ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

大日如来/多賀城市

2013年04月18日 07時00分05秒 | 多賀城の散歩道
これはHP多賀城の資料です。

大日堂

高橋発向にあり、旧高橋村の鎮守であった。(現在高橋5丁目・旧、高橋字発向貳百拾壱番地)
祭日は四月と十二月の八日で「大日講」といい、集落の人々が米を持ち寄り、握飯を作って供え、一同で握り飯を食べて祭りをしている。





高橋大日堂は、地区住民の神仏習合の場として崇拝され、御本尊日如来は守本尊として五穀豊饒 家内安全 無病息災を願い時には平穏 武運長久を祈り心の拠りどころとして厚い信仰を受けている
祖先より受け継いだ此の境内地は 平成六年三月設立発足した高橋土地区画整理組合事業の区域に入り 用地指定により換地を受けた現在地に移転新築する事になり民子会に建設委員会を組織し平成十年七月工事に着手 同年十一月二十六日遷座及び落成式を挙行完成した  安永三年(1714年)風土記御用書出高橋村の項に村空地にある弐尺四面の大日堂は寛永年中當村之者共建立仕候由申傅候事とあるが平野に点在する板碑の殆どが十三世紀から十四世紀に建立された事が専門家の調査で確認されており 同時代此の地域に暮らしていた我々の祖先が造立し
四季の生活の営みの中で祈りを捧げていた事が偲ばれる
本地垂迹思想具現の神佛混淆習俗は、明治初期の神佛分離令 戸籍法による各家の氏神登録など神祗思想普及の様々な影響を受け大日堂も大日孁神社となり明治四十一年総社宮に合祀された   その後境内地を高橋の住宅地域に移し堂宇を造り大日如来像(現本尊)を仙臺堤町の窯場で造像堂内に祀り 爾後元の境内地に遷座する昭和三十年迄信仰の場となり  元の境内地に遷座後昭和五十四年大日孁神社を大日堂として今日に至っている。
我々は祖先の喜び悲しみに思いをいたし その遺徳を受け継ぎ次の世代に風を正しく傳える事を念願するものである

御堂の裏側に回ると多くの石碑がありました。
区画整理に伴いこの辺り一帯は住宅地となり、多くの家が立ち並びます。
その影響もあるのでしょう。石碑はこの地に集められたようです。



「蔵王山」の碑がありますが、嘉永二年(1832)の碑で蔵王山の山岳信仰がこの地にも及んでいたことが知られます。
「山神」の碑は、文化七年(1810)になっています。 山神は小牛田の山神社の信仰が多く多賀城には14基の碑が見つかっているようです。
私の神社の記事にも良く見かけられますね。 笠神の仁和多利神社境内の物は文政三年(1820)になっています。




上記左に庚申塔がある。 これも良く見かけますね。庚申信仰に伴う庚申講による供養記念の碑でしょう。
ここに見られるのは天和三年(1683)














三山講、つまり「出羽三山」月山・湯殿山・羽黒山の三山講があり宮城県内でもかなりの講中があります。
仕事で何度か同行したことがありますが、大変です。
中心に湯殿山で右に月山、左に羽黒山を配するのが一般的です。
どこの神社にも多く見られますが、高崎の日光院境内にある文久元年(1861)碑には三個の石に刻んだ三石三山碑だそうです。



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