ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
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御釜神社(御釜社)……そして、しおがまさま  その1

2009年01月11日 20時46分57秒 | 塩竈の散歩道
             御釜神社の鳥居です。 

塩竈は古代以来、多賀城に国府が置かれ、その国府の港(国府津)として早くから開かれました。又奥州一宮・鹽竃神社神社の門前町として栄え、風光明媚な松島と共に、歌枕の地として、都人の憧憬の地でした。

多賀城政庁跡:復元模型

何度か鹽竈神社については記事にしてますが、御釜神社は鹽竃神社の末社でもあり、鹽竃神社を語らずに御釜神社を語ることも出来ないでしょう。

 少し長くなりますが、興味の無い方は、こんなのもあるのだと写真でも眺めて下さい。


一森山に鎮座する鹽竈神社は、別宮に鹽土老翁神(しほつちおじのかみ)、左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)、右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)の三神をお祀りし広く崇敬されてきたお社です。

鹽竈神社

その始まりは、あきらかでは無く、私の想像では、ほぼ多賀城の国府と同じくらいではないかと思います。

※多賀城:奈良時代、蝦夷(えみし)&東北経営の拠点、多賀柵(たがのさく)とも言う。
 724年陸奥国府及び鎮守府(所謂、軍隊)が置かれた。
 前九年の役(平泉)には源頼義がここを拠点とした。


文字による確かな記録としては『延喜式』又は『弘仁式』で、平安時代初期が始めとなります。

主税上の項目に「鹽釜神」の祭祀料「一万束」と記され、他に記録されている祭祀料としては、伊豆国三島社(二千束)、出羽国月山大物忌社(二千束)、淡路国大和大国魂社(八百束)とあります。これらと比較しても待遇の大きさはダントツ飛び抜けてます。

※ここで、私は戸惑いました。一束っていくら?
 一束=稲一束のようです。 それが塩釜神社に一万束です。
 維真尽さん!! 一万束を刈り取るのにどれくらいの広さになるだろう。何町歩(何反部)何平米でもいいや…教えて下さい。


鹽竃神社は、重要な地に祀られ破格の公費を投じ祭祀されたことを見ると、国府の祭事に直接関係する宗教施設として特別な意味を持っていたようです。
『延喜式』に破格の祭祀料が記されながら、その巻九・十にある、当時の「神名帳」(神社台帳)に記載が見られないことも、特殊性を感じます。

留守氏「留守職」
陸奥国府には、組織を取りまとめる長官として、「留守職」が置かれます。

鎌倉時代には、将軍によって伊沢家景がこれに任命され、伊沢氏は、職名により留守と名字を改めて職を世襲し、神宮らを従える「神主」として鹽竈神社の神事に参与し、深い信仰を持ちました。


鹽竈神社縁起の作成は遅かった。

意外だったのは、鹽竃神社の御祭神は長い間あきらかにされていなかったようです。
江戸時代になると、考証的な学問も発達し四代藩主:伊達綱村は、鹽竃神社に関する記録や伝承を調査させ、元禄六年(1693)に公式の御由緒として『鹽竃神社縁起』を作成します。
それには、左宮:武甕槌神、右宮:経津主神、別宮:岐神(「鹽竃六所明神」と呼ばれ鹽土老翁神など五神と同体としている)として御祭神を明らかにしています。


伊達綱村は、塩釜の恩人だった。

17世紀後半、港への荷揚げが減少し塩竃は衰微します。
しかし伊達綱村は貞享二年(1685)に九か条の特例を敷き、塩竈村の年貢の軽減や一部免除、毎年250両の御恵み金の支給、鮮魚や材木の荷揚げを塩竃に限るなどの厚い保護政策で、塩竃は仙台随一の港へと発展することになるのです。
綱村の深い信仰がわかりますね。

縁起によると

三柱の御祭神は国土平定の為に各地に赴き、平定後は塩竃に祀られます。
その後、左宮神は常陸国鹿島郡(茨城県鹿嶋市・鹿島神宮)
右宮は下総国香取郡(千葉県香取市・香取神宮)に遷幸され、さらに二神は大和国三笠山(奈良県・春日大社)へと遷幸されましたが、別宮神は塩竃にとどまり、製塩を教え広めて人々を導いたとされます。

お待たせしました。 ここから御釜神社の話です。

製塩を教え広めた時に用いられたとされる四口の鉄製平釜が、この境外末社の御釜神社に奉安されています。
塩竃神社の最も重要な神事の一つ藻塩焼神事がここで行われる。








一対の狛犬様がいました。 年代感じますね~。

        

藻刈神事 7月4日 御祭神に縁の深い花渕浜沖(鼻節神社沖)で海藻(ホンダワラ)を採取



水替神事 7月5日 釜ヶ淵で満潮時の塩水を汲み、木の樽に入れて担いで運び、新釜の水を更新する再生の神事。



藻塩焼神事 7月6日 海藻の上から海水を注ぎ、その水を煎熬して塩をつくる。
この塩は、塩竃神社例祭に神前に供えられる。



燧石で点火して釜の海水を煮詰め、粗塩を作ります。
県の無形民俗文化財に指定されています。




つづく  次回は、御釜の伝説と境内とその周辺
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19 コメント

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お晩です (あーさん)
2009-01-11 23:10:02
いやぁ よく勉強されましたねぇ
感服です ♪

拙、オフ会の後、東郷神社を取材しましたヨ
Unknown (桃源児)
2009-01-11 23:26:56
留守氏、東北の名族ですね。この神社と関わりがあったんですね。
狛様、本当に年代物ですね。
藻塩作り、滅多に見られない物を見させていただきました。
知りませんでした。 (ミモザ)
2009-01-12 07:38:13
お早う御座います~♪
御釜神社って多賀城にあるのですか?
多賀城は歴史のある町なので、歴史散歩もしたいし、良い記事を取り上げて頂き嬉しいです。
それにしても伊達綱村さんが登場とは?
政宗さん以外に綱村さんにも関心がありますので、その内に綱村さんもお願いします。
次回も楽しみにしています。
ビルが気になるね (モコ)
2009-01-12 10:33:59
ビルが邪魔だよねぇ~
寺・神社の周りは市が買い取ってビルを建てない様にしてもらいたいよね
多分無理ですよねぇ~
あーさんへ (ひー)
2009-01-12 11:23:53
ここまで書く必要があるのか、考えましたが、検索にヒットした時、鹽竃神社や御釜神社について知りたい人の為にやはり書こうと思いました。
wikiもあるのですが、写真も無いし・・・
後で見たら、似たようなことが書いてあるので、リンクした方が良かったかなと?
チョット後悔
東郷神社楽しみにしてます。
桃源児さんへ (ひー)
2009-01-12 11:30:00
色々気になると調べたくなりましてね。
地元のことだから興味もあるし・・・
考えるとつきないですがね・・・
ミモザさんへ (ひー)
2009-01-12 11:34:28
そうそう場所を入れるのを忘れてました。
地図の写真を撮ってあるので、次回に説明します。
塩竃なんですよ。
モコさんへ (ひー)
2009-01-12 11:39:27
ここの境内は狭いんですよね~
昔は、賑やかな町の中でしたが、大型店舗の出現で、寂しくなりましたね。
中心部の小さなお宮さんは、しかた無いのかも知れませんね。
いや~ (維真尽(^^))
2009-01-12 21:00:03
勉強になります (^^♪

宿題~調べまし~た 
余り意識したことないんで...

だいたい 一反あたり 16,500株
一反で~昔だと5俵くらいでしょう~か
だから~1万株だと 3俵ということになります~が
いかがでしょう~か (^_-)-☆
・・・・。 (みっちゃん)
2009-01-12 21:27:54
す、すごい狛犬だね(^^;)

(-_-。)ついつい御金神社って読んじゃいましたわよぉ~
維真尽(^_^)さんへ (ひー)
2009-01-13 08:10:30
ありがとうございます。
記事に後程加えておきます。

この1俵は60キロの考えでよろしくでしょうか?
みっちゃんへ (ひー)
2009-01-13 08:20:52
確かに釜より金が欲しいものです。
塩竈神社 (丹治)
2009-01-13 14:32:51
塩竈神社に武甕槌神と経津主神を祀ったのは、伊達家四代の綱村だと聞いておりましたが(だから昔から塩竈にいる人が塩竈様に御参りする時は鹽土老翁神が祀られている別宮から御参りするとも)、そのようないわれがあったのですね。勉強になりました。

二三年前の夏に鹿島神宮に参拝したのですが、「塩竈から来た」と告げると「塩竈神社から鹿島神宮に何やら(失念)納める神事があるのだということを教えてもらいました。塩竈神社と鹿島神宮、それぞれ陸奥国と常陸国の一ノ宮ですね(ということは香取神宮とも繋りがありますね。香取神宮は下総国の一ノ宮だったと思います)。

塩竈神社といえば、鹽土老翁神は天津神ではなくて国津神。だから一ノ宮なのに延喜式には名前が出ていないと聞いたことがあります。面白い・・・という言葉が不謹慎なら、興味深い、いや、不思議な神社です。

留守職は奥州の行政を統括する役職ですから、神社の祭祀のことも管轄内ですね。確か神馬社の説明では、留守氏が奉納した御神馬もいたのではないでしょうか。

因みに鎌倉幕府の出先として御家人の統率と治安維持を担当したのが奥州惣奉行。これに任じられたのは葛西氏だそうです。


丹治さんへ (ひー)
2009-01-13 18:36:14
鹿島神宮、香取神宮との絡みは、今回初めてわかりました。天津神VS国津神…つまり地神で系統が違うのですね。
勉強になりました。それから、御神馬なのですが、今まで一度も触れていません。
それは、御神馬になれる条件がありますね。足が4本共白いとか…(馬の専門用語忘れました)体に七つ星があるとか…、丹治さんは知ってるかと?
それが解れば、合わせて馬放島のはなしでもと思ってました。
そうそう、葛西氏も勉強不足で、葛西氏大崎氏のことは、丹治さんから学ばないと……反省!
塩竃神社はまだまだこれから? (クロンシュタット)
2009-01-14 06:12:21
ふうむ。体調が戻らん!自律神経がおかしいらしく、めまいなぞもおきて、なかなか参戦できないです・・・

御神馬は、塩竃多賀城っ子が初めて近くで目撃出来るお馬さんですね。確か人参をあげれた様な記憶があります。
で、日時計もありますね。塩竃桜もあります。日本三大荒れ神輿の大神輿もあったりして。
ふふふっ。ひーさんがんばれー・・・


クロンシュタットさんへ (ひー)
2009-01-14 10:44:21
そうそう・・・
実は、去年の桜は、塩竃桜がまだ咲いておらずUPしませんでした。今の御神馬は空家一昨年かな? 亡くなりまして。
確か生きてるときの写真があったので機会を見計らってですね。
祭りは雨で行きませんでした。
次回でも・・
鹽土老翁神 (ぐずら)
2009-01-14 20:10:12
鹿島神宮の祭神タケミカヅチは藤原氏の祖神で春日大社に勧進され、
石上神宮の祭神フツヌシは物部氏の氏神で香取神宮に勧進された天津神。
二人で出雲のタケミナカタを諏訪に追っ払い
シオツチノオジの案内で東海から北関東に遠征して
最後に塩竈にやって来た・・・
いっぽうシオツチノオジは、釣針失くした山幸彦を竜王宮に案内し
薩摩の笠狭の岬で天孫ニニギに国譲りしてから
鹿島香取両神の東征を船で導いた国津神で
二神と別れてこの地に鎮まった・・・
ちなみに、良港の塩竈には直接上陸せず
なぜか険阻な花渕の吠崎に船を着け
その地にしばしとどまった。
この話って神武東征に似てないか?
那智に上陸し熊野にしばしとどまった後、大和に入ることができた・・・
ついでにいうと、塩竈神社を総本社として
シオツチノオジを祭る神社は全国に130社ほどあるらしい・・・
ぐずらさんへ (ひー)
2009-01-14 21:40:36
神話も似たような話や伝説が多いかも・・・
まぁ、聖書も神話も作られてきたものとは思うのですが、モデルとなった話や実在した人も居たのでしょう。
古代史を解説した本を読んでいると、がっかりすることもあるし、面白くなって来るのもあります。
でもまだまだ、勉強不測です。
今回も、メインは御釜社なので、鹽竃神社のことももう少し書き足さないといけませんね。
あまり本気で書くと、興味のないブロ友さんが大変なので、わかりやすく砕いて書くのが大変です。
あまり長いと、読みたく無くなるから、カットしながら書いてます。
少し置いて、また書きますよ。編集が大変なんです。
真面目に仕事しながら、妄想してます。・・・
お晩です (あーさん)
2009-03-23 23:19:39
T.B ありがとうございます♪

T.B 返しさせて、貰います。

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鹽竈神社の狛犬達 その1 (狛犬さんの散歩道)
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