
焼き物の町として栄えた:堤町
昔は、奥州街道の町並みとして賑わう仙台北部の玄関口だった。
町名の由来はかんがい用水地「つつみ」に由来する。
綺麗な水をたたえたこの地は、藩政時代、茶屋町、焼き物の町として栄えた。
そもそもこの堤町は奥州街道北部の守りを兼ねた足軽の町であり。
記録によると堤御足軽の総勢は133人。
しかし元禄時代を過ぎる頃から藩の財政は悪化、足軽にまで十分な録を与えることができなくなり、足軽衆は内職に焼き物を始めた。
元禄年間に台の原で始まった「杉山焼き」は後に堤町に移っている。
茶碗、どんぶり、すり鉢、かめなどの台所用品を焼いていたが、時代の変遷に伴い、昭和に入ると土管、植木鉢などを8件の業者が生産していたが、今では資料館の佐大ギャラリーさんを残すのみとなってしまった。
え〜と、この時代ですね。(元禄元年〜16年=1688年〜1703年)
今回、その佐大ギャラリーを訪れました。
堤町まちかど博物館
まず、私と奥方は、道筋にあったお店「つつみおひなやっこや」に顔を出しました。
店の中には、長い顎鬚を生やしたお爺さんと、そのお茶のみ友達なのか5人程で雑談をしていたようです。
「こんにちは〜見せていただけますか?」と一歩店に入ると、どうぞどうぞと店主なのか?招き入れてくれました。

とても親切に、
コーヒーまで入れてくれました。
髭のお爺さんは昔話をはじめました。
この町に住む人々は、皆、焼き物に携わって生活をしてきたとか、窯元だけじゃなくそれに関連する仕事も色々あったのでしょう。
店に展示している人形の中に古いものがありました。
「この人形はいつ頃の物ですか?」と私が聞くと、「江戸末期のもですよ」と答えてくれました。
これが幕末の頃の堤人形です。
ショーウィンドーの明かりとガラス越しに撮ったので、上手く
撮れませんでした。





店にあった作業机です。
良かったらギャラリーを見ませんか?
と言うことで、見せてもらうことに・・・
普段は来客も少ないのか、「今、鍵を開けますから」とワザワザ開けてくれました。
古い作業場だったのでしょう。木造の2階建てで、外には立派な登窯が並んでいました。

佐大商店が大正7年に窯元になった時に築いた登り窯です。
間口約1.6m,奥行き約5mの窯が6つ連なっています。
しかし、今は消防法で規制されているのか、煙は出せないので、火を入れられないそうです。
もったいないですね 髭のお爺さんは鉄砲のように煙が出たものだと言ってました。

かにちゃんちにお興し入れした堤人形



つづく
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昔は、奥州街道の町並みとして賑わう仙台北部の玄関口だった。
町名の由来はかんがい用水地「つつみ」に由来する。
綺麗な水をたたえたこの地は、藩政時代、茶屋町、焼き物の町として栄えた。
そもそもこの堤町は奥州街道北部の守りを兼ねた足軽の町であり。
記録によると堤御足軽の総勢は133人。
しかし元禄時代を過ぎる頃から藩の財政は悪化、足軽にまで十分な録を与えることができなくなり、足軽衆は内職に焼き物を始めた。
元禄年間に台の原で始まった「杉山焼き」は後に堤町に移っている。
茶碗、どんぶり、すり鉢、かめなどの台所用品を焼いていたが、時代の変遷に伴い、昭和に入ると土管、植木鉢などを8件の業者が生産していたが、今では資料館の佐大ギャラリーさんを残すのみとなってしまった。え〜と、この時代ですね。(元禄元年〜16年=1688年〜1703年)
今回、その佐大ギャラリーを訪れました。
堤町まちかど博物館
まず、私と奥方は、道筋にあったお店「つつみおひなやっこや」に顔を出しました。
店の中には、長い顎鬚を生やしたお爺さんと、そのお茶のみ友達なのか5人程で雑談をしていたようです。
「こんにちは〜見せていただけますか?」と一歩店に入ると、どうぞどうぞと店主なのか?招き入れてくれました。

とても親切に、
コーヒーまで入れてくれました。髭のお爺さんは昔話をはじめました。
この町に住む人々は、皆、焼き物に携わって生活をしてきたとか、窯元だけじゃなくそれに関連する仕事も色々あったのでしょう。
店に展示している人形の中に古いものがありました。
「この人形はいつ頃の物ですか?」と私が聞くと、「江戸末期のもですよ」と答えてくれました。
これが幕末の頃の堤人形です。
ショーウィンドーの明かりとガラス越しに撮ったので、上手く
撮れませんでした。




店にあった作業机です。
良かったらギャラリーを見ませんか?
と言うことで、見せてもらうことに・・・
普段は来客も少ないのか、「今、鍵を開けますから」とワザワザ開けてくれました。
古い作業場だったのでしょう。木造の2階建てで、外には立派な登窯が並んでいました。

佐大商店が大正7年に窯元になった時に築いた登り窯です。
間口約1.6m,奥行き約5mの窯が6つ連なっています。
しかし、今は消防法で規制されているのか、煙は出せないので、火を入れられないそうです。
もったいないですね 髭のお爺さんは鉄砲のように煙が出たものだと言ってました。

かにちゃんちにお興し入れした堤人形



つづく
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窯元に行ってみたいと思っていましたがまだ実現していません。
ひーさんの取材が丁寧で写真もよく撮れていて
ここに行ってみたくなりました。
見てきましたよ。
堤人形の代表的な雛飾り。
素敵ですね〜。
消防法で煙が出せない?そうなんですか・・・
9月の連休に窯炊きを計画してたので〜 (−−)ショックです
こちらにも
泥天神っていうのもあります
TBしようかな
のぼりがま〜復活して欲しいですね (^_-)-☆
まぁ、周りから苦情が来なければ、いいかも!
ここは、住宅地になってしまい、すぐに通報されるそうです。
明日続きをUPしま〜す。
泥・・・・仙台弁で「でろ」ですwww
これだけの上り窯を使用出来ないのは残念な気がします。
仙台→(東京)下北沢という、当時の黄金アンダーグラウンドコースを供に?歩みました。
この黄金コースを歩んだ別の友人がスターリンの「遠藤ミチロウ」君ですが・・・
で、「針生」君の実家は、確か「窯元」であったような記憶があります(記憶違いでしたらすみません)。
乾馬先生の息子だったのかなー?
「登り窯」は、その存在そのものが文化財です。
益子や瀬戸、美濃あたりまで、登り窯を見に行ったことがあります。
「鉄」にとっての「蒸気機関車」に似た存在ですね。
実はこちらのお店の登り窯を絵に描いた事が
ありました。
もう5〜6年前の話ですが、その時にギャラリーも見せて頂き懐かしく見ています
丁寧にお話も聞かれ、写真もどれも良いですね。
私は、その時には写真は撮っていませんでしたので、じっくり見ています
立派な窯ですよね。
もったいないです。
窯元は、他に泉にあると言ってました。
もちろん辞めてしまった窯元さんも居るようですが。
驚きの行動力ですね。
まぁ、名所旧跡を回れば狭い仙台ですからね。
まさか、登窯がここにあるとは知りませんでした。
今更感動です。
報道されていて、こちらも散々でしたので心配しております。
なんか梅雨に逆戻りですね。
毎日のように雨が・・・・
ご心配ありがとうございます。
ひーさんの記事を一生懸命読みます♪