闘病記(脳梗塞・脳動脈瘤)

今から11年前の31歳の時に、脳梗塞を発病し、それ以後、3回の脳梗塞と脳動脈瘤を併発。それでも1日も諦めなかった。

妻の日記Ⅲ 上山先生との出会い

2008-12-09 07:07:22 | Weblog
 2005年    平成17年11月~12月  ①

 上山先生にお会いした時、失礼ですけど、(組の親分、勝新見たい!)が第一印象でした。でもお話をしていると、第一印象とは全く違う気さくでとても面白い先生で、それでいて、腕があって自分に自信があるから、あんな事言えるんだな!と思いました。今まで色々な病院で診て貰い、Drにお会いしてきましたが、あんな先生は初めてでした。ほんとビックリしました。と同時に、何で旭川なの?東京にはあんな先生何処にもいないよ!だって、「助かりたいなら、私の手術を受けなさい」ですよ!医師がここまで言いきれる何て。凄い事ですよ!へたすれば、訴訟問題になりかねないですからね!私は、この言葉を聞いた時、上山先生だったら、絶対、主人を助けてくれる。と確信しました。
今まで待った甲斐がありました。破裂する前に先生に出会えて本当に良かったね。
上山先生に全てお任せしたいと思いました。そして、旭川へ旅立つ日が来ました。
主人は、初めての北海道です。
折角、北海道へ来るのに、それも手術でなんて、ちょっと可哀想でした。
それも、冬の北海道ほんとだったら観光で美味しいものとか食べられるのにね~今度来る時は、色んな所観光して、美味しいもの食べに行こうね!と約束して、病院へと向かいました。手術日までは1週間以上あったので、本人も暇をもて余していました。でも、同じ病室の方とお友達になり、話相手ができたようでしたので、結構時間の経つのが早かったと、思います。同室のおじいちゃん、“西尾一さん”には本当にお世話になりました。
他にも、私達が東京から来た。と言うと、回りの方が“わざわざ東京から?それは大変だね~”と皆さん声を揃えて言います。
そのたびに、皆さんがとても親切にしてくれて、主人も私も旭川には全く知り合いが居なかったので、精神的にも本当に助かりました。皆様には改めて感謝致します。ありがとうございました。 そして、11月24日。手術日です。 
朝、8時に母と病院へ迎いました。
主人は、前夜は、ばっちり寝られた。と笑顔で言っていたので安心しました。
しかし、いきなり泣き出すので、どうしたの?と聞くと、“西尾さんと昨日色々話して手術の不安を聞いて貰って、うれしくて、その時の事を思い出しちゃっ・・・“ 号泣しちゃったの!ですって。
主人は本当にうれしかったんだと思います。
そして、気持ちを落着かせ、ピースで手術室へと向かって行きました。
看護師さんから、手術は24時間掛かるかも?知れない。と言われていたので、長跳馬になる事を覚悟していました。そして、21時過ぎに「今、手術が終りましたので、MRIを撮って戻ってきます」と連絡があり、ほっとしたのと同時に、予定より早く終ったので、少し不安を感じました。“もしかしたら、何かあったのかも?でも上山先生を100%信じていたので、大丈夫!大丈夫”と心に言い聞かせました。そして、宏ちゃんが4~5人の若い先生と一緒に戻って来ました。頭には管があり、口からは、酸素マスクが出ていました。生々しい姿ではありましたが、「良く頑張ったね!」と何度も褒めてあげました。それから、上山先生と瀧澤先生が戻られ、お話を伺いました。
上山先生の表情は険しく、何を言われるのかとても不安でしたが、先生は、「手術は100%成功しました。後遺症も無く、脳梗塞にもなっておりません。」その言葉を聞いた時、「よかった~本当によかった~上山先生には命を助けて頂きました。ありがとうございました。」母と安心しました。
ただ、開けて見たら、40代の血管とは思えないですね!今までに何回も脳梗塞を起し、動脈瘤になった原因が解れば、僕はノーベル賞もんですよ!血管がかなり弱っているので、これからも注意は必要になる、と思います。と上山先生はおっしゃられました。
これから、色んな面で気をつけなくてはいけないな~と思いましたが、結果、手術は大成功。恐れていた、脳梗塞にもならなかったので、ほんとによかったです。
上山先生!!他主人の手術に関わって下さった先生方、看護士さん。本当にありがとうございました。

  手術は大成功しました。 
  しかし、術後に予期せぬ事が起こるのです 

  この続きは、またあした   
  




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