辻元氏は離党を決めた理由について「野党で批判や反対の急先鋒(きゅうせんぽう)にいたが、それだけでは日本を変えることはできない」と述べ、社民党にとどまっていては政策実現に限界があるとの認識を示した。
辻元氏が27日、大阪市で行った社民党離党表明会見の概要は次の通り。
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社民党に離党届を提出しました。まず始めに、初当選から「社民党の辻元」としてご支援いただいた皆様におわびを申し上げます。
苦渋の選択、非常につらい選択でした。かつて私も国会で「総理、総理」と批判の急先鋒(きゅうせんぽう)で活動してきました。
しかし一方、日本の政治状況は非常に危機的です。政権交代を逆戻りさせてはならない。批判だけでは日本を変えることはできない。(副大臣として)国交省で働く中で、いますぐ具体的に解決していく方向の政治を進めていきたい気持ちが強くなりました。
一番気になったのは沖縄のことです。基地問題に対する考え方はいささかも変わっていない。離党することで間違ったメッセージになったら困るので、一昨日に夜から沖縄に行き、帰って離党届を出しました。
――離党はいつから考えていたのですか。
参院選の前から考えてきた。地元の皆さんとも相談したが、一人で決めました。土井たか子さんは政治の母であり、お目にかかると決断が鈍る。本当につらくて、事前に相談できませんでした。
――福島瑞穂党首とは今朝どんな話を。
野党となった社民党は独自性を大切にして、反対、批判すべきはして、存在感を発揮して欲しいと申し上げた。しかし、私は(昨年の衆院選で)社民党だけでなく民主党、国民新党の協力で選ばれた小選挙区の出身だ。地元有権者は社民党の主張だけで私を選んだのではないと理解している。
社民党が独自性を発揮していくだけでは(自分の立場は)難しくなってきている、ということもお伝えした。 【asahicome】
11名の秘蔵っ子を失う事になった社民党が離党が確実となった。辻元氏とすれば与党の副大臣まで味わってしまった以上、チミチミした野党にいては政策は何も出来ないというより、充実感がなく悶々とした日々を送っていたのだろう・・・・・・・・・・・・・
与党の経験を味わってしまい、カネの回りからして野党に在籍する事がいかに馬鹿馬鹿しいかが分かった事が本音だろう・・・・去るもの追わず福島党首も覚悟する必要が あるのでは・・・・・
お立ち寄り有り難う御座います
本当ですね・同じ関西勢にエール
お立ち寄り有り難う御座います
TVの質問でも歯切れの悪いところが
見えますね
普天間等に疑問・異論を感じましたね
利己主義的面が現れてきましたね
議員とはこう言うものかと言うかと・・・
↑のコメント返事欄にて
「さん」の敬称が抜けてしまいました。
申し訳ございませんてした