ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

仁和多利神社(仁和田里権現社)/多賀城笠神

2011年09月14日 20時24分58秒 | 多賀城の散歩道
仁和多利神社(仁和田里権現社)

御祭神:武内宿祢之命     例祭:旧九月十九日

由 緒:板碑から抜粋

本社は後醍醐天皇之御宇元応元年笠神村の邑人ら病門守護のため末申之方字上ノ台に勧請し奉り仁和田里権現社と称した。
本殿は元禄十二巳卯年九月晦日造営にかかり今に流造を在置し、宝永七年、元文四年、安永五年、文政十一年の
棟札を社蔵し住昔の鎮守護持今に伝わる。

明治四年神佛分離に伴い権現号を廃して仁和田里神社と称し、更に同十一年現社号となる。

明治三十七年三月 字西沢鎮座 笠石神明社
明治四十一年   字牛生鎮守 須賀神社
明治四十二年   大代鎮守  柏木神社

上記、神社を合祀し村社に列せられる。

※後醍醐天皇 元応元年=1319年

多賀城市史には
笠神花立にある。古くは鶴ケ谷の西園寺の東隣に鎮座していたが、二次大戦中一帯が海軍工廠の敷地にされたため、当社は大代の柏木神社に移され、さらに昭和三十五年現在の地に遷座したものである。 当社は子供のセキセリ(百日咳)に験があるとされ、平穏を願って供えられている鶏の絵馬を借り受け、礼詣りに二枚にして再び納める。かつてはこの絵馬が沢山供えられていたという。

ニワタリと称される神社が、宮城県を中心に福島県より岩手県にわたって分布し、宮城県では牡鹿郡などには集落ごとに祀られ、当市にも笠神と高崎の二社がある。
庭渡・鶏・二渡・鬼渡など種々の字が当てられているが、語源は水が行き渡ることを意味する水渡(みわたり)とする説もあるが不明である。
ニワタリが鶏と音が近いことから、時を告げる鶏の喉が強健であろうという連想より、百日咳に霊験があるという俗信が導かれたものであろう。この信仰は県下に広く一般である。







さてさて狛犬ですが、台座には二十一世紀の文字・・・
どうやら新人のようです。



本殿に向って右阿形玉取り


左吽形子取り


境内には、摂社がありますが表記や扁額はありませんでした。





本殿(神殿)を横から・・・



裏から・・・



石碑や板碑が並ぶ


 







蛇神はあまり目にしませんね。

蛇神信仰は、どうやら水の神と共通する面がありますね。
この鶏系の神社も水の神であることから石碑があるのでしょう。
古代人は水の神として蛇も崇め祀ったようです。
漢字から、比較すると蛇「み」と水「み」で共通するものがあります。
流れる川は蛇の如く、また水の渦はまるでとぐろを巻いた蛇のようです。



祭神は武内宿禰ですが、後から取って付けたような感じですね。

(たけのうちのすくね)ですが、大和朝廷の初期に活躍したという記紀伝承上の人物です。
孝元天皇の孫又は曾孫との説もあるようです。
なんと、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5朝に仕えたと言われ、なんと年齢は280歳~360歳などと諸説あり不明。
当然普通に考えても異常ですね。
代々、襲名している可能性もありますね。

天皇の年代も操作されていて、讖緯説(しんいせつ)なるものを、あらはばき神と謎の古代史に記載しています。

長くなりましたので、鶏系の神社(ニワタリ)についてはまたいずれ。



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16 コメント

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こまちゃんに21世紀って・・・? (ぐずら)
2011-09-14 21:06:38
仁和多利神社って、前の道はしょっちゅう通ってるけど
参拝はしたこと無かったのっしゃ。
思ったより広い境内だっちゃねぇ~
んでも!!狛犬の台座に21世紀って…!?
いくら平成13年が西暦2001年だったからって、
多神教の宗教施設に一神教の救世主紀元彫る感覚って???
Unknown (あーさん)
2011-09-14 22:25:49
外削ぎと内削ぎの混在した千木
興味深いですねぇ
笠神 (伝八郎)
2011-09-15 01:11:40
この仁和多利神社も氏子さん達に大切に護られている感じがしました。

蛇神の石碑は、私も余り記憶にないです。
蛇神=水神ならば、ニワトリを生贄にする慣わしも有りますし、昔の長田神社の様に境内にニワトリを放し飼いにし、ニワトリが嫌いな祭神(恵比寿様)が出て来ない為のニワトリのケースもあります。
まだ断言は出来ませんが、蝦夷はエビスとも読めます。ニワトリ系の神社が南東北に集中している事を考えると、後者も十分考えられると思います。

処で何故祭神が武内宿禰命なのか?
武内宿禰は応神天皇を育てたから子供の神とされます。
塩釜神社との関係も大変深いです。また、三韓征伐にも同行しています。

最後にニワトリ系神社の祭神には「波」の付く名前の神が多く見えます。
波は「pa」とも読めます。「pa」はアイヌ語で疱瘡。疱瘡は朝鮮から渡ってきたらしいですが、疱瘡神は別名・笠神とも呼ばれています。

またまた長文になって失礼しました。

ではでは。
蛇というと (維真尽(^^))
2011-09-15 12:41:48
出雲~という事になると思います

そうそう~
あ~さんの御指摘のように
千木が混在ということは
祭神も違うのかなぁ? (^_-)~☆
 
ぐずらさんへ (ひー)
2011-09-16 07:40:30
入り口のところに社名が刻まれた石柱がありました。
気づがねがった。
あの通はどこに抜げんの?
いずれ下に降りて行くんでしょうけど。
あーさんへ (ひー )
2011-09-16 15:26:06
本当ですね気づきませんでした。
全く違う造りの社殿ですね。一見穀物倉庫にも見えなくはないです 。
祭神の名前くらいは書いてて欲しいものです。

よく気づかれました。流石雨漏りどの。
伝八郎さんへ (ひー )
2011-09-16 16:00:29
お待ちしておりました。
ここは黙って通過しないと思ってましたよww
「かさ」はかさっこのかさですかね?
地名の由来も調べようと思いましたが時間がありませんでした。
恵比寿が嫌いな神ですか? 恵比寿としての祭神に関すると云うよりも蝦夷と重ね合わせた方が説明はつくのでしょう。
でもそうなると、古代東北の蝦夷系の人々の敵になってしまいますね。
維真尽さんへ (ひー )
2011-09-16 16:26:27
合祀していますから、別の祭神ですが何かはわかりません。
竜神はいい神だったと思いますよ。
昨日県の図書館に行ってきましたが、やはり出雲の関係本は多いですね。
読みたい本が沢山ありました。
是非島根県の図書館へ
熟蝦夷 (伝八朗)
2011-09-16 19:00:56
お待たせしました(笑)。
ここに武内宿禰を祭るニワトリ系の神社が有るのは、チョット凄い事です。
多賀城と塩釜神社、蝦夷討伐の謎を解く鍵ではないかと考えています。

さて、昔の戦いは呪い合戦でもあります。
たとえば源平合戦。ご存知だと思いますが、源氏は八幡神と弁財天を信仰。
平家は市杵嶋姫を信仰し、互いに呪い合っていました。でも弁財天=市杵嶋姫です。同じ神を頼りにお互いに呪い合っていたと言えます。祈願・祈祷された弁財天も大変困った事でしょう。

また、蝦夷討伐にもそれは言えます。
ニワトリ系の神に「鬼渡の神」がいます。
この神様、多分、涌谷町(笑)あたりでたむろしていた坂上田村麻呂の夢枕に立ち、「我は海であろうと山、川であろうと直ちに渡り行く故、鬼渡の神と申す」と語ってきました。

田村麻呂が涌谷で、何をしていたかは別の機会に申し上げますが(笑)、鬼渡りの神は田村麻呂を守護した事になります。

それは何を意味するのか。断言は出来ませんが、多賀城のアラハバキ神社前にテント村を築いた熟蝦夷に関係すると思います。

ではでは。
伝八郎さんへ (ひー )
2011-09-16 20:25:45
また、謎を残して立ち去りましたね。
田村磨呂が涌谷で・・・・はて?金の採掘にでも行ってましたか ?ww

多賀城のアラハバキの回りに朝廷に協力的な蝦夷の集団がいた 。
そして田村磨呂を守護していた鬼渡り神こそアラハバキだったのでは無いでしょうか ?

大胆な推測ですが・・・
そうすればまんざら鹽竈神社との関わりが生まれるのでは?
目には目を、アラハバキには瀬織津姫を (伝八郎)
2011-09-16 22:36:58
全てはお見通しでしたね。流石です(笑)。

会津の記事読みました。「金偏に祖」と書いて「ハバキ」と読ませるのですね。興味深いです。

「金偏に祖」が関連するとは言えませんが、田村麻呂は金の採取で蝦夷討伐の軍資金を賄っており、そのお礼で地主神を祭ったところ、鬼渡の神が現れたそうです。
とすると、その場所は黄金山神社と考えられます。「ひーさん」なら直ぐ判ると思っていました(笑)。

処でニワトリ系の神社で一番興味が引かれるのは「鬼渡神社」です。実は私の姓が付いている神社も以前は鬼渡神社と呼ばれていました。
祭神は「阿須波神、波比岐神」です。
阿須波神は万葉集に「庭中の阿須波の神に小柴し・・・」と言う歌が有ることから、「庭神」、「小柴神」と呼ばれ、「鹿島立つ」の言葉通り、鹿島から旅立った神が阿須波神と言われています。つまり旅の神でもあります。

「波比岐神」については、釜神であり箒神でもありますが、その名前からもアラハバキとの関連が有ると思います。

「タイトルの目には目を・・・」ですが、多賀城に最終兵器???として、十一面観音が祭られたと言う話が在ります。
日高見国を取れと言ったのは、悪神とされるムカツヒメに憑依された息長足姫(息長帯姫)こと神功皇后。
日高見国ってどこにあるの?波しか見えないぞ」と茶化してムカツヒメに祟り殺されたのが旦那の仲哀天皇。
「では軍師の私が、ちょっくら日高見国にスパイに言って来ます」と言ったのが、武内宿禰です。

とすると「十一面観音」は・・・・。やはりムカツヒメと考えられます。ムカツヒメは天照大皇神荒魂とも呼ばれています。つまり瀬織津姫です。

私はアラハバキについて殆ど断言できませんが、神風の伊勢津彦の流れから蝦夷にアラハバキの信仰が残っており、それを中和するために
同神の瀬織津姫を担ぎ出した可能性も否定できないと考えています。それで熟蝦夷が登場し、瀬織津姫を信仰し始めたのではないかと。
いやいや、これは何とも言えませんね。難しすぎます。

ではでは。









行がんねのっしゃ・・・ (ぐずら)
2011-09-16 22:39:01
残念ながら直接下には抜けられません。
この通りは仁和多利神社前を過ぎると、ぐるっと右に廻って県道沿いの中華料理三島屋の向かい側に出ちゃいます。
それに神社の裏は崖で、その下は三中から牛生に下る道だけど、県道に戻って迂回しないと抜けられないはずです。
ところで、ニワタリ系の神社は大かだ旧陸奥国内だけに分布してっけど、特に仙台藩領内にいっと集中してで約70社あんだってよ・・・
で、その内訳のベスト5が、①牡鹿郡22社、②宮城郡11社、③伊具郡9社、④志田郡8社、⑤桃生郡6社なんだとさ。
伝八郎さんへ (ひー )
2011-09-17 14:12:44
黄金山神社は訪問済でしたが 、掘り下げると奥が深いですね。
これも、メモしておこう!!
なかなかこのような資料が無いんですよね。

かなりの本を読まないと繋がりませんよね。
2連泊で仕事なのでゆっくりコメントできず失礼します。
ぐずらさんへ (ひー )
2011-09-17 14:25:26
やっぱり下に抜ける道は学校の向かいだけですね。
ニワタリ系の神社がそんなにあるとは・・・
んで全部まわるすか?
問題は牡鹿の方が現存してるか心配ですが、あの辺は高い所にあるでしょうから・・・
アラハバキと無関係には思えなくて…
知識は全くなくて・・ですが (酔漢です)
2011-09-18 12:20:18
蛇神ですが、父から戦前には鼻節神社には「蛇神」の塚だったか碑だったかがあったと聞きました。父も記憶が定かではなくて、今にして思えば、それが鼻節神社にあったのかどうかすら確実ではありません。
ですが、やはり現在でも、同神社周辺には、大蛇伝説が残されており、つい最近でも「目撃した人の気が狂った」と話す人もおられます。
はたして真実はどうでしょうか。
以前、ひーさんからは「聞いたことないなぁ」とのコメントを頂きましたが、今だ気になる酔漢でございます。
本編と違ったコメント、申し訳ございません。
そうそう、この神社で遊んだ記憶がるのですが、回りに住宅が多くなっていますね。
以前はもっと鬱蒼としていた記憶がございました。
酔漢さんへ (ひー)
2011-09-18 20:39:05
蛇は必ずしも悪いものでは、無いようです。
もう少し勉強してから記事にしたいと思います。
神話の中の大蛇やヤマタノオロチなど・・
悪さもしますけどね。
神と祟りは、紙一重ですからね。

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