癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

「パートで普通のお母さんが1部上場企業の女社長に」

2007年04月19日 18時16分35秒 | コラム

 

    ブックオフ社長 橋本真由美氏 ブックオフ社長    ブックオフ店舗の前で                
               橋本真由美氏

「次は橋本さんだ」と坂本が社内外で言っていることは、小耳に挟んでいた程度でした。
いくら言われても、私は本気にはしていなかったのです。坂本の下でここまで仕事をさせてもらってきたとはいえ、私は4年制大学を出ているわけでもなく、41歳にしてパートを皮切りに会社へ入った人間です。言うまでもなく、東証1部上場企業のトップは重責です。私のような人間に務まるわけはない。まさか私なんかが…。

 それでもあえて、いつ「社長」の座を意識したかと聞かれれば、京セラ創始者・稲盛和夫さんの主宰する「盛和塾」に坂本が出席した際の話をまた聞きしたときでした。稲盛塾長の前で「橋本を次の社長に考えている」と報告したそうなのです。私淑する稲盛会長に対して、坂本がまさか冗談を言うとも思えません。(ああ、坂本さんは本気なのかしら)私は初めて「社長」を意識しました。

     「オレが社長か、と思ったよ」

 それが2005年の年末のことでした。年が明けて2006年になると、今度は店舗会議の壇上で居並ぶ社員を前に、坂本は「次は橋本さんが社長になる」とマイクを通して言いました。4月には、弟の清水國明が経営している自然楽校のイベントに坂本が顔を出し、「こんど社長をお願いすることになったから」と國明に向かって言ったんです。國明は「オレにか、と思ったよ」(わが弟ながら、バカですね)と笑っていましたが、私のほうは笑いごとではありません。これは大変なことになったのだ、と身震いしました。

 社長交代を発表したのは、06年5月16日の役員会のあとでした。

 銀座で役員会をして、午後5時に東証にIR情報としてリリースを投げ込み、広報に「あす、少しは取材があるかもしれないから、白髪染めしておいてくださいね」と言われて、そうかそんなものかと…。

 その顛末が、連載冒頭での大騒動だったというわけです。

 ただ、実はあの瞬間、私は、ある意味で、社長就任以上に気がかりな問題に直面していました。社長就任の発表があった翌日の17日、私は、病院にとある検査の結果を聞きに行くことになっていたのです。

 それは、ガンの検査、でした 。

    社長就任、しかし、ガン?

 話は2週間前にさかのぼります。

 病院で定期健診を受けたとき、先生が首をかしげながら、大腸に「何かがある」ので、精密検査をしましょう、とおっしゃったのです。女医さんでした。何か安心できる表情や言葉が欲しくて、私は先生の顔を見つめ続けました。しかし、なぐさめられる表情は少しも浮かんでおらず、むしろ冷たさを感じました。

 青天の霹靂でした。
 ガン、かもしれない…。

 自覚症状は全くなかったし、もともと健康には自信のある方でした。それだけに、突然私を襲ったガンの恐怖は、まさに筆舌につくしがたいものでした。

 たしかにいまはさまざまなガンの治療法があり、早期であればかなりの確率で生き続けることもできるのでしょう。けれども、「何かがある」と言われて私の脳裏をよぎったのは、「死」への意識、そして恐怖でした。

 人は誰でもいつか死ぬ。
 そして、もしかしたら私は、思いもかけず近いうちに、死ぬのかもしれない。

 夫のこと、2人の娘のこと。姑のこと、私の両親のこと。そしてもちろんブックオフでのこの17年間に出会った、坂本をはじめとする仲間たちのこと。仕事を断念しなければならないかもしれない無念さ。

 私はこの世から、消えてしまうのだろうか。私は自分を取り巻く全ての人々に、永遠に、さよならを告げなければならないのか。

 絶望の淵に沈み込む日もあれば、いや、まだガンと決まったわけじゃないと無理に希望を抱こうとした日もありました。

 再検査の結果がでるのは、2週間後でした。あのじわじわと締めつけられるような恐怖をどう表現すればよいのか、語るにふさわしい言葉を今も持ち得ません。
入院することになるかもしれない。

そう思った私は、高級メーカーのピンクのパジャマを買いに行きました。お見舞いに人が大勢来てくれるだろうから、病床にあっても少しでも綺麗に見られたい、ととっさに考えたのです。人間、切羽詰ると、妙なことを考えるものなのですね。でも、一見馬鹿げた買い物でもして気を紛らわせないと、耐えられなかったのです。

ほったらかしにしていた押入れから、ひょっとしてまた袖を通すかもしれないととっておいた洋服などを捨てたりもしました。もしかして、娘たちが片付けることになったとき、少しでも負担を軽くしておきたかったからです。

 それから2週間、新聞を読んでも頭に入らないし、会社にいても、どこか上の空でした。社長就任直前の大切な時期だったのに。

     重い時間が流れる。坂本にも言えず…

 時間の長さとは、相対的なものなのだと思い知りました。元気なときの2週間と、命の長さの宣告を待つ身にとっての2週間とは、長さも重さも違っていた。とにかく、ゆっくり、いらいらするほどゆっくり、そして重たく時間が流れていくのです。

 坂本には思い切って話そうかどうか迷いました。もしガンだったら社長就任どころじゃありません。私の問題だけでは済まされない。

 ブックオフという企業を一瞬でもドタバタのうずに巻き込んでしまうのではないか。しかし、診断結果が出てきてからきちんと話そうと思い、結局言えないままずるずると日が過ぎてしまいました。

 社長発表のドタバタがあった翌日、私は1人で病院に向かい、検査結果を聞きに行きました。車のハンドルを握る手が重い。早く行かなくっちゃ。でも行きたくない。

 意を決して、病院の門をくぐり、順番を待って診察室に入ると、先生が診断画像を私に見えるように張り出して、ひとこと、仰いました。

 「大丈夫ですね」
 「冷たい先生」という印象が、結果が出るまではイージーな慰めの言葉は口にしないという、しっかりした頼れる先生という印象に変わりました。

 ああ。人生に「生き直す」という言葉が当てはまる状況があるとすれば、あのときの私のがそうでした。

      命、ふたたび

 命を再び授かった。
 偽りのない実感でした。診察室を出て、会計を済ませて病院を後にして、あの瞬間から私は、新たな力を与えられたのだと思います。

 命があるのだ。生きられるのだ。なんだってできる。なんだって、やらなければ。

 これまで辛い辛いと感じていたすべてのことが些事でした。私はたまたま「大丈夫ですね」とお医者様に言っていただけた。でも逆の結果を告げられて、真の絶望に突き落とされる人が世の中にはたくさんいる。だからこそ、私は自分の命に感謝して、与えられた役割に、持てるすべての力を注ぎ込むしかない。

 私は家に戻らず、そのまま古淵のブックオフ本部へ向かいました。車の窓を開け、初夏の緑の息吹を感じながら、私はアクセルをぐっと踏みました。

そして 。
 ブックオフの規模が大きくなった今、私たちがさらに成長するために、着手しなければならない重要な課題があります。

     出版業界と若い人たちへのメッセージ

 それは、ブックオフの商品である「本」の誕生に携わってくださる方々、出版社や著者の方々、新刊書店の方々といかにお付き合いをしていくか、という問題です。
私たちは、著者の方々、書籍出版社、そして新刊書店がなければ業態的に成立しません。ですから、共存の道を絶対に探らなければならない。

 もちろん私たちの会社だけの問題ではなく、中古書業界全体にも影響する複雑な問題です。

 どんな手法がベストなのか 時間がかかるとは思いますが、でも何らかの形で、出版業界全体の繁栄のために、方策を練りたい。企業としてのブックオフが社会へ果たす責任として、そのことには取り組んでいきたい。私はそう考えています。

 自分の歩んできた創業時代と今とでは、ブックオフという会社もブックオフを取り巻く社会状況も、大きく変わってきています。

 でも、私の中には頑として変わらない考えもあります。それは若者への見方です。

     ニートを救うのは、コミュニケーション

 今の若い人がダメだ、ニートやフリーターが増えて日本社会は弱体化していく、といった悲観論がバッコしていますが、私は断固として反対です。

 そんなことはありません。
 実際、ブックオフで元気に働いている社員やスタッフには、「オレ、昔ニートでした」「引きこもってました」という人がいます。「あら、あなたもそうなの」と取り立てて驚きもせず、私は、彼らの話を聞くことにしています。

 再三述べたことですが、自分を認めてくれる人がいる職場に出会えば、どんな若者だって、その人に喜んでもらいたいと思って、すごい力を発揮するものです。そうやって仕事の楽しさを体感すると、今度は自分が周囲の人の力を認め、新しくやってきた人を育てたいと思うものです。

 そのために必要なのは、コミュニケーションです。店で一緒に仕事をして、話して、おいしい物を食べて、居酒屋へ出かけてお酒を飲んで、共に時間を過ごすのです。彼らの仕事ぶりをほめてあげる。もちろん、間違っていたらちゃんと叱る。中身の伴うそんなコミュニケーションが取れていれば、元ニートだってフリーターだって、ちゃんと「仕事のできる人間」に変わっていくものなのです。

 心の扉をオンにする。人と人とのコミュニケーションがとれている時の状態を指す、私たちの言い方です。

 仕事には人間同士の摩擦がつきものです。

 壁にぶち当たるときは、大抵、心の扉がオフになっている。そんなとき人間は、他人の言うこと、することを否定しにかかっているのです。それに気づいて、まず店長が自分の心の扉をオンにする。スタッフさんに一声かける。相手を気遣って、先回りして動いてみる。

 その一言、その一歩で状況は開けてくるものです。

 今、自分で自分の心の扉を閉ざしている人に、私はそのことを伝えたい。

    普通の主婦は「お母さん社長」になった

 17年前の私だって、普通の専業主婦でした。まず「もう1回、働いてみようかな」と思って栄養士の仕事に応募したものの「定員オーバー、締め切りです」との電話を受け、次に出会ったのが「新規開店、スタッフ募集」を呼びかけるブックオフの新聞チラシでした。そして面接で出会ったのが、坂本だった。

 一歩を歩み出すと、その先にはいろんな可能性があなたを待っています。いろいろ文句を言う前に、まずは、心の扉を開いてみてほしい。私はそんなあなたを、いつも、応援するつもりです。

ブックオフの創業から17年かかわってきて、これからは、創業時代のようにただがむしゃらに働くことを当たり前と考える会社であってはならないと思っています。私と一緒に走り続けてきた人たちも、育児の問題、親の介護の問題や自分の健康の問題を抱える年齢になってきました。

 私は幸いにして、大賛成という立場ではなかったにせよ、夫や娘2人が影で支えてくれたので、ここまで走り続けることができました。でも、当初若かったスタッフさんも学校を卒業したばかりの若い社員も、30~40歳代になり、1人1人、いろんな事情を抱えています。私はどんな事情を抱える人も、ブックオフで働きたいと願うなら、それに答えられる組織をこれからは作っていくつもりです。出産と育児でいったん退職した人、介護で一度は会社を離れざるを得ない人が、望むならば再び復職できる会社にしたい。生活すべてを仕事に捧げるのではなく、きちんと休みを取って、家族と過ごしたり自分の体を休める時間を確保しながら、働ける会社にしたい。

 ブックオフの財産は、人です。ブックオフの強さは、人間力にあるのです。
 この原点を忘れずに、私は「会社の母」として、舵取りに全力を注ぎます。

                                           (終わり)

「パート出身の、東京証券取引所1部上場企業の社長が誕生」 。 売上高260億円(単体。2006年3月期)、古書チェーン業でシェア6割を誇るブックオフコーポレーション。同社の社長を務める橋本真由美氏は、41歳の時、主婦パートとしてブックオフ1号店で働き始めた。

        母さん頑張れと健闘を祈るのみ・努力は報われる 


2 コメント

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Unknown (ぶぶ子)
2007-04-21 19:36:42
以前、と言っても年数を考えるとフタ昔も前に、組合の先輩に「職場では、君の代わりはいるけど、家庭での代わりになる人はいないんだから」と諭された思い出があります。
とにかく、仕事第一で、家庭優先は遠慮すべきという頃でしたので自分でも無理をしていたと思います。
考え方を変えるだけで随分楽になり、先輩に感謝しました。女性が仕事を続ける事は、いつの時代も大変です。
皆さんにエールを贈りたいと思います
組織は! (kotuktu)
2007-04-21 22:10:24
ぶぶ子 様
同感です。自分は必要不可欠と思っていても、業務は一人欠けても順調に進むというのが組織ですね。
自分が居なければ・・などと考えないようになると一人前と言ったところでしょうネ。

運・不運・適職・上司・・・で変わる場合も一転する場合が有りますからね。無理しないで頑張ってください。

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