ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

アイヌ語地名解/岩手とアイヌと平泉文化

2009年01月24日 13時59分52秒 | みちのく文化研究&歴史
 東北文化研究 第一巻第二號 昭和三年十月一日発行 から

青字は私の意見です。 そのまま現代の漢字にしたものもあるし、省いて解りやすくしたものもあります。



奥州に蝦夷が居たことは歴史の上で顕著な事実だ。
したがって蝦夷がアイヌと同一系統の人種である以上、奥州にアイヌ語の地名があっても不思議ではない。

石器時代の遺物を見ると、アイヌと同一系統のものが遺したと認められる品が内地各所から発見されている。
随って日本全国いたるところ、アイヌ語の地名があっても差し支えない筈だ。

そこでアイヌ語辞典を引いて、各地の地名を説明することが流行る。
その一例として、「北海道地名解」という本の附録から少々下記に紹介する。

堺。(サツカイ)砂が乾ける所の義。
大阪府の堺市は海岸に出来た市街で、砂が乾いて今の土地が出来たに相違ない。

鳥取県の堺港も、砂嘴(さし)の突端によって同じ条件を具備している。

併し堺は摂津と和泉との堺に出来た市街で、堺港は伯蓍と出雲との間の港だから始末が悪い。
始末が悪い・・の意味は、位置関係がわからないのでなんとも理解できていません。


上野、下野。(ケヌ)、平野の義。
ケは平野の義、ヌも野の義なり。

鬼怒川。(キツヌプ)、芽の原の義。
或る程、上野下野の両国も毛野と云ったのだから、それは先ず平野の義に良いとしてみる。
鬼怒川はその毛野の国から出た川で、それで毛野川と云ったのだったが如何にと言いたくなる。
アイヌ語のキツヌプから、時代が飛んだように思います。
毛野川と鬼怒川の発音は似てはいますが、キツヌプとの関係が??



羽前、羽後。(ウ)、広きところの義。
ウはウシケと同じく、「広く果てしない土地」を意味する。
羽前には広い平野がある。これは明治の初めに、出羽の国を前後の二国に分けて、その「羽」を音読みしたのだった。

庄内。(ソウ、ナイ)、滝の川の義。
庄内には急流最上川がある。 ここはもと大泉荘の荘内であったのだから困る。
しかし、大泉荘は、石器時代や蝦夷の時代のずっと後なので、気にしなくてもいいのでは?


陸奥。(ムト)、刀を帯ぶる義。
奥州のエビスは武に長じ、エビス即ちエムシはアイヌ語で刀剣を意味する位だ。
陸奥はもと道奥即ちミチノオクノ国でそれがミチノオクノクニになり、略されてミチノクになり、それが地方音によってムツの国になった。
確かに、その辺の爺さんに、ミチノクって言って下さいと言えば、ムツノクと発音するかも! 納得!


平泉文化に見るアイヌ 

藤原三代のミイラが金色堂の須弥壇(しゅみだん)に安置されていることは、よく知られています。
また、平泉文化は12世紀から今日まで八百年もの長い間、三人のミイラが保存されているのも世界の謎なのだ。

昭和25年調査の時、この三代は倭人であると発表されているが、異論も多いが、この時代には、混血も進んでいるので、区別が付け難いのではと小生も考えます。

このミイラは、自然説もあるが、どう見ても人工的に思えます。
それは、皮膚が緊張してしなびていないこと、脳漿や内臓が残っていないこと、後頭部と肛門に人工的な穴があること、三体とも同じ様なミイラであることが上げられます。

そして金色堂そのものが、彼らの遺体を納める葬堂として造られている。

藤原清衡は、「紺紙金銀字交書一切経」5300巻を宗の五台山から砂金十万五千両を投じ輸入している。

金色堂須弥壇の勾欄の紫檀財や多くの螺鈿細工に用いられた夜光貝もすべて輸入品だ。
輸入ルートを考えれば平泉と宗とは、日本海航路で直接結びついていたのではないかと考えられます。
当時の平泉の豊富な財力はそれを可能にしていたのでしょう。
まぁ、この財産を求めて、国府軍が戦争を起こしたわけですがね。
前九年の役や後三年の役については、いずれまた・・・





調査や復元の時この螺鈿を作るのに、夜光貝を探すのに大変だったと読んだことがあります。

藤原氏がアイヌ系である理由
それは・・・
このミイラを作る風習は樺太アイヌににていること。
金色堂内の六体の地蔵は、アイヌが六を聖なる数とし、ユーカラにも六人の神々出てくること。
清衡の着ていた小袖はアイヌの袖と同じであること。
鹿の角で作った刀はアイヌの刀であること。
棺の中のたくさんの木の実は狩猟採集生活的であること。
また・・・
東北地方の人は、頭の形が長頭型が多い
指紋に弓状紋が多い

律令制の頃からは、南から農耕文化を持った人達が来て磐井から紫波辺りにかけ、先住民と混血していったと云われています。

先住民とは、アイヌ・エンチューウタリ(樺太アイヌ)・オロッコ(ウイルタ)・ギリヤーク(ニヒピ)・キリン・ヤクート


※オロッコ以下の四族はアムール河流域のツングース族であったともいわれる。

これについては、津軽地方に伝承されている、太古東北に阿曽部族(あそべぞく)、津保化族(つぼけぞく)が住んでいて、そこへ安比族(あぴぞく)やってきて混血して荒吐族が出来、それが安倍氏になった、という話とにている。

この荒吐神社については以前記してますので、こちらをご覧下さい。
アラハバキ神社

厳密に言えば、アイヌと蝦夷は区別して考えるべきであると思いますが、文化の流れの中で密接な関係にあると思いますので、ここではアイヌと表現しています。

蝦夷に関する関連記事 毘沙門堂
ここの鳥居は両部鳥居でそれを立派に造った感じです。


岩手の地名&山名

岩手の地図を見ると、カタカナの山が意外と多い。
なんてったって、奥羽山脈に北上山地と山も多いが面積も四国4県が入るという。
ですから山も全国の名だたる山の10パーセントはこの岩手なのです。

それでは、「オイネガ森(大槌・釜石)」、「サンポトジ頭(宮古・新里)」、「ツクシ森(葛巻)」、「マネドコ山(山形)」、「メンヅクメ山(岩泉)」、
・・・・

「マネドコ山」は、アイヌ語の「オマン・エトコ」=奥に入る・水源

「サンポトジ頭」は地形的に、「三方に明け放した」とか、少女のおかっぱ髪型の
方言「ザンボ」、日蓮宗の本尊「サーボー様」等々様々な説がある。

地名では、軽米・種市にまたがる「ノソウケ峠」は「特別の悪魔払いの儀式を執り行なった所」という意味がある。

沼宮内・和井内などのように「ナイ(沢・川)」が語源となっているものは、後に漢字で当て字にしたものでしょう。
カタカナの山名は、このようにアイヌ語や方言であったもので、何らかの理由で漢字にならなかったり、表記するのが難しかったのでしょう。

「ベツ・ベチ・べ」は「ナイ」の川より比較的大きい川の意味がある。
浦子内・樫内・左比内・馬渕川(まべち)・宇別・遠別・荷軽部・乙部(おっとべ)・宇部・彦部・達曽部など

「メナ」=上流の細い枝川の意味。
目名・目名市など


長くなりました。 ここまで読んだあなたは偉い! 辛抱強い!

ここに感謝申しあげます。  明日、僕の誕生日ですww
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30 コメント

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それにしても… (ぱるえ)
2009-01-24 15:15:55
ひーさんはいろんな本を持ってますね~
…って、ぐずらもけっこう隠し持っているようですが
なんだか二人とも似てますね!さすが同級生

ひーさん、お誕生日なんですね。おめでとうございます
明日はパーティですか? いいなぁ~
凄いねぇ~ (モコ)
2009-01-24 16:29:25
これだけの本を読むだけでも凄いと思う
尊敬するよ
多分私は無理だなぁ~
Unknown (桃源児)
2009-01-24 20:41:45
明日、誕生日なんですか、おめでとうございます。
平泉、この地名を聞くと黄金が思い浮かびますね。
今、福岡で平泉展が開催されていますので、先日、見てきました。
ミイラを作るという習慣は日本にはないので、やはりアイヌ系なのかなあとも思ってあいまいます。
ぱるえさんへ (ひー)
2009-01-24 20:59:03
ぐずら君! 高価な本買ったようですよ。
まだ予約ですが!
二人で同じ本を買ってしまったようです。
半分ずつ出し合えばよかった。

残念ながら明日は、泊まりです。トホホ
モコさんへ (ひー)
2009-01-24 21:01:54
今日書いたのは、1ページだけですよ。www

他に参考にした本もありますけど。
すみません、読ませてしまって。
まずは~ (維真尽(^^))
2009-01-24 21:02:45
誕生日おめでとうございま~す
うちの娘と同じ誕生日とは (^^♪

そして~
大作~ですね(^^)v
まさかここに
鳥取県の堺港がでてくるとは
あの~
堺ではなく境なんですよ (^^ゞ

ともあれ~
藤原氏
アテルイとかそういう言葉を考えると
充分 アイヌってことは
想像できますね (^_-)-☆

桃源児さんへ (ひー)
2009-01-24 21:08:16
やってましたか~
私の街の博物館でもやっていたのですが、仏像の方が多いのかなと思って、興味があったのですが、行かないでしまいました。
たぶん、同じものが回っているのかも?
平泉の話は長いので、小出しに書きたいと思います。
炎立つも見ないでしまったのです。
いーさんへ (ひー)
2009-01-24 21:14:28
お嬢さんと一緒でしたか。
島根の境は直して置きますね。
毘沙門堂の記事に悪路王の顔の面があるのですが、実は、アテルイです。
お晩です (あーさん)
2009-01-24 22:18:23
いやぁ 力の入った記事ですねぇ
感服仕りましたっ

明日でいよいよ30才でしたか?
おめでとう存じます♪
おめっとさん ♪ (ぐずら)
2009-01-25 01:29:32
いやぁ~♪じっとしてても歳はとるなぁ・・・

ところで、エンチューウタリ・・・
エゾ、エミシorエビスの語源がこのエンチュだって云う説があるな
①エンチュ→エンジュ→エンゾ→エゾ
②エンチュ→エミチュ→エミス→エミシ
③エンチュ→エムチュ→エムス→エビス

んでも、アイヌとエゾの関係は時代的な前後関係や地域的な広がりの曖昧さもあって
なかなかむずかしい問題だな
それにアイヌが民族的に確立した時期は、
エゾ系諸部族の居住地が北海道以北に収束した室町時代ごろとも云われてるし・・・

いずれにしても、東日本の縄文系民族のうち弥生文化の受容が遅れた集団がエミシorエゾと呼ばれ
さらにエゾ諸部族の割拠する奥六郡の北方、朝廷権威の埒外の北海道では、
南下してきたオホーツク文化集団との混合で近世に継づくアイヌ民族が
ゆっくりと時間をかけて形成された・・・

つまり、8世紀末のアテルイや11世紀の前九後三年の役の頃にはまだ、
アイヌ民族と総称されるような民俗集団はできあがっておらず
いってみれば、後世その一部がアイヌ民族を形成する母集団としてのエゾのコトバが地名に残っている・・・
と考えれば辻褄が合うんではねーかねぇ

もっとも、西日本の地名や出羽(いでは)、毛野(けぬ)
なんかの語源をアイヌ語(エゾことば)に探るのは
ちょっとコジツケっぽいと思うなぁ~
あーさんへ (ひー)
2009-01-25 07:09:04
またまたレスが翌日に、すみません
恐縮です。
気になっていたことですので・・・・
チョット自分の勉強の為に、皆さんを巻き込んでます。
ぐずらさんへ (ひー)
2009-01-25 07:17:32
まだまだ、解らないことだらけですね。
何せ、文字を持たないとされてきましたからね。
また、新しい情報があったら記載します。
この本が、古いということは、昔の情報なので、遅れているともいえます。律令制になってから、変化があったことは間違いないと思います。今度は、アイヌと琉球の同一語について触れます。
歴史の勉強! (ミモザ)
2009-01-25 07:54:35
お早う御座います~♪
本日は歴史の授業を受けている生徒になりました。
この時代の歴史は複雑でよく分からないだけに
とても参考になっています。
ぐずらさんのお話にも納得です。
平泉文化は輸入品が多い事やミイラの話など
からも不思議な文化だったのではと推察されますね。
次回も楽しみにしています。
ひーさんお誕生日おめでとう御座います
おめでとうございます (papiee)
2009-01-25 10:32:08
夜光貝ってなかなか見つけられないのですか?
あんだけの大きくて太い柱だと
沢山の量が必要なんでしょうね。
キラキラして綺麗ですね~!

1月25日!
ひーさん、お誕生日おめでとうございます!
今日は、お祝いのパーティーですか?
ホテルのディナーとか??
これからもダンディーなひーさんであり続けて下さいね!


ミモザさんへ (ひー)
2009-01-25 14:12:44
ありがとうございます!

また、つまらない記事にコメント頂きありがとうございます。

あの時代に、10万から13万の人口がいたとされています。
多分京都についで2番目くらいかと?

あそこの戦いは複雑で長いものですからなかなか書く気になりません。
気が向いたらまたチョコチョコ書きます。
papieeさんへ (ひー)
2009-01-25 14:43:07
wwwダンディーは美化しすぎですよ。

残念ながら今日は勤務で泊まりです。

弁当食いました。
Unknown (ほでなすいっく)
2009-01-25 19:47:02
ひーさん、お誕生日おめでとうございます

仙台市博物館の平泉展見にいきましたけど、螺鈿細工はただ「キレ~♪」ってしか…
いっくさんへ (ひー)
2009-01-25 20:21:27
どうもです。恐縮です。

何でまた…?博物館へ
興味あったんですか? なんて聞いたら失礼ですよね。

あ~綺麗! そう思うだけでいいんですよ。
贅沢を言えば、何で綺麗何だろと疑問を持つともっといいですね。
中学の時化学の先生が言ってました。
いつも、何故なんだろう?、どうしてなんだろう? 思う気持ちが大事なんだ!ってね。
Unknown (虎龍)
2009-01-25 23:19:29
日本の先住民族の話は興味深いですね^^
かなり勉強になりました。
ありがとうございます。

また誕生日なんですね^^
おめでとうございます。
(少し早いかもしれませんが・・・)
なるほど・・・ (みっちゃん)
2009-01-25 23:42:51
鬼怒川もそうだったんだ~(・_・)
・・・。あの柱!!! 欲しい!
あそこ(・_・)ベッドルームにしたいくらい・・・ ←不謹慎
虎龍さんへ (ひー)
2009-01-26 00:31:40
ありがとうございます。
こんな記事にコメント頂き恐縮です。

早くないですよ。
この記事昨日のですから。wwww
みっちゃんへ (ひー)
2009-01-26 00:36:44
ベッドルームにしてもいいけど……
あの中にはミイラが入ってるよ。
二体のミイラと三代目の首です。
仲良く寝れるかな?
酔漢さんにはナイショだよ (クロンシュタット)
2009-01-26 06:30:23
わーいわーい!合同お誕生会だーい!
我が家の次男は1月23日でした。。

親父の裏金で購入したパティシェケーキは、ありがたがれることもなく家族の胃袋へ・・・
親父が食することが出来たのは角度30度分だけでした・・・

酔漢さんに見つからないようにこっそり書き込むんだけんど、同じ1月23日は長男の推薦試験もありやした。合格しだみだいだぁ。
酔漢さんとこの長男さんとおんなじ高校になるのっしゃ・・・

あ、で、私が生まれた秋田県羽後町西馬音内(にしもナイ)は、雄物川上流域でして、確かに川だらけです。
母親の実家は、庭の中を小川が流れていまして、どじょっこをとっておかずにしていたものです。
みちのくは稲作が出来なくとも食料が極めて豊富でした。採集生活、狩猟生活でも十分に暮らせる地域でした。
それを「遅れた縄文文化」と捉えた中央政府が持ち込んだ稲作により、支配し支配される「弥生文化」の時代となってしまいました。

金色堂は覆いがなかった時代に見てみたかったですね。神々しいというか、恐ろしい程の存在であったと思います。
真冬の中尊寺は、坂道が雪深くツルツルで、命がけ?の参詣ですが、人の気配がほとんどなくて神秘性が増しますね。
クロンシュタットさんへ (ひー)
2009-01-26 07:00:24
合格&息子さんのBDおめでとうございました。
裏金のケーキはありがたみが無かったようですね。
まぁ、親父が買ってきて当たり前と思われたのでしょう。
入学には、裏金使ってないでしょうねwww冗談です。
きっと裏金でケーキを買うのが精一杯だったことでしょう。
酔漢さんに報告しないと!

そうそう、月見坂はなんだもなぐ滑ります。
あの坂にはロープの手すりが用意されてますよ。
覆い堂(さや堂)?が無かったら、黄金の国ジパングだったでしょう。
アイヌ語の地名 (丹治)
2009-01-26 12:58:34
東北地方のアイヌ語の地名ですが、
その昔、NHK「みんなのうた」の時間に
地域限定版でやっていた歌で(題名失念)
遠野が「トー・ヌップ」という
アイヌ語と聞いてびっくりしたことがあります(トーはアイヌ語で湖)。
年配の知り合いに聞いた所では「宮城」は大和系の地名ですが、
仙台は「セップ・ナイ」、気仙沼は「ケセモイ」。どちらもアイヌ語だそうです。

関東だと茨城は大和系ですが、千葉はアイヌ語由来と聞いたことがあります。

確か金田一京助博士の著書に『アイヌ語地名の研究』というのがあったと思います。それによれば同じ「川」を表す地名でも北海道には「ベツ」が多く、東北には「ナイ」が多いのだそうですね。

土着の文化と外来の文化が重層的に存在しているのが、東北地方の文化が奥深いゆえんですね。

マルコ・ポーロの『東方見聞録』に出てくる黄金の国ジパング、金でできた宮殿が中尊寺の金色堂であるという話は、確かに耳にします。

元の時代に編纂された『宋書』(『宋史』だったでしょうか)の倭国条には、はっきりと「東奥州は金を産す」と書いてあります(岩波文庫に入ってます)。つまり元の時代の中国では、我が東北地方で金が取れることが知られていたことになりますね。

マルコ・ポーロが中国を訪れたのは元のフビライ汗の時代ですから、この話を耳にしてもおかしくいはありません。「黄金の国ジパングの黄金の宮殿」・・・金色堂のことが誇張されて伝わったと考えることに無理はありません。少なくとも当時のイタリアの人たちが考えたような「ホラ吹きマルコのヨタ話」ではないと思います。

話は変るのですが・・・
昨日、柳津の虚空蔵さんと横山のお不動さんにお参りして、伊達小次郎の墓所を訪ねました。
柳津から横山の集落に入る少し手前、追分温泉に行く道筋にある長谷寺にあります(案内板あり)。

ひーさんは、おいでになったことがありますか?よろしければ、是非ともこのブログで取り上げてください。

丹治さんへ (ひー)
2009-01-26 18:47:52
仰る通りです。
仙台・気仙沼もアイヌ語の地名からですね。
金田一京助さんのアイヌ語の研究も有名ですね。
小次郎の話は、お墓の写真を撮ってからと思ってました。
しばらく前にぶらっと気仙沼までいったのですが、寄ろうかと・・・迷っているうちに、曲がり角を通り過ぎてしまい、立ち寄ることが出来ず。後悔しています。
近いうちに、行ってきます。
小次郎の死に係わる話は、諸説ありますが、私が知る範囲で紹介したいと思います。

律令時代に係わる記事が一部カテゴリー「みちのく文化研究」に移しましたが、まだ埋もれているのがあると思うので探して、このカテゴリーの移したいと思います。
目印は追分温泉の看板 (丹治)
2009-01-26 19:02:24
ひーさんへ

楽しみにしております。小次郎の墓には、事の顚末を詳しく記した案内板があります。小原縫殿之助の墓は小次郎の墓からだいぶ下った所にありますが(登ってきた道とは別です)標識があります。

小次郎の墓に行く目印は、柳津から横山に行く途中にある追分温泉入口の看板です。そのT字路を右折(横山方向からなら左折)して、左手に注意して下さい。

温泉の方向に折れて間もなく、フェンスを張ったそこそこの駐車場があります(そこにも道路から見えるように簡単な標識あり)。昨日行った時には、フェンスの端に小さな幟が立ててありました。

その駐車場のすぐそばに、丸太で段をこしらえた階段があります。それが小次郎の墓所に通じる道です。
丹治さんへ (ひー)
2009-01-26 20:48:10
ありがとうございます。
チェックしていって見たいと思います。
メモメモ!
ありがとうございます。 (シーラ)
2016-02-28 17:38:55
ありがとうございました。
お書きになられてから数年後の読ませていただいております。昨日岩手をドライブしました。地名を読みこのいわれは~と首をかしげること数回ネットで調べようやくたどり着き納得いたしました。良ぉ~く?理解でき満足しております。お世話様でした。
シーラさんへ (ひー)
2016-02-29 22:44:51
お役立てて良かったです。
まだまだ勉強したいのですが趣味が広すぎて、記事に出来ていません。

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