ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

塩釜を襲った津波・・・TUNAMI

2009年10月09日 23時03分07秒 | 塩竈の散歩道
上記の写真は、丹六塩釜店前に乗り上げた小型観光船

塩釜を襲った津波・・・TUNAMI

昨今、地震や津波で災害を受けている国や町はメディアに取り上げられ、私達も目にするが、その様子は痛々しい。
以前、津波防災で研修のお客様をよく連れて行った町があります。
それは、岩手県三陸の田老町です。
この町は、慶長の大津波(1611年=慶長16年)波高15~20mや明治・昭和になっても何度も町を全壊させられた。
津波に対してのノウハウを生かし、防災のレベルは高い。
山の壁面に当時の波の高さを印しているがその高さには驚かされました。

田老町についてはいづれ・・・

さて、TUNAMIの言葉は世界共通語となるほど日本は地震大国であり、それに伴い津波も発生しやすく多いということになるでしょう。
私の身近にある塩釜の港にはどんな影響があったのでしょう。

昭和に塩釜に影響を及ぼした津波にはこんなのありました。
三陸沖地震:昭和8年3月3日
十勝沖地震:昭和27年3月4日
カムチャッカ強震:昭和27年11月5日
宮城県北地震:昭和37年4月20日
宮城沖地震:昭和53年6月13日



写真は旧本塩釜駅の前を通る国道45号線
緑の建物と書いたのは、現存しているようなので後で見比べて見ます。

上記の写真は、昭和35年のチリ地震津波です。
塩釜市の海岸前、北浜あたりは海抜ゼロメートル地帯です。
チリ中部沿岸で起きたM8の地震により24時間を要して太平洋を横断し宮城県沿岸に第一波が押し寄せた。
波長の長い複雑な波は大きく反復を繰り返し塩釜を襲った。
被災した店舗は432店、被災戸数1136戸、死者2名、重軽傷者204名、全壊18、流失1、半壊15、床上浸水826、床下276、災害救助法が適用された。



上記の写真は、観光桟橋です。
塩釜には、午前3時22分に第一波が押し寄せた。
波の高さは2.9mを測定。
観光船は大小60隻あまりが岸壁や路上に打ち上げられて大破したのです。

緑の建物と現在の様子。


以前UP済みですが再度登場



ここでも緑の建物が登場しています

本日の写真 緑の建物の横から


チリ地震津波関連ですが、下の写真は志津川町(南三陸町)



流れ着いた臼で遊ぶ子供と濡れた漫画本を読む少年「アサヒグラフ」1997年掲載

再び掲載、旧本塩釜駅


次回は、塩釜の街を車の中からスナップ!
『宮城県』 ジャンルのランキング
コメント (16)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 大崎八幡神社/岩出山 | トップ | 塩釜スナップ »
最近の画像もっと見る

16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
その時父は・・・ (ぐずら)
2009-10-10 01:01:50
ことの真偽は不明ながら…
チリ地震津波が塩竈港に到達した、当にその時!
「ワシは本塩釜駅のホームで電車を待っていて、来々軒のわきから国道に船が打ち上げられた瞬間を見た!」とオイラの親父が語っていました…
ホントすかやぁ~~~?
ところで、本塩釜駅ホームの左端の四角い二階建ての建物
手前の二階に洋食屋のレストランぶんや、奥の平屋部分が兄弟屋靴店だったちゃね
どっちも駅跡に建てた塩竈一番館の中に今もあるよねぇ~♪
ぐずらさんへ (ひー)
2009-10-10 08:18:29
昨日ぶんやの看板は見たよ!兄弟靴店も昔からあっちゃね。
来来軒の写真は撮って来ましたが、昔の写真はありません残念です。
親父さんは見たんだとおもうよ。
Unknown (桃源児)
2009-10-10 17:53:43
津波、船まで陸地に持って来るのがすごいですね。自然の猛威を感じます。
緑の建物、ずっと残っているんですね。
桃源児さんへ (ひー)
2009-10-10 18:06:51
まだまだ昭和が残っている街です。
自然の力には、何者も敵いませんね。
Unknown (あーさん)
2009-10-11 00:05:53
南米から24時間で到達とはスゴイ速度ですね

厄介な町・・・なんて言うと叱られそうですが、それでも住み続けるんですねぇ

拙でも、そうするかも・・・
やはり (維真尽(^^))
2009-10-11 14:48:09
太平洋側は
いい意味でも悪い意味でも
世界に繋がってるという感じですね
あーさんへ (ひー)
2009-10-11 20:11:57
24時間だったら飛行機で行くのと同じですよね。
海は繋がっているのだと実感させられますね。
いーさんへ (ひー)
2009-10-11 20:29:09
そうですね~
先日の地震でも太平洋側はしばらく注意報がでてましたよね。
どんなに距離があっても繋がっていれば伝導するんですね。
今、爆撃音が続いてます。
自衛隊の演習だろうか???
遠くにあるのですが、夜だからなのかここまでかなりの音で聞こえます。
夜釣り直後に (酔漢です)
2009-10-12 19:01:34
その晩、夜釣をしていた父でございます。
七ヶ浜花渕で。午前一時ごろバイクで帰宅。
海の様子はこれと言って変わらなかったとのことですが、塩竈へ戻り、市場へ行こうとしたときにいつもと違う潮位を感じたそうです。釣をしたばかりなので潮見表の時刻が頭にあったそうです。
さて、会社(築港)へ戻ったとたん、津波が。
波が音もせず、流れこんできたそうです。
「だれすごかったおんなや」
今でも話す父です。夜釣りが長引けば。海岸で遭遇していたかもしれなかったのでした。
酔漢さんへ (ひー)
2009-10-12 19:13:16
やはり父上様は経験してましたか。
花渕にいたら飲み込まれて居たかもしれませんね。
これだけは、ラッキーと言うしかありせんね。
当時の気象庁はどこまで警戒し警報を出せたのか? 私にはわかりません。
忘れた頃にやって来る (クロンシュタット)
2009-10-13 05:28:33
松島湾はリアス式の湾ではないのですが、それでも甚大な被害を受けました。
田老を始めリアス式の湾奥にある、あの巨大な防波堤。自然の恐ろしさに愕然としてしまいます。

私の父親は「野次馬体質」ゆえ、地震後に鳴り響く塩竃港のサイレンに家を飛び出します。
自転車で笠神の坂道をすっ飛ばし、何時間か後に帰宅すると、「津波は5cmだった」。
クロンシュタットさんへ (ひー)
2009-10-13 06:56:22
そうなんですよね。
津波注意報が出ても、実際5センチとか…
こんな言い方したら良くないですが期待はずれ感がありますね。
波の性質は異なるとききますので、これからはしないようにwww
今だったらもっと怖い!! (のんちゃん)
2010-12-30 07:33:54
当時はクルマを保有している人は少なく、みんな自転車で外を走っていたようですね。
今だったらクルマ社会ですから、流出・横転・炎上となったりして被害がもっと大きくなったでしょう。

また、パソコンなどのデータ流出、特に個人情報(例えば学校の生徒の成績やテストの点数など)の入ったリムーバブルディスクの大量流出、インターネットやケータイ使用不能で、大パニックになる所です。これを防ぐにも防ぎようがないのが怖いのです。
のんちゃんへ (ひー)
2010-12-30 21:27:09
コメントありがとうございます。

そうですね、今だったら電気一つ切断されただけで混乱するでしょうね。

実は、津波に関するDVDが総務省消防庁の防災学習ビデオに私の写真が採用され、本日完成し届きました。
明日にでもUPします。
先人の教えを活かそう (藤倉3丁目)
2011-04-22 02:50:31
何故いかせなったのか??現代人のおごりなのだと思う・・・・てんでてんでおしえを生かしたい
藤倉三丁目さんへ (ひー)
2011-04-23 10:04:18
藤倉周辺の地盤は大丈夫でしたか?
過去にこれほどの被害を受けても、喉元過ぎればですかね?

今度各自治体も多少動きますかね。
私の写真も最近作られた消防庁の津波対策ビデオに協力したのですが全国に普及する前に、今回の震災になってしまいました。
残念です。

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。