ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

冠川神社(志波彦神社)in八坂神社

2012年01月13日 16時29分22秒 | 宮城の散歩道(仙台を除く)
わけのわからないタイトルですみません。

実は、目的は冠川神社=志波彦神社で、その神社が八坂神社の境内社になっている為に

目的の神社を先にしました。

鹽竈神社の志波彦神社が元はここから遷座したと云うことです。

何故あれほど立派な大社になったのか? そこも謎ですね。

それから、志波彦に対する志波姫も今回行ってきました。 町の名にもなった旧志波姫町の志波姫神社です。

これも、何故バラバラにあるのか謎でもあります。

調べているうちに、「シワ」の文字に意味があることもわかってきました。

「岐神」「道祖神」に繋がりました。 鹽竈神社と意味は同じではないのか? それは後程。


では、八坂神社からご紹介させていただきます。

鎮座地:仙台市宮城野区岩切字若宮前11-7

御祭神: 素 戔 鳴 尊 (スサノオノミコト)

例 祭:大祭(八月一日)前夜祭(七月三十一日)

御由緒

文治五年(1189年)六月七日、高森城主の伊澤家景が京都の祇園から勧請し岩切村・余目家の城内に鎮座し、圭田・二十石を納めた神社です。
その後、同村台ヶ原頂上に鎮座して天王山と稱(しょう)しましたが戦国天正の頃より社殿が荒廃しました。

仙台藩主伊達政宗は、寛永年中に天王山より現在の地に遷宮し、祭田二百文(二石)の地を寄進し厚く祭事を行いました。
神仏混淆により、祇園牛頭天王社と称しましたが、明治の初めに現社号に改め、明治六年に郷社に列し、大正三年十二月に幣帛供進社に指定されました。
明治四十三年四月、各区内鎮守社、十七社を本社に合祀しています。
(合祀十七社)
小物忌神社(村社/羽黒前)・諏訪神社(羽黒前)・若宮八幡神社(羽黒前)・天 神 社(羽黒前) ・三 社 宮(今市)・矢崎神社(畑中)・八幡神社(畑中)・志賀神社(鶴ヶ谷)・松木神社(燕沢)・熊野神社(燕沢)・神 明 社(堰下)・諏訪神社(小鶴)・八幡神社(小鶴)・八幡神社(雑社/小鶴)・羽山神社(小鶴七反田)・熊野神社(無挌社/新宿)・雷 神 社(生沢)   
                 



狛犬君

 
向って右 吽形


八重歯が・・・いや牙?

向って左 阿形

なかなかユニークじゃないですか・・・

 
明和五年の文字が・・・1768年3月のようですね。
道理で年季が入っています。
 

本殿 


何故ここに三春の瀧桜の子供が・・・

松島の陽徳院御霊屋(愛姫の廟所)にもありました。




牛頭天王については、以前古代出雲の秘密5/スサ族とスサノオに記述しています。


愛宕神社


 

冠川神社=志波彦神社







冠川とは、八坂神社の向を流れる七北川のことです。

江戸時代には流れる村の名に従って、七北田川、岩切川、今市川と名前が変わったそうです。
冠川とも呼ばれ、今でも周辺の小中学校の校歌の歌詞に登場します。
地名の由来については、志波彦の神(岐神)が降りてきたため、神降川と呼んだのが「かむり」になったのだとしたり、その神が川を渡るときに乗っていた白馬が躓き、神が冠を落としてしまったからだという伝説やあるいは、川が運ぶ大量の土砂により、しばしば河口が塞がれ、その形状が冠をかぶっているように見られたことに由来するという説もある。

つまり、志波彦神は元々この付近にあり、冠川明神とも呼ばれていました。

天正に縁起を焼失、沿革不詳ですが、本社は延喜式内名神大社志波彦神社で、いつ頃よりか甚だしく衰微していましたが、延宝三年(1675年)の再建には、堅石五尺・横六尺の小祠になり、しかも摂社である天王社と並び立つ状でした。
 明治四年五月十四日、官国幣社規定に当たり国幣中社に列せられましたが、社地が狭い為社殿造健不可なる理由により、明治七年二月二十四日、鹽竈神社へ遷座しました。

明治十年三月三十一日、官許を得て志波彦神社分霊を岩切村の旧社に奉遷し冠川神社と称し、国幣中社志波彦神社・鹽竈神社の摂社に指定されました。                             

志波彦の神もあっち行ったり戻ったり、忙しいですね。

こんな訳で、今の志波彦神社・鹽竈神社があるのですね。

以前にも書いていますが、宮城郡の式内社は、伊豆佐比賣神社・志波彦神社・鼻節神社・多賀神社の四社です。

志波彦神社の別名は、冠川明神・神降明神・西宮と呼ばれていました。

西宮とは、多賀城を中心に東宮・西宮・南宮・北宮とがあります。



『宮城県』 ジャンルのランキング
コメント (17)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 鮭・・・・・PRETZ | トップ | 忌引 »
最近の画像もっと見る

17 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
氏神 (伝八郎)
2012-01-13 19:31:28
私の住んでいる街の氏神は、この八坂神社、もしくは二柱神社になるのですが、まさか故郷のいわき市で興味を持った鶏の神社が、現在の氏神とつながっているとは・・・、もう因縁としか言えません。

それと利府の伊豆佐比売神社も志波姫町に分霊されたと聞いていますが、まさか・・・・。

この点はもしかしたら真光教を学ばないと判らないのかも??

ではでは。
伝八郎さんへ (ひー)
2012-01-13 21:40:59
また、謎めいたものを残していきましたね。
伊豆佐比賣が志波姫に・・?
フム?
真光・・私の解釈では、太陽が大元の神になっていて、キリストや仏教その他の神々は、その下で間接的に伝える役目みたいなものですかね?
神の子の力甦らせ給えと申すことのよしを・・・
確かに古代の神と現代の神との関係に似ていますね。
本年も (大京)
2012-01-13 22:48:35
ご無沙汰しておりました。
ひーさんも超多忙なら、わたくしも超多忙で、本年に入りやっとPCを立ち上げた次第です。
滝桜の子孫は、どこに行ってもよく会います。
滝桜を見に来た人々は、あの美しさや雄大さを求めて、必ずと言ってよいほど苗木を買っていくようです。
あそこまで枝がはるのに1300年かかっているというのに、自分の家の庭でも堪能できると勘違いするのでしょうか?笑

しかし、またりっぱな神社を紹介していただき、寄らねばならない場所が増えるいっぽうです。
春には塩釜神社と、再び多賀城を訪れる予定です。が、ここも行かねばなりませんね。笑

もう、この3月から歴史の勉強会に行くことにしました。笑

独自の勉強では追いつかないので・・・。笑


なんと、わたしの住んでいる地区も田村麻呂ゆかりの場所でした。
調べてみると、ここは田村麻呂の伝説の宝庫です!本拠地だったのでしょうか?
もう、忙しくて手がつけられませんが、徐々にやっていくつもりです。

ひーさんも忙しそうですね。
でも、年賀状の龍!かっこよかったです。
多忙ななかでも、きっちりとこなしているところはさすがですね。
今年も見習って頑張ります。

本年もよろしくお願いいたします。


Unknown (あーさん)
2012-01-13 22:54:57
本命の冠川神社=志波彦神社に
狛さま不在なのはチョット淋しいですねぇ


当家の門扉には 蘇民将来 を貼ってありますヨ ♪
志波彦さん (酔漢です)
2012-01-14 08:32:03
移転の経緯は知ってましたが、その背景までは知りませんでした。
また伝八郎さんのコメントを拝読し、「そうであったか」と知った次第です。

「シロバカ」仙台四郎のことなんですね。
大いに興味ありです。
今後の展開が楽しみです。
Unknown (FREUDE)
2012-01-14 11:02:47
夏に自家用車で東北へ行った時、
仙台市中心部から岩切へ向かう県道8号線が
あちこち未だに波打っていたのが、心を痛めました

平成7年に起きた阪神淡路大震災で、神戸のあちこちが
道路を壊してしまいましたが
3月11日の震災に続いて4月7日の地震も
酷かったようですね

この狛犬たちも驚いたことと思います
大京さんへ (ひー)
2012-01-14 16:21:40
歴史の勉強会ですか、いいですね。
たま~に歴史博物館てもあるのですが、なかなか参加出来ません。
滝桜の子孫確かに生きている内に立派な桜を見ることは出来ませんね。
神社の鳥居にある偏額について不思議に思っていたことがあるのですが、今回の津波で確証出来ました。
もう少し検証してみたいと思っています。
雨漏り書斎主人様へ (ひー)
2012-01-14 18:16:20
そうなんですよ。伊達の殿様が大きくしたくて塩釜に持って行ったのはいいのですが、元は本家てすからそれなりに祀って欲しいものです。
酔漢さんへ (ひー)
2012-01-14 18:28:55
近くにあるのですが、なかなか行けないものです。
そんなものですね。
シロバカ・・・・メールでしかコメント出来ませんが、面白い所があったらメールしてあげてください。励みになると思います。このブログから!と言えば分かりやすいかも?
FREUDEさんへ (ひー)
2012-01-14 18:45:19
神戸も恐ろしい被害でしたね。
今回はあまりにも範囲が広すぎます。
地震だけだったら、死者がこれ程までに増えなかったでしょう。
日本の地震はこれで終わったわけでは無いので、これからも備えあれば患えなしですね。

コメントを投稿

宮城の散歩道(仙台を除く)」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事