∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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C-5 >鶴牧藩

2005-06-26 21:00:02 | C-5 >鶴牧水野



鶴牧藩
    千葉県市原市 椎津461番地     Visit :2005-06-07 13:10

鶴牧水野家は、忠増が信濃松本城主水野氏より分家したもので、文政十年(1827)五月十九日、安房北条藩主三代水野忠韶(ただてる)が、上総市原・望陀(君津市)二郡に移封され、上総市原郡椎津村に城地として一万七千坪を賜り陣屋を建設し、城主格であったため新陣屋を鶴牧城と称し、鶴牧藩を立藩した。地名としては椎津であり、鶴牧という地名は無いが、鶴牧藩と名付けたのは、水野氏の江戸屋敷(別邸)が早稲田鶴巻町(現 東京都新宿区)にあった事に由来すると言われている。藩庁は現在の市原市立姉崎小学校の敷地内にあり、裏門を入ったところに記念碑が建てられている。
市原教育委員会「市原のあゆみ」によると、水野忠韶の養子で、出羽庄内第七代藩主酒井忠徳(ただあり)の二男忠実(ただみつ)は、善政をしき名君として家臣から大変尊敬をうけおり、天保三年(1832)には領主の転封を聞いた村人が、転封反対の村騒動を起こすなど、領民からも慕われていた。その子当藩三代の忠順(ただより)は、藩士たちに文武両道を諭し、藩校の「修来館」を開き、内容に不満をもっていた『史記評林』の改訂を、三十年にも及ぶ歳月と巨額な藩費を投入し、『鶴牧版史記評林』として明治二年(1869)に発刊した。また、明治政府は正貨鋳造を行ったがその品質が悪く、諸藩もこれに倣い悪質な貨幣が市場に出回り、外国貿易の決済に多く用いられていた。これを憂いた忠順は外国貿易に関する建言を行った。
鶴巻水野家は、忠韶(ただてる)、忠実(ただみつ)忠順(ただより)と3代45年間続き、この間、学問の振興に力をいれるなどの仁政を敷いたが、明治の廃藩置県を迎え廃藩となった。


☆旅硯青鷺日記
 当藩跡地は、姉崎小学校の敷地内にあり、記念碑も裏門から伺えるが、昨今の諸事情により、正門から事務所に入り、案内を請うて敷地内で撮影した。案内の教師は最近転勤してきたとかで、碑の所在すら知らなかった。二宮金次郎石像の西にある石碑には「史記評林改訂 鶴牧藩修来館 云々」と陰刻されている。また裏門直ぐ左手の植えこみには、白くペンキが塗られた標識には「史跡 鶴牧城跡」と書かれていたが、禿かかっていた。こちらの方が、史跡としては分かり易いが、忠順公に敬意を表し石像と石碑の方の写真を掲載した。

 当藩二代で養子の、出羽庄内藩主酒井忠徳の二男忠実(ただみつ)公および三代忠順(ただより)公は、水野氏とは血縁関係がなさそうであるが、藩主の鑑ともいえる仁政に興味を覚え、この「みちのく採訪一人旅」の後半に、出身地である「鶴岡(庄内)藩」と支藩(分知)の「松山(松嶺)藩」を表敬訪問した。鶴岡市立図書館から頂いた資料によると、忠実の実父酒井忠徳は、当地の度重なる不作・凶作などにより財政が逼迫したが、天明三、四年(1783-1784)の飢饉には備荒籾(凶作・災害に対し準備をしておく籾)の放出、施し粥をもって領民を救済したり、文化二年(1805)には、藩校「致道館」を開講した。また文武両道に勝れていたと伝えられている。二代忠実公および三代忠順公の明君ぶりは、この酒井家の血筋の良さ故であろうか。

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解説:史記評林(しきひょうりん)

 「史記」は前漢の宣帝の時代(前90年頃)司馬遷によって書かれた中国最初の体系的な歴史書。(黄帝をはじめとする五帝から夏・殷・周の三代、秦、前漢の武帝までの歴史を書いた通史。) その構成は本記(国の興亡、皇帝の事蹟)、世家(諸侯の国の歴史)、列伝(個人の伝記)にわかれ合計130巻から成り立つ。
 史記の注釈書には宋時代の「史記集解」、唐時代の「史記索隠」「史記正義」等があるが、特に有名なのが明の時代に凌稚隆が書いた「史記評林」である。
 これはそれまでの多くの評論を集めた、明時代までの「史記」研究の集大成というべきもので、日本にも伝来して史記の定本とされてきた。
     参考文献 市原市教育委員会 「市原のあゆみ」


鶴牧藩江戸上屋敷


鶴牧藩江戸江戸屋敷(別邸)


小河水野系図
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