ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

藩境を決めよう&南部曲がり屋

2007年12月29日 14時18分32秒 | 仙台藩と伊達家のお話し
むかしむかし、 伊達藩と南部藩の境がハッキリしていませんでした。

そこで伊達の殿様は、南部の殿様に手紙を書きました。

『○月○日 午の刻に午に乗って、お互いに会った所を藩境にしよう。』

当日、伊達の殿様は,手紙の通り、馬に乗って午の刻にお城を出て北に向かいました。

しかし行けども行けども南部の殿様に会いません。

北上に入った頃、南部の殿様は牛に乗ってゆっくり来たではありませんか。

何故牛に……

そうです、南部の殿様は、午(うま)と云う字を牛(うし)と読み間違えたのです。

二人が会って去ったところから、相去と呼ばれるようになりました。

そこが藩境になったと云う話しです。

現在の北上市相去町に藩境の碑があります。

今は岩手県ですが、藩制時代は仙台藩でした。

南部と言えば、南部曲がり屋ですが、この辺りに曲がり屋が無いのは、仙台藩だったからですね。

仙台藩の家屋は、直屋形式

画像


まぁ、全部が曲がり屋だったわけではありませんけどね。


南部曲屋 とは…

L字型の家で馬小屋と母屋屋がつながっている家屋です。
昔の農家にとって、家畜(馬)は重要な労働力の一つでした。
そんな大事な家畜をいつでも監視、管理できることと、人が取った暖も馬小屋の方に流れ一石二鳥だったわけですね。
実は、一石二鳥ではなく四鳥くらいになります。

雪国の東北地方では、冬の作業は大変です。
この曲がり屋の馬小屋と母屋の角のスペースを利用して、農作業ができました。

実は、南部藩は家屋一個につき税金を掛けました。
馬小屋があると、二棟として税金をとられたのです。
それで庶民は、税金から逃れるために馬小屋をくっつけたのですね。

南部曲がり屋の写真が無かったので、今描きました。
画像


こんな感じですかね?  イメージということでご了承下さい。 一応遠野の千葉家を想像して描きました。


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