年
この地で余生を過ごしたと刻まれてます。

私が思うには、亡くなったことにして、この大郷の地でひっそりと暮らしたのだと思います。
つまり、52歳ではなく、84歳で亡くなったのでしょう。

また機会がありましたら月の浦やメモリアルパークを紹介したいと思います。

最後に、支倉一行の中にスペインにあるセビリア近郊に、ハポン(日本)という
姓を名乗る人々がいます。
実は、支倉一行の内8名程が現地に留まり、名乗ったのが始まりのようです。
今でも、その子孫は絶えていないようですね。

長い記事読んで下さりありがとうございました。

もう少し書きたいのですがこの辺にしておきます。



三つのお墓を含め、支倉常長とサンファンバウティスタ号の記事はこちらにまとめています。
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21 コメント

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すばらしい~語りですね (維真尽(^^))
2008-04-06 20:54:13
宗教~戦争があるくらいですから
駆け引きや~戦~相当でしょう~ね
いまでも~
イスラムの人間爆弾~

やはり~
家康も~それを恐れたんでしょう~ね (>_<)
いーさんへ (ひー)
2008-04-06 21:25:40
家康は、守りに入ったのかもしれませんね。
支倉常長は、フィリピン経由で戻ってますが、
幕府から、マニラに留まるように命ぜられています。日本に着いた時は危険な邪教とみなされていたのですね。
Unknown (はー)
2008-04-06 22:22:43
支倉常長 素晴らしい方ですね(^^)
ひーさんの思いに賛成
わたしも84歳まで長生きされたと
思いたいです

キリシタン弾圧の話を読む度に
どうしてそこまで?と思うのですが
宗教の力 凄いものがあるから
なのでしょうね
Unknown (桃源児)
2008-04-06 23:22:41
非常に読み応えがある記事でした。
気になったのは、支倉氏、この旅以前に海外に行ったことがあったのですか?
スペインに残った人々、きっと熱心なキリシタンだったんでしょうね。故郷に帰ったところで、弾圧されるのがわかっているから、あえて異国に残った。
支倉氏も使命がなければ、そうしたかったかもしれませんね。
筆者も死んだことにして、生きていたと思いたいです。
今でこそ (みっちゃん)
2008-04-06 23:25:24
歴史の間で~ などと言って簡単な言葉で済んじゃいますが・・・
当時のご本人は悔しい思いをしたでしょうねぇ(;_;)
人生って・・・ ほんと 事実は小説より奇なり・・・
なんだか (あーさん)
2008-04-07 00:59:24
疑獄で自殺させられる課長補佐みたいですね

洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ
ハセクラ   これもあまり良くない

セクハラ なんて!

anyhow 色々勉強させていただきありがとうございます♪
Unknown (虎龍)
2008-04-07 02:01:18
昔の人の生き方にはいつもロマンを感じるのですが、ロマンを感じさせてもらえるような記事でした。
楽しめました。
ありがとうございました。
有難う御座います。 (ミモザ)
2008-04-07 06:57:35
おはよう御座います~♪
最初から読んでいますので、流れが分かり
良いお勉強をさせて頂きました

セルビア郊外にハポンと名乗る日本人を先祖に
もつ人たちの話は聞いた事がありますが
その当時の人たちの足跡を辿ると
スケールの大きな話になりそうですね
常長さんは私も84歳まで生きていたような
気がします
はーさんへ (ひー)
2008-04-07 12:49:17
キリシタンと言えば、天草四郎:島原の乱ですが、キリシタンがいいとか悪いとかじゃ無く、それが原因で戦いになるのは、おかしいですね。
桃源児さんへ (ひー)
2008-04-07 13:07:58
海外に行ったと言っても、確か朝鮮だったと思います。たぶん?
実は、1615年にパウロ5世に拝謁して1617年まで2年間ヨーロッパに留まってます。
その間何をしていたのかわからないようです。
常長の旅の記録は十数冊に及んだそうです。
もったいない資料ですね。
みっちゃんへ (ひー)
2008-04-07 13:19:32
我々には、想像もつかないいろんなことがあったでしょうね。
43歳で日本を離れ50歳で帰国してます。
長い旅でしたね。
関係ないけど、グアムで見つかった、横井さんをおもいだしました。
あーさんへ (ひー)
2008-04-07 13:29:28
まぁ、政宗なりにかばってやったのでしょうけど・・・
キリシタン弾圧が無ければ、交渉に失敗しても、ヨーロッパの当時の様子を日本人の目で見て、堂々と余生を過ごし、記録に残せたでしょうに。
突っ込んでいいですか?
おいおい、セクハラしましたから!西洋人に初めてした日本人かも?アハハ
虎龍さんへ (ひー)
2008-04-07 13:35:05
日の目を見た歴史に比べ、この事実を知らない方も非常に多い。
私が小さい頃、この本が家にあったと思います。しかし自分は、開きませんでした。
だって表紙に慶長遣欧使節と難しい漢字が並んでいたからです。すごく記憶にあります。
この年になって、調べている自分の縁を感じます。
ミモザさんへ (ひー)
2008-04-07 13:40:37
最後まで、ありがとうどざいました。
サンファン館に行く手前に「長寿味噌」があります。煙突が見えますから、すぐわかります。
ここの味噌がどっちの料理ショーに出た味噌で美味しいと評判です。ちょっと高いけどお味見してみてわ。是非サンファン館見てきて下さい。
かわいそう (いっくぶぅ)
2008-04-07 15:43:28
支倉常長はずーっと“かわいそう”って思ってました。
殿の命を受けて、苦労してヨーロッパへ行ったのに、帰って来たら鎖国だったという

大河の『独眼竜政宗』で宗さんがやってませんでしたっけ?

いっくぶぅさんへ (ひー)
2008-04-07 15:58:02
どうもう!
連敗しったね
大河ドラマ殆ど見ないでしまったんです。
今更見たいと思っているのですが、当時はほとんど家にいませんでした。
そう言えば髭もあるし宗さんにピッタリかも!
似てる
Unknown (ぱるえ)
2008-04-08 08:26:35
お勉強させていただきました
私も大河ドラマを見てたんで、宗さんの印象が強いです。
なんちゅ~人生なんだと思いましたよ
ぜひ、ひーさんも見てくださいね。
岩下志麻の若作りが笑えますんで…
ぱるえさんへ (ひー)
2008-04-08 20:33:00
レンタルで見るしかないか?
あるだろか?
あってもドラマだから長いかも…ww
でも若作りもみたいニッ
独眼竜伊達政宗 (あーさん)
2008-04-13 22:26:34
読了しました。
近々UP予定です。
また、ご叱正ください。
今朝 (あーさん)
2008-04-14 09:45:20
UPしました。
友情出演願いましたヨ ♪
あーさんへ (ひー)
2008-04-14 16:48:09
ありがとうござます。後で政宗関連記事をTBしますね。
後1時間半で勤務終了です。長いww

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