ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

多賀神社/多賀城市市川

2013年05月11日 12時38分07秒 | 多賀城の散歩道
多賀城に多賀神社は二ヶ所あります。
多賀城廃寺(高崎廃寺)付近に鎮座する多賀神社(UP済み)と今回の政庁役所址(市川)に鎮座する多賀神社があります。




地元では「お多賀様」と呼ばれる。
正面には小型の箍(たが)を輪繋ぎしたものが数多く供えられている。
この箍は頭痛を患う者が当社に平穏を祈願し、礼詣りにその者の歳の数の箍を供える。
箍は多賀と同音による供物であり、この供物は他地方の多賀社も同様のようだ。

多賀城市では、この神社について文化財的な要素は無いと見ているようだ。
多分全国に見られる多賀神社系では無いかと思います。
扉の格子から見ると元々小さな社があって、写真にもあるように、その屋根の上に「」という文字が見えます。
この社を覆っているのが、現在の姿です。

提げられた箍を見ればこの地域の人々の信仰が垣間見られます。









裏を覗くと御稲荷さんのような物が?



この石は手水だったのでしょうか。
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4 コメント

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箍が外れる (綱永井寵生(伝八郎改め))
2013-05-12 00:29:48
綱永井寵生の名前で、詰まらないブログ新たに始めてしまいましたので、伝八郎の名を改め、今後は綱永井寵生でコメントします。

さて、「多賀=箍」となりますが、柵の意味もあるようです。
まあ、多賀城も多賀神社も境界線を意味している訳ですね。

もしかしたら蝦夷との戦いは頭痛の種だったから、頭痛治癒の神社になったのでしょうか。

滋賀の多賀大社と同じイザナギ尊・イザナミ尊をお祀りしているのであれば、蝦夷征伐は国産みとの言い訳から建立されたのかも知れませんね。
綱永井寵生さんへ (ひー)
2013-05-12 21:53:31
なんて読みますか?

まぁ、体制側から見れば蝦夷は目障りな存在だったことでしょう。
そう言えば地名の由来は調べていませんでした。
境界の意味なら矛盾しませんね。
大野東人を勉強しないと。

この箍を見て、頭痛を想像したら、孫悟空を思い出しました。

この神社については多賀城市の説明はありません。
いつ頃からあったものか?

あら、どんなブログ? あとで探してみます。
お恥ずかしい・・・・。 (綱永井寵生)
2013-05-13 01:33:02
ひーさんへ

「綱永井寵生」と書いて、「つながい ちょうしょう」と呼びます(つながい ちょうせい でも可)。
私の姓名判断の知識を総動員して、究極の幸運を享受したいがため苦節30年かかって考えました。
まあ、鬼渡神と深い繋がりがある御井神にあやかって付けたのですがね。

私も多賀神社の由来・祭神を調べたのですが、分からずじまいでした。滋賀の多賀大社と同じ流れなのかも分かりませんでした。

私のブログは「諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流 綱永井寵生」と言うタイトルで駄文を書いています。
お恥ずかしいので、余り見ないでやってください(笑)。

ではでは。

綱永井寵生さんへ (ひー)
2013-05-13 11:34:30
幸運が巡ってくればいいですね。

今チラット見てきました。

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