ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

野蒜駅&仙石線あれから半年

2011年09月24日 15時30分31秒 | 東日本大震災
花とパイプ椅子・・・ここで最愛なる家族が亡くなったのでしょう。
手向けられた花を囲むようにパイプ椅子が並んでいます。
きっと何時までもこの場所から離れられず椅子に腰を掛けこの景色を呆然と眺めていたことでしょう。
時間があれば、ここに来て楽しかった在りし日を思い出しているのに違いありません。

野蒜駅正面から橋を渡ったところです。
この松林の中を抜ける道を行くと海にでます。 と云っても松林は無くなりました。
高校一年の時この松林にテントを張りキャンプをしたこともあります。

夏だったらもっと犠牲者がいたのでは? とも考えます。

野蒜駅を見ると・・・・
駅の時計は、あの時の時間で止まっていました。













この近くで起きた事故が下の映像ですが、何度も見ているかと思います。

脱線した列車は、くの字に曲がり確か客は逃げ切れず車両の中にいたはずです。

先日見に行きましたが、撤去されていました。

車両は、仙石線:普通1426S  区間は石巻ーあおば通

クハ204-3109・モハ204-3109・モハ205-3109・クハ205-3109です。





東名ー野蒜間です。  東名と言えば地元では潮干狩りで有名です。松島から野蒜の間にあるのですが、途中に見てきた景色は家が無くなり海がそこまで来ていたかの様に見えました。




途中にある建物は酷いありさまです。 敢えてUPしませんがコンビにはこんな感じ。



野蒜から石巻方面に行くと、電車がまだ止まったままです。





東北本線の新地や山元町なども、現ルートでは無く迂回する形で復旧するようですが、この場所も同じように移転する見込みのようです。
しかし、地元の人は同じ場所にと希望をしています。 当然でしょうね。




コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 台風第15号 (ロウキー:Ro... | トップ | 生産直売所/津波で全滅 »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いっくさんへ (ひー)
2011-09-27 14:31:15
本当ですね。代行バスが行ったり来たりしていましたよ。
貞山掘りを超えて住宅や電車を破壊したのですね。
無残なことです。がっかりしましたよ。
おばんです (ほでなすいっく)
2011-09-25 21:37:25
仙石線の代行バスに乗ると、このルートを走るわけです
苦しくなるので代行バスにはあまり乗りたくないです
マイカーで45号線を通ります

置き去りになったままの電車もどっちに行っても線路がないんで
しばらくこのままなんでしょうねぇ
酔漢さんへ (ひー)
2011-09-25 20:46:57
了解しました。
伝えておきます。
話したことも無い相手でも、同期会に行くと当時と違う空気が仲間意識を強くするものです。
酔漢さんも仰ってましたが、酒を飲み交わすと新たな友情が芽生えてくるものですね。
私からも話しておきました。
先のコメントの彼! (酔漢です)
2011-09-25 09:12:08
東松島市の介護師。
私と同期、しかも、応援団副団長だった男です。ですから、ひー様のご同僚の方と同じ応援団だったわけです。
彼、門馬君と言います(実名です)。
五橋から一高。しかも、彼は高校でも応援団をやった筋金入りです。
彼と同じだったのですね。
彼も同じ事を言ってました。
ご参考までに、同期会連絡先ですが、佐浦酒造内、五橋中学校同期会事務局、社長名。
上記でよかろうと存じます。
住所はお酒ラベルでOKです。
それにしましても、これも、御縁でしょうか。
ご同僚の彼にも、是非お伝えください。

本来ならば「くだまき」へのコメントですが、こちらへ伺いました。
本編と一部違った内容になりました事、お詫び申し上げます。
酔漢さんへ (ひー )
2011-09-24 23:59:22
意外なところからの発見でしたね。
これも、IT文化のお陰でしょうかね。
そうそう、職場の中間ですが、やはり酔漢さんと同期のようです 。
続きは、酔漢さんのブログにコメントします。
あーさんへ (ひー )
2011-09-24 23:19:07
現場に来ている人は、黙って景色を見ているだけですが、その思いが伝わってきますね。
地震だけだったら・・・といつも思います。
同級生の消息 (酔漢です)
2011-09-24 23:07:37
中学校同期会の話は「くだまき」にいたしました。昨年、どうしても、会いたい同級生がおりました。
自身で取った消息が、北海道。5年前に人づてから「石巻にいる」と、聞いたのが最後。それ以来、誰も彼の消息が分からない。
こんな時間が過ぎました。
ですが、この震災で、彼の消息が分かったのです。
ツイッターからでした。
「東松島にある老人介護の施設から、物資要求のツイッター」
ここに彼の名がありました。
「奴は無事だった」
これは、僕らの間に広まりました。
この同期会でも誘ったのは言うまでもありません。
彼の返事です。
「介護の仕事で夜勤。皆によろしく」
ですが、彼が東松島の被災地で頑張っている様子が分かりました。
津波が襲う中、彼は一人でも多くの老人を救うために奔走していた。
彼らしいと思いました。
彼からの直近のメール。
「俺はここにいて、生活をして、仕事をするだけ。ここから離れない」
自宅は矢本です。
彼の思いは自分の糧にもなりました。
お晩です (あーさん)
2011-09-24 20:32:58
かういう記事を見るたびに、ウルウルの拙ですぅ (;_;)
維真尽さんへ (ひー )
2011-09-24 19:14:14
そうなんですよ。
空の (維真尽 (^_-))
2011-09-24 17:41:41
蒼さが~
悲しげですね 

コメントを投稿

東日本大震災」カテゴリの最新記事