ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

仙台城と石垣とすずめ踊り

2007年12月13日 18時44分32秒 | 仙台藩と伊達家のお話し
隅櫓を左折し青葉山へとを登った。
昔は、ここに大手門があったが、この隅櫓と共に、戦災にあってしまった。
以前は国宝だったのだが、残念なことです。(現在のは再建されたもの)
確か、大手門は、豊臣秀吉から戴いたもので、朝鮮出兵の際佐賀の呼子にあった、名護屋城に使用していたものと聞いたことがある。


長い間石垣の修復工事をしていたが、1998年~2004年すっかり綺麗になった。
実は、この石垣工事は大変だったようだ。


新しくなった石垣                    


西側は昔のままの野面積み(のづらづみ)



仙台城の石垣は,角部が弓なりの美しい勾配が特徴で,積み石の間に隙間なく,横目地は水平に通るように積まれた 「切石整層積み」 と呼ばれる技法が用いられている。

積み石はクレーンで持ち上げられるが,その据え付けは石工職人による手作業だ。
石積みを始めた頃は,1日に2,3個しか積み上げられなかったそうだが,慣れてくると1日20個ほどのペースで作業が進んだそうだ。

石の総数は約1万個・・・,気の遠くなるような数ですね。

計測を繰り返しながら作業を進めるが,石工の経験や勘に頼る部分も大きい。40年ものキャリアを持つ石工頭(いしくがしら)の下でたくさんの職人が活躍している。
ゲンノウ,ノミ,コヤスケ,セットウといった伝統的な道具は,江戸時代に使われていたものとほぼ同じらしい。

新しい積み石は,隣り合う古い積み石にぴったりと合うまで,何度も重ねてみては合わない部分を削っていく。根気のいる作業をしたとゆう。

古い積み石にはできるだけ手を加えずそのまま残し,新しく据えた石や再加工した石には,設置した年を刻んでいる。













約400年前、慶長5年(1600年)に伊達政宗が仙台城を築城することとなった。

城を築く石工として、大阪城築城に関わった泉州堺の黒田八兵衛、その他辻本七郎兵衛、鹿野清左兵衛、能島与右兵衛らの石工頭が仙台に招かれ、仙台城の造築は慶長6年1月に着工した。
石工たちは、国見峠付近から石材を掘り出し、牛にひかせて牛越橋を渡り川内まで運んでいた。

慶長8年(1603年)8月、江戸から帰ってきた伊達政宗は、移徒式(新築移転の儀式)を行った。
その祝宴のさなか政宗は、石工たちに踊りを所望したという
突然命じられた石工たちは、即興で踊り始めた
泉州堺の石工達が中心で、小気味良いテンポの早い形になったようだ。
躍動感あふれる身振り、伊達家の家紋が「竹に雀」であったこと、はね踊る姿が餌をついばむ雀の姿に似ていることから、誰言うともなく 「雀踊り」 と名付けられた。

 以来、 『雀踊り』 、仙台市石切町(現在、仙台市青葉区八幡町)に居住する石工によって踊り継がれ、戦前までは、毎年、政宗公が建立した大崎八幡神社の祭礼に奉納」され、石切町にある瀬田谷不動尊の祭礼でも奉納されるのが通例となった。

 『青葉まつり』 として、今に引き継がれている。







青葉まつりは、毎年5月の第三土、日に行われる。








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