∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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C-6 >「水野監物関連古文書の一般公開」

2005-12-01 14:02:56 | C-6 >常滑水野

 

<お知らせ>

 「第三代常滑城主水野監物守隆に、織田信長と徳川家康が宛てた古文書」の一般公開

 11月15日、常滑水野家の嫡流にあたる水野さと子さんから、常滑市に寄贈された「第三代常滑城主水野監物守隆に織田信長と徳川家康があてた古文書」二十通が、12月10日(土)~1月22日(日)まで、下記の要領で一般公開されています。【終了しました】

 ▼場所 「常滑市民俗資料館」  愛知県常滑市瀬木町4丁目203番地

   Tel 0569-34-5290   fax 0569-34-6979

  http://www.city.tokoname.aichi.jp/Files/1/4015/html/Siryokan.htm

▼展示場所 「第六回収蔵品 真焼朱泥火鉢 展」の中の「特別展示室」

▼展示予定目録 信長からの書状    10通

   家康からの書状                  1通

   水野家の家系図など文書             9点

▼公開期間 12月10日(土)から1月22日(日)まで

▼入場料  無料

▼交 通 名鉄常滑駅下車、知多半田行きバス乗車。常滑東口バス停下車、徒歩7分。 

車で、国道247号線新瀬木橋東信号交差点から3分。

▼開 館 午前9時より午後4時30分まで

▼休館日 月曜日と毎月の第4火曜日(両日とも祝日のときは翌日休み)。 12月28日から1月4日まで

  この展示会については、先頃Iwarehikoさんが、マイ・ブログの記事「常滑城址(とこなめじょうし)新訂版」のコメント欄に書き込み、および転載してくださった中日新聞の記事を読み、「市は年内にも一般公開するとともに、文化財指定に向けた手続きを進める。」とのことであったので、常滑市役所に照会すると、上記の詳細が判明したのでお知らせします。Iwarehikoさんに改めて謝意を表します。 以下は、Iwarehikoさんが転載してくださった記事を、再転載します。

  「信長と家康の古文書を常滑市に寄贈 【愛知県】

  戦国時代の3代常滑城主、水野監物に織田信長と徳川家康があてた古文書が15日、水野家の嫡流にあたる水野さと子さん(71)=西春町弥勒寺=から、常滑市に寄贈された。伊勢湾の魚などの贈り物を受けての礼状で、西春町の文化財にも指定されていた貴重な資料。400数十年ぶりの常滑への里帰りに、市は年内にも一般公開するとともに、文化財指定に向けた手続きを進める。 (朝田 憲祐)

 監物は、信長方の武将として活躍したが、本能寺の変で明智光秀につき、常滑城を追われた。慶長3(1598)年の死後、水野家はいったん途絶えたが、その後、養子が跡を継いだ。 養子から数えて14代目にあたる、さと子さんの夫、滋さんが今年3月に77歳で死去。西春町は「古文書は、監物ゆかりの常滑で保管した方が価値がある」とのさと子さんの意向を受け、文化財指定を解除。常滑市に寄贈されることになった。 信長の書状は10通。いずれも天正5(1577)年ごろに書かれた黒印状で、5、6行程度の短い手紙だが、「このわたやタイを頂きありがとう」「鯨肉を頂きありがとう」などといった内容で、監物のこまやかな心遣いに対し、信長が感謝の気持ちを記している。 書状の最後は「あなたが来られた時に詳しい話をする」「持ち場の警護を油断しないように」と締めくくられている。 家康の書状は1通で、天正7年6月に、京都で家康方の陣を守っていた監物に出されたものとされる。「見事なお香と鉄砲の火薬をありがとう」との内容となっている。 水野家では、これらの書状を大切に保管。滋さんの父、銕太郎さん(故人)が戦前に旧満州(中国東北部)に渡る際にも持参し、戦後の帰国時には紛失しないよう、リュックの肩ひもの中に縫いつけて持ち帰ったという。 さと子さんは、石橋誠晃市長に書状を手渡すと「やっと肩の荷が下りた。(保管を)よろしくお願いします」と笑顔。石橋市長は「長く大切に保管するとともに、市民の皆さんに常滑の歴史の一端を見てもらうようにしたい」と話した。 さと子さんは、水野家の家系図など文書9点も市に寄贈した。

                  (中日新聞) - 11月16日11時43分更新

 

 

▼追記 ◎水野家系図では水野家三代の後を継いだのは八郎右衛門保雅で元和年中(1615--1624)に、尾張初代藩主 徳川義直に召し出だされ、御馬廻組を命じられ、2百石をあたえられた。その後も尾張藩士として水野家は代々続いている。

 ●「萬年山 總心寺」に詳細を掲載しました。 http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/f6b3ce5d4cd95bcae4576049f1845c4a

 ●徳川家康と知多半島(その10:柴船に乗った権現) http://mori-chan.cocolog-nifty.com/kojyo/2006/01/post_95c3.html

●中山氏系圖 http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/9bfe2db20cd67dc990da08d0b5e1a20c

●小川水野氏系譜 http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/694986f5283c9212e7114538de019f95

●「水野監物関連古文書の一般公開」その2 [New]

http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/0a800628d769823de1b3ddd432456c18


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7 コメント

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Unknown (Iwarehiko)
2005-12-04 19:35:49
多少なりともお役に立てたとしたらウレシク思います。

ところで養子となった水野彦三郎の子孫も幕臣だったのでしょうか?それともどこかの藩士として江戸時代を過ごしたのでしょうか?

今回寄贈された水野系図の詳細を知りたいですねえ・・。

水野家の家系図など文書 (∞ヘロン)
2005-12-05 01:09:40
Iwarehikoさん、その後も気にかけていただいて、どうもありがとうございました。



信長からの書状       10通

家康からの書状        1通

については、その写真の写しを持っていますが、

「水野家の家系図など文書」とは、いったいどういう内容か、私も興味津々なのです。『新訂寛政重修諸家譜』にも、こちらの系図は散見されないことから、この展示会を楽しみにしています。これからも続きを書いていきますので、どうかよろしくお願いいたします。
12月京都講演会 (佐々木哲)
2005-12-05 11:37:05
12月京都講演会についてコメント頂きありがとうございました。日時会場が決まりましたので、お知らせの記事をブログ佐々木哲学校に掲載いたしました。また講演会の記事についてトラック・バックできるように設定いたしましたので、今後とも宜しくお願い致します。



http://blog.sasakitoru.com/200512/article_6.html
水野監物関連古文書展 (∞ヘロン)
2005-12-11 00:28:47
「常滑市民俗資料館」からメールでお知らせいただきましたので、記事に下記のよう追記しました。詳細については、また後日ご報告いたします。





▼追記

◎水野家系図では水野家三代の後を継いだのは八郎右衛門保雅で元和年中に徳川義直に召し出だされ、御馬廻組を命じられ、2百石をあたえられた。その後も尾張藩士として水野家は代々続いている。

尾張藩士 (Iwarehiko)
2005-12-12 00:39:10
常滑水野の末流が尾張藩士となったのであれば、

士林泝に系譜が載っているのですかね。

古文書展 (∞ヘロン)
2005-12-15 10:12:22
 Iwarehikoさん、いつも書き込みありがとうございましす。お返事が遅れましたが、昨日14日に古文書展に行ってきました。これから資料の整理に入りますので、詳細は今暫くおまちくださいね。
12月京都講演会 (∞ヘロン)
2005-12-15 10:18:37
佐々木哲さん、「12月京都講演会」が近づいてきましたのでご準備が大変だろうとお察しいたします。

そんな中、先日は、貴ブログで質問しましたところ、実に迅速丁寧なご教授をいだたきありがとうございました。お陰様で金吾のことが解りました。



 末筆ながら、貴講演会のご成功をお祈りいたしております。

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