
アラハバキ神と謎の古代史 「記紀」2 アマテラスとオオモノヌシ
「天孫」で辞典を引くと、〔天つ神の子孫。特に天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)〕となっている。
天孫族の祖神がアマテラスであるなら、最初から「皇祖アマテラス」であってよいはずなのに記紀ではこのように書いてある。
「古事記」ではアマテラスはイザナギが黄泉国(よもつくに)から帰って禊(みそぎ)をした際、左の目を洗った時に出現している。
「日本書紀」では、イザナギ・イザナミが相談して大日孁貴(おおひるめのむち)を生んだとある。
「日孁」とは、日の神を祀る女という意味です。
また、本文中にはオオヒルメノムチは「光うるわしく六谷(くに)の内に照りとおる」とし「ひととなりうるわしく天地に照らし臨ましむ」とあるから太陽神の性格が濃厚です。
「古事記」でも、アマテラスが天の岩屋にこもったので国中が真暗になったと太陽神の性格を述べている。
「日本書紀」では崇神天皇が宮廷に祀っていたアマテラスと倭大国魂の神を宮廷外に祀ることにした。
次の垂仁天皇(すいにん)はアマテラスを豊鍬入姫に祀らせていたが、姫がノイローゼになったので倭姫に代えた。
次の景行天皇(けいこう)は五百野皇女(いほのの)に祀らせる。
神功皇后に憑りついた神は「日本書紀」ではアマテラスの名を撞賢木巌之御魂天疎向津媛となっている。
宮廷や伊勢神宮に受け継がれている祭りの様式を見るとアマテラスが皇祖神として登場するのは、わずかに祈年祭(としごいのまつり)と月次祭(つきなみのまつり)の祝辞に数々の神の名の後に「伊勢にいます神」という名で出ているだけでとても皇祖神という扱いにはなっていない。
となれば、本当の皇祖は他にいるのではと思うのが筋!
「記紀」は明らかにすることができない天皇家の出自の秘密を隠蔽するために、敢えてアマテラスを皇祖に仕立てて日本統治の正当性を「記紀」で表したかったのではないだろうか?
「延喜式」によれば、大嘗祭の斎場の神々の中心は
「タカミムスビノ神」(高皇産霊神)なのです。
この神こそ本来の祖神としての扱いになっていることに注目したい。
倭大国魂神はとは実はニギハヤヒのことであり、またオオモノヌシでもあったが、「記紀」ではこの三神を全く別神であるかのようにして真相をかくしてしまった。
祖先の神なら宮廷の近くに祀るのが当然なのにどうして宮廷外に出さなくてはならないのか?
そして、伊勢に落ち着くまで60年間も転々とすること23回にわたり旅を続けている。

場所は省略します。
表向きは居心地が悪いという理由ですが、どうも事実は違うようです。
「日本書紀」や「皇太神宮儀式帳」に安倍武淳川別(あべたけぬなかわわけ)・和珥彦国葦(わにひこくにぶく)・中臣大鹿島(なかとみおおかしま)・物部十千根(もののべといちね)・大伴武日(おおともたけひ)の五人の名門の豪族の長が部下を引き連れて同行していることから、武力平定のための政治的な移動だと考えられる。
大和の大王だったニギハヤヒ(オオモノヌシ)
記紀には、神武の大和突入時の在地の豪族ニギハヤヒとナガスネヒコの連合軍とのやりとりをしたことが出ている。
【日本書紀】
ナガスネヒコは使いを出し神武にいった。
「これより先、「天つ神の子があり、天磐船(あめのいわふね)で天降ってきた。
クシタマニギハヤヒといい自分の妹のミカシキヤヒメ(又、ナガスネヒメ、トミヤビネ)を妃としてウマシマジをもうけた。
自分はニギハヤヒに仕えた。
天つ神の子が二人いるはずはない。
それなのに今また、天つ神の子と称して侵入してくるのは偽者であろう」
神武は、「天つ神の子は多い。お前が仕えるニギハヤヒが本物であれば、必ず表(しるし)となるものを持っているはずだ。それを見せろ」といった。
そこでナガスネヒコはニギハヤヒの天羽々矢(あまつははや)一つと歩馭(かちゆき)を取り出して見せた。
「偽りでない」と認め、自分の天羽々矢と歩馭を持ち出して見せた。
ナガスネヒコはそれを見てかしこまったがすでに戦闘準備は整い侵入軍撃退の気勢をおさえがたい状態だった。
ナガスネヒコに反攻翻意の様子がないのを見てとったニギハヤヒは、ナガスネヒコを殺して、衆を率いて帰順した。神武はニギハヤヒが天から降(くだ)ってきたということを聞いた。
そして、天孫神武の正当なことを認めて帰順したのを褒めて優遇した。
これが物部氏の遠祖である。
※帰順=反逆の心を改めて、服従すること。
【まとめ】
お互いを疑っている。ともに天つ神の子と称して同族だったことを暗示している。
天つ神の子はたくさんいる。
天羽々矢と歩馭はどのようなものかは、別として、これを所有しているものは、同一文化系又は、同族を表している。
ニギハヤヒが物部氏の遠祖である。
古事記の同じくだりは割愛しますが、ニギハヤヒが神宝を献上したとある。
これは、天孫族間では神宝献上はありえないので、別種別だといわんばかりの扱いである。
「旧事記」(先代旧事本紀)に不満を持つ物部氏が作為的に編纂したものされたり、斎部広成が編纂した「古語拾遺」とともに評判がよくない。
先代旧事本紀は、日本書紀の引用や天皇諡号を用いていることなどから後世の偽だとされ無視されてきたが、九世紀後半に成立したことは確かでなんの根拠もなく捏造されたものではなく古く飛鳥時代頃にあった物部氏の伝承を基礎にして物部氏の主張を訴える目的で八世紀後半に物部氏の手によって「記紀」や「古語拾遺」などを引用して書いたものと思われる。
他の史書には、見られない独自の伝承があるので、むしろ「日本書紀」は物部氏の持つ古伝承を材料にしたという論もあるくらいである。
日本の古代史を見る上でも再検討されるべきである。
とこの本の著者が言っている、偽書扱いされるものもあるが角度を変えると新しいものが発見されることもあるので、今後の研究にも期待したい・・・
私がもっと若ければと思うが・・・小学校からやり直ししなければ到底追いつかないでしょう。www
ブロ友の「維真尽さん」のお国「出雲」の出雲風土記はまだ勉強していないので、これから本を探して読みたいと思います。
まだ、この記事は続きますが、物部氏がニギハヤヒの始祖となれば、出雲についても非常に気になります。
ここで出てきたニギハヤヒですが・・・
饒速日命(にぎはやひのみこと)=大物主神(おおものぬし)=大己貴神(おおなむちのかみ)=大国主命=事代主(ことしろぬし)
呼び名は異なりますが、全部同一神だとも言われています。
この後も続きますが、ご了承下さい。
アラハバキが何物かを書いておきたいのです。
3話 出雲系トミ氏へ
ホームページ「あらはばき」にまとめています。 一部加筆訂正しております
「天孫」で辞典を引くと、〔天つ神の子孫。特に天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)〕となっている。
天孫族の祖神がアマテラスであるなら、最初から「皇祖アマテラス」であってよいはずなのに記紀ではこのように書いてある。
「古事記」ではアマテラスはイザナギが黄泉国(よもつくに)から帰って禊(みそぎ)をした際、左の目を洗った時に出現している。
「日本書紀」では、イザナギ・イザナミが相談して大日孁貴(おおひるめのむち)を生んだとある。
「日孁」とは、日の神を祀る女という意味です。
また、本文中にはオオヒルメノムチは「光うるわしく六谷(くに)の内に照りとおる」とし「ひととなりうるわしく天地に照らし臨ましむ」とあるから太陽神の性格が濃厚です。
「古事記」でも、アマテラスが天の岩屋にこもったので国中が真暗になったと太陽神の性格を述べている。
「日本書紀」では崇神天皇が宮廷に祀っていたアマテラスと倭大国魂の神を宮廷外に祀ることにした。
次の垂仁天皇(すいにん)はアマテラスを豊鍬入姫に祀らせていたが、姫がノイローゼになったので倭姫に代えた。
次の景行天皇(けいこう)は五百野皇女(いほのの)に祀らせる。
神功皇后に憑りついた神は「日本書紀」ではアマテラスの名を撞賢木巌之御魂天疎向津媛となっている。
宮廷や伊勢神宮に受け継がれている祭りの様式を見るとアマテラスが皇祖神として登場するのは、わずかに祈年祭(としごいのまつり)と月次祭(つきなみのまつり)の祝辞に数々の神の名の後に「伊勢にいます神」という名で出ているだけでとても皇祖神という扱いにはなっていない。
となれば、本当の皇祖は他にいるのではと思うのが筋!
「記紀」は明らかにすることができない天皇家の出自の秘密を隠蔽するために、敢えてアマテラスを皇祖に仕立てて日本統治の正当性を「記紀」で表したかったのではないだろうか?
「延喜式」によれば、大嘗祭の斎場の神々の中心は
「タカミムスビノ神」(高皇産霊神)なのです。
この神こそ本来の祖神としての扱いになっていることに注目したい。
倭大国魂神はとは実はニギハヤヒのことであり、またオオモノヌシでもあったが、「記紀」ではこの三神を全く別神であるかのようにして真相をかくしてしまった。
祖先の神なら宮廷の近くに祀るのが当然なのにどうして宮廷外に出さなくてはならないのか?
そして、伊勢に落ち着くまで60年間も転々とすること23回にわたり旅を続けている。

場所は省略します。
表向きは居心地が悪いという理由ですが、どうも事実は違うようです。
「日本書紀」や「皇太神宮儀式帳」に安倍武淳川別(あべたけぬなかわわけ)・和珥彦国葦(わにひこくにぶく)・中臣大鹿島(なかとみおおかしま)・物部十千根(もののべといちね)・大伴武日(おおともたけひ)の五人の名門の豪族の長が部下を引き連れて同行していることから、武力平定のための政治的な移動だと考えられる。
大和の大王だったニギハヤヒ(オオモノヌシ)
記紀には、神武の大和突入時の在地の豪族ニギハヤヒとナガスネヒコの連合軍とのやりとりをしたことが出ている。
【日本書紀】
ナガスネヒコは使いを出し神武にいった。
「これより先、「天つ神の子があり、天磐船(あめのいわふね)で天降ってきた。
クシタマニギハヤヒといい自分の妹のミカシキヤヒメ(又、ナガスネヒメ、トミヤビネ)を妃としてウマシマジをもうけた。
自分はニギハヤヒに仕えた。
天つ神の子が二人いるはずはない。
それなのに今また、天つ神の子と称して侵入してくるのは偽者であろう」
神武は、「天つ神の子は多い。お前が仕えるニギハヤヒが本物であれば、必ず表(しるし)となるものを持っているはずだ。それを見せろ」といった。
そこでナガスネヒコはニギハヤヒの天羽々矢(あまつははや)一つと歩馭(かちゆき)を取り出して見せた。
「偽りでない」と認め、自分の天羽々矢と歩馭を持ち出して見せた。
ナガスネヒコはそれを見てかしこまったがすでに戦闘準備は整い侵入軍撃退の気勢をおさえがたい状態だった。
ナガスネヒコに反攻翻意の様子がないのを見てとったニギハヤヒは、ナガスネヒコを殺して、衆を率いて帰順した。神武はニギハヤヒが天から降(くだ)ってきたということを聞いた。
そして、天孫神武の正当なことを認めて帰順したのを褒めて優遇した。
これが物部氏の遠祖である。
※帰順=反逆の心を改めて、服従すること。
【まとめ】
お互いを疑っている。ともに天つ神の子と称して同族だったことを暗示している。
天つ神の子はたくさんいる。
天羽々矢と歩馭はどのようなものかは、別として、これを所有しているものは、同一文化系又は、同族を表している。
ニギハヤヒが物部氏の遠祖である。古事記の同じくだりは割愛しますが、ニギハヤヒが神宝を献上したとある。
これは、天孫族間では神宝献上はありえないので、別種別だといわんばかりの扱いである。
「旧事記」(先代旧事本紀)に不満を持つ物部氏が作為的に編纂したものされたり、斎部広成が編纂した「古語拾遺」とともに評判がよくない。
先代旧事本紀は、日本書紀の引用や天皇諡号を用いていることなどから後世の偽だとされ無視されてきたが、九世紀後半に成立したことは確かでなんの根拠もなく捏造されたものではなく古く飛鳥時代頃にあった物部氏の伝承を基礎にして物部氏の主張を訴える目的で八世紀後半に物部氏の手によって「記紀」や「古語拾遺」などを引用して書いたものと思われる。
他の史書には、見られない独自の伝承があるので、むしろ「日本書紀」は物部氏の持つ古伝承を材料にしたという論もあるくらいである。
日本の古代史を見る上でも再検討されるべきである。
とこの本の著者が言っている、偽書扱いされるものもあるが角度を変えると新しいものが発見されることもあるので、今後の研究にも期待したい・・・
私がもっと若ければと思うが・・・小学校からやり直ししなければ到底追いつかないでしょう。www
ブロ友の「維真尽さん」のお国「出雲」の出雲風土記はまだ勉強していないので、これから本を探して読みたいと思います。
まだ、この記事は続きますが、物部氏がニギハヤヒの始祖となれば、出雲についても非常に気になります。
ここで出てきたニギハヤヒですが・・・
饒速日命(にぎはやひのみこと)=大物主神(おおものぬし)=大己貴神(おおなむちのかみ)=大国主命=事代主(ことしろぬし)
呼び名は異なりますが、全部同一神だとも言われています。
この後も続きますが、ご了承下さい。
アラハバキが何物かを書いておきたいのです。
3話 出雲系トミ氏へ
ホームページ「あらはばき」にまとめています。 一部加筆訂正しております



























励まされて わたしも
近くの神社から 掘り下げて
考えてみたくなってきてます(^^)
友情出演願いました〜感謝 m(__)m
記紀 何冊か揃えてパラパラやってる段階です (泣
引き続き、期待!
物部の城跡と言われている場所について、先日、話を聞きました。
苦手な分野ですが、少しずつ勉強させて
頂きます。
本の引用でありますから、大したことは無いのですが、繋げるのに大変でした。
広辞苑・百科事典・古語辞典を引くと、意外と神様や。神話のことが書いてあるのに驚きました。
照らし合わせると、一般的な説明なので辞典に反論する形になってしまうことが多いですね。ww
突っ込まれると困りますので。ww
というか、古氏族は、渡来人がほとんどですので、中国・朝鮮から九州に渡来しそこに城を作ったと考えられます。
この地図は、アマテラスが伊勢に落ち着くまでの話なので、大和朝廷とは異なります。
伊勢神宮を宮廷外に作っていたわけですから、宮廷がどこにあったかはここでは書いていません。
物部氏は大和朝廷で活躍していますから、大和朝廷がどこにあったか?で話は変わるでしょう。
邪馬台国がどこにあったか?これが鍵ですかね。? 面白い!
自分でも、ふと気を抜くとわからなくなります。
出雲系の神が
三輪山に祭られています
この意味するところは? (^_-)〜☆
古事記では、オオクニヌシがパートナーのスクナヒコナを失って悲しんでいる時に、海の彼方から来たのが三輪山(日本書紀では三諸の山)に鎮まる神であるとしており、神の名は述べていないが三輪山の神とはオオモノヌシのことにほかならない。
しかも、そのすぐ後ろの下りでは、「故、其大年神・・・・」と、前を受けて書いているから、オオモノヌシが大年の神であることを意味する。
三輪の大神神社の祭神は、「天照国照彦火明櫛玉饒速日尊」のようです。ホアカリの自我書いてありますね。