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ただ単なる個人の読書備忘録
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『死んだら、あかん!』 北野 誠 著

2009-04-16 23:51:59 | 人生
 今回は例外的にブックレビュー外とさせていただく。

 私は北野誠のファンでもなんでもない。芸人とかテレビタレントというのは、良くも悪くもテレビの向こうの顔で、実際の人物とは同一でないと、ちょっと冷めたスタンスで見ている。

 ただ、今回の北野事件は一芸能ニュースとしてだけでなく、多少なりとも文章表現の世界に身を置いている私にとって看過できない問題に思えたので、この場を借りてペンを執らせてもらう。

 現時点(4月16日23時)でわかっていることは、北野誠は担当する深夜番組やイベントで失言をし、その結果、失言をしたと言われている深夜ラジオは打ち切られ、そのほかの番組からも降ろされ、無期謹慎処分となった。芸能界では薬物使用や傷害致死など、これまでさまざまな事件があったが、失言でここまでの処遇というのは聞いたことがない。というより、これだけネットなどが発達している今日においても昨日(15日)の時点で、何がそれほどまでの致命的な失言だったのかも明らかになっていない。

 そして、今回の問題の深刻性は、北野誠が担当しているすべての番組を降板させられるなどのことは新聞等で伝えられているのに、テレビの芸能ニュースなどでは(番組欄を見る限り)まったく扱っていないということだ。いつもなら芸能レポーターが先を争って報道する場面のずなのに。(それだけでなく、私の使っているブログのキーワードランキングに「ざこば」がランクインしているのに「北野誠」がランクインしていないのは明らかに不自然だし、ヤフーブログのキーワードの推移で見てみても「北野誠」は14日を境に急激に下降している。これは明らかに不自然である)

 今回の事件を見ていると、芸能界のスキャンダル暴露だとか写真週刊誌のスクープというのは「三位一体の法則」で成り立っていることがよくよくわかる。つまり、「スクープされる側」も「プライバシーの侵害」などと言いながら「スクープする側」「読者(視聴者)」と一体化し、それを宣伝(商売)に利用して成立しているのである。

 しかし、今回、北野誠は暴露してはいけない真実を暴露してしまったようだ。闇の世界を目の当たりにして、放送局も、タレント仲間も、芸能レポーターも、局アナも、北野誠を置き去りにしてしまっている。これでは「学校でイジメを見たら、見てみぬふりをするな」なんていうキャンペーンはマスコミにはできない。

 北野誠のしゃべりすぎ(名誉毀損)を指摘する声もあるが、芸人の言っていることなど良くも悪くも5割引で聞いていればいいはずだ。どんなにしゃべりすぎたとしても今回の彼に対するペナルティーは余りに不当で、まさに流行の単語の「パワーハラスメント」そのものだ。

 放送局の人間も、アナウンサー、レポーター、タレント仲間も、緘口令が出たら、それに従うだけなのか?

 小泉郵政改革などの時に公表されるべき事実がまったくニュースにならなかったが、今回の北野誠騒動は、大手マスコミというのは所詮、権力側の太鼓持ちであることを誰にでもわかるような形で浮き彫りにした。
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『世界屠畜紀行』 内澤旬子 著 (解放出版社)

2007-09-18 23:18:32 | 人生
 私は年に1度くらいだが熊料理を食する。食堂のオヤジが自らライフル(散弾ではない)で射止めた熊を。熊の掌などという高級部位にはありつけるわけがなく、私の口に入るのは単なる熊ステーキ。私は野生動物の肉が結構好きで、鹿、ウサギ、トナカイなど、美味しいと思うが、臭くて食べれないという人も少なくない。それはともかく、野生動物を射止めた、食ったと言うと、「残酷」と眉をひそめる人もいる。それもスキヤキやトンカツを食う人たちがだ。

 私の価値観では、野生の熊は人里に近づかなければ(人に見つからなければ)人間に食べられることなく過ごすことができる。しかし、牛や豚は、人間に食べられるために繁殖させられ、99.99%殺される。種牛になれば天寿を全うできるかと思っていたら、種牛なんて生殖能力がなくなれば即つぶされて終わり。臭くて食えないからだ。私は、和牛産地として有名な地域に多くの友人を持っているが、それでも屠殺に立ち会ったことのある友人は1人しかいない。畜産関係の商品を年中納入している友人ですら屠殺の現場を見たことはないという。その友人から牛を屠殺する方法を聞いた。農業用拳銃というもので牛の頭を撃ち、次の作業に手際よく移るため、痙攣する巨体を鎮めるために、頭部に電動ドリルを突っ込み脳を攪拌し絶命させるという。また、それまで「屠殺する」という言葉しかしらなかった私にとって、その友人の「つぶす」という言葉は衝撃的だった。また、食肉処理場は非公開だと思い込んでいたことや、ワードで「屠(ほふ)る」は変換されても「屠殺」や「屠畜」は変換されないことにも強い違和感を覚えていた。

 多くの日本人が、多くの食肉を消費するのに、その生産工程を知らないというのは、あまりに不自然ではないだろうかと前々から感じていたが、この個人的な思いをさらなるものにしたのは、友人がモンゴルを訪ね草原の人たちに歓迎された時に、ヤギを1頭料理してもらったそうだが、その儀式的な屠殺を見て、残酷ではなかったという話や、ヤギの臓器を手に取り嬉しそうにしている若いモンゴル人の女の子の写真を見せてもらった時だ。大量に繁殖させられ、工場で大量に殺される動物のことを思うと、動物愛護主義者でもベジタリアンでもないが、食肉の生産工程を知らずに肉を食べているということが「不自然」という以上に「卑怯」にすら感じてきた。

 そんな思いを延々と引きずっていた時に出会ったのが、この『世界屠畜紀行』である。著者が日本と8か国の屠畜現場を自費で取材して回った記録である。巧みなイラストで屠畜・解体・調理などの場面も描かれている。(臭いが実感できないところが残念)。最初に驚いたのは、私のように「肉を食べているから屠畜の現場も知るべきだ」と考えている人は極めて少数派(5%程度)でないだろうかという話。そういえば屠畜現場を知りたいと言ったとき「見ない方がいい」「見たら食べられなくなる」と言われたなぁ。

 この本を読んで確信できたことは、食肉は罪悪でもなんでもないということ。沖縄の方が言った「食べるために生きている」という一文。考えてみれば、プランクトンからクジラまで食べるために生きているのだ。そして、それは自然な連鎖を意味している。動物にとってはヨボヨボになって息絶えるよりも、ほかの生命体に食べられた方が、結果は幸せなのかもしれない。死んで、火葬され、骨壷に入れられ、自然界の連鎖から外れてしまうより。

しばしば、民家の近くに出没し捕獲されたツキノワグマを薬殺処理するニュースを耳にするが、薬殺処理は絶対に間違っている。山に戻さないのであれば、胃袋に入れて成仏させるべきなのだ。ただ、動物を食べることは罪悪ではないと思うが、家畜を生命と考えずにモノと考え扱うことは、天にツバしているようである意味コワイ。

 私にとっては食肉を考えるだけにとどまらず、自らの「生」をも考える1冊になった大作。手元にあるのは初版。テレビで紹介されてたようで良く売れているらしいが、良く売れているといっても3万部(2007年10月末)。これだけの大作を、調べ、書き上げ、ヒットして印税660万円かと思うと、ライターの仕事は楽じゃないな。  

(個人的評価:★★★★★)
(おすすめ度:これこそが「本」!)
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『日本でいちばん小さな出版社』 佃由美子 著 (晶文社)

2007-05-27 01:33:23 | メディア
 たま~にしかアップしないが、たま~にしか読書をしていないわけではない。
 面白い本でも備忘録を書くには至らないこともあれば、備忘録をアップしたいがために読み直した本もある。
 今回の作品は最初から備忘録を書くつもりで紐解いた。
 書店で注文して本を取り寄せることはまずない。ネット書店も使わない。欲しい本がある時には気長に書店巡りをする。音楽では初回特典が欲しくて予約することもたま~にあるが、予約したら安心して取りに行くのは発売2か月後なんてのもざらだ。今回の『日本でいちばん小さな出版社』は、生まれて初めて朝起きて一番に高揚とした気持ちで書店に走った本である。

 そもそもネットサーフィンをしていて見つけた「出版屋の仕事」というブログの書籍化。ブログから書籍化された作品を何作か立ち読みしたことがあるものの、ブログを紙の上に印字製本し直しただけのような安直なものが多く、1分くらいでKOの判定。しかし、今回はサイのマークの「晶文社」からの作品。期待は高まる。

 ブログ「出版屋の仕事」を斜め読みしていた人間にとっては、それなりに楽しい内容だった。
 この出版社が他の零細出版と著しく異なる点は、書籍は取次(とりつぎ)という卸売ルートを利用して書店に本を供給するのだが、この取次口座開設がなかなか大変なようで、出版社出身でも元ライターでもないという人間が出版社を始め、トーハン・日販という2大取次の口座を持つというから休眠口座の譲渡を受けたのか、廃業直前の出版社の口座を買収したのかと思っていたら、友人ハッタリ君の指南で2大取次といきなり新規口座開設したということ。これは特筆に値することである。ただ注意しなければならないのは、ネット上には零細出版社の奮戦記がいくつかある。「ひとり出版社」というのは数多く存在するようで、資本金からしてもこの出版社が「日本でいちばん小さな出版社」というのは正確でない。著者は、相場で儲け、高級車に乗り、文章も書け、イラストも描け、コンピューターも自在に操れ、余裕を持って出版業を楽しんでいるので、ほかの零細出版社にみられるような切羽詰った試行錯誤や追い詰められたストーリーはない。ほかの零細出版の奮戦記を読んでいる限り、この本を出版社開業の参考書にすると過ちを犯してしまうような気がする。

 晶文社の作品なのでブログを移植しただけの書籍ではないものの、実践的内容より徒然的表現が多く感じられた。特に、出版界に興味津々の読者にとって肝心なシステムの話などにおいては、著者の推測で書かれ、著者の推測のまま、あるいは「わからない」で終わってしまっている箇所がいくつかあり、読んでいて消化不良を起こしてしまった。本の内容上、営業部も初期の編集に参加させ、欄外注釈なども用いて、もう一歩踏み込んだものにしてほしかった。

 それにしても、サイのマークの本を買ったのは久しぶりだが、なんか「情報センター出版局」の『気分はダボダボ出版社』的テイストに感じたのは私だけだろうか?


(個人的評価:★★★)
(おすすめ度:ネット上での複数の零細出版社の奮戦記を並行して読むべし)
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『ベラボーな生活』 玄侑宗久 著 (朝日新聞社)

2006-08-18 23:16:50 | 人生
 最近、周囲に鬱を患っている人が多い。告白を受けた人だけでもそれなりにいるわけだから、実際はもっと多いのだろう。

 知り合って20年になる後輩Aは誰もが知っている優良企業に勤め年収も私の3倍以上はある羨ましい身分。先日、そんなAから電話で泣きながら鬱とアルコール依存症であることの告白を受けた。何年か前は飲んで上司や私の友人にまで悪態をついても、私にそれをすることはなかった。しかし、近年、飲むと私にも悪態をつくようになっていた。告白を受ける一週間ほど前にはトンデモナイ失礼なメールを夜中にいただいたりもした。

 彼から精神状態を告白された時「会社で挨拶しても一人の女子社員に徹底的に無視されることが大きなストレスになっていて、どうしたら良いのでしょうか?」と相談された。その時、玄侑宗久氏が書いた「挨拶の力」というエッセイを思い出した。

 著者の玄侑宗久氏は東北の禅寺の現役副住職。数年前に芥川賞を受賞。この作品は京都天龍寺僧堂で修行していた若き日の話をユーモラスに描いた結構軽めのエッセイである。どのくらい軽いかといえば内藤良くらいの軽さである。(わかるかな~? わかんね~だろ~な~)。しかし、ところどころに目からウロコのような、人生観変わっちゃうよというくらいの話が載っている。「挨拶の力」もそのひとつ。

 修行道場の管長さんが毎朝散歩する時、挨拶するも3年間無視し続けた老人がいた。管長さんは、その老人に立腹するわけでもなく、説教するわけでもなく、自然体で挨拶し続けたようだ。そして3年経ったある日‥‥。

 私はAにも、挨拶を無視し続ける女子社員に対して、立腹するのでもなく、説教するのでもなく、嫌味でもなく、自然体で挨拶し続けることを勧めた。そして、結果が出るとか出ないとかも気にしないようにと。また、規則正しい生活を送った方が精神的には良いので、会社は辞めないようにと進言した。電話を切った後、書店に急ぎ宅急便でも2日かかるところに住んでいるAに同書を送った。

 Aは学生時代、近所の禅寺に下宿していた。私は当時悩み多き青年で、たまに早朝座りに行っていたことがきっかけで知り合ったのだ。Aがどの程度の期間で鬱から脱することができるか私にはわからないが、本書が彼にとって福音の書になればと心から願っている。


(おすすめ度:ネタバレ書評? とんでもない。奥は深いのであとは書店でど~ぞ)
(個人的評価:★★★★)
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『いつかモイカ河の橋の上で』 中野吉宏 著 (第三書館)

2006-06-16 22:53:37 | 
 副題は「会社を休んで59日間 地球一周」とある。

 大学を出てフリーターをしながらお金を貯め小さな会社をつくった30代後半の男。一生懸命働くものの不景気も手伝い気持ちは空回り。ちょっとした出来事がきっかけとなり、突然、仕事を放り出し、大学時代以来2回目の海外旅行に出る。出発は大阪港からフェリーで上海へ。そこから鉄路シベリアを経由しロンドン。さらにアメリカも東海岸から西海岸まで大陸横断鉄道で移動し、成田へ。仕上げは「ムーンライトながら」だ。

 道程も、日々、仕事に追われるサラリーマンにとっては魅力的だが、旅先での多くの人との出会い、特に1982年のレニングラードと2000年のサンクトペテルブルグ・ニューヨークの時間と距離が点から線になる部分ははフィクションではと思わせるくらいドラマチックだ。93章のドラマと93枚の写真がページ見開きで再現される。文章は全章一定の文字数でリズミカルにまとめられている。美しい風景写真も素敵だが、その瞬間だけを見事にとらえた人々の笑顔は、読むものをストーリーの中に引き込んでしまう体感型の本。

 192ページで3150円と価格は高めであるが、読み始めるとそれも納得。非常に良質な紙を使いカラー印刷もしっかりしている。テンポの良い読みやすい文章は、人によっては、物足りなさに感じるかも。この本を読むと「明日はどうにかなるもの」という勇気さえ与えられる。


(個人的評価:★★★★)
(おすすめ度:これから旅に出てみようという人はもちろん、なかなか旅に出られないという人にも)
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『チルソクの夏』 佐々部清 脚本 橋口いくよ ノベライズ (幻冬舎)

2006-06-15 21:41:11 | 青春

 出張先でクタクタになってホテルに戻り、テレビのスイッチを入れた。
 いきなり中国地方(広島・山口・島根石見)と思われる言葉が飛び出してきた。ローカル番組でなく映画のようである。しばらく見ていると萩か長府のような武家屋敷のシーンが展開。時代設定は、どうやら私の高校時代と重複するようだ。中学生の頃、NHKで夕方放送していた「少年少女ドラマシリーズ」のような内容で、途中からストーリーもわからないまま珍しくテレビに見入ってしまった。

 この映画のタイトルは『チルソクの夏』というもの。1977年7月7日、韓国釜山で行われた関釜陸上親善競技会に出場した下関の高校2年の女の子が、韓国の男の子に出会い、恋をし、翌年の下関大会での再会を誓うという、淡い恋物語。
 「チルソク」とは韓国語で「七夕」のこと。

 私は、翌日、さっそく、この本を求めて、仕事の合い間に山口市にある大きな書店に出かけた。しかし、在庫はなかった。ネットで見ても中古本はあるものの、どこのネット書店も「品切れ、重版未定」となっている。となると、余計に読みたくなってしまい、版元の営業部に電話し、どうにか1冊GETした。
 ただ、版元の営業部の若い女性担当者に「2004年4月の作品なのに品切れ重版未定ですか?」と私が尋ねると、「もう2年も前の作品ですから……」。
 現在の出版状況をとても端的に表している一言でした。

 本そのものの読後感想は、コバルト文庫や秋元文庫を思い出させる甘酸っぱい感じ。今の中・高校生が読んで、どう感じるか気になるところ。あまり安っぽい雑誌・テレビ・エロビデオに洗脳され、10代の大切なものを見失わないでほしいなぁ、こういう甘酸っぱい時間を経験してもらいたいなぁ、と思わせる作品でした。

 仕事場でバイトしている大学生の女の子が、たまたま長府の出身なので、この本の感想を聞いてみようと思っています。

(個人的評価:★★★)
(おすすめ度:中・高校生必読! パパやママの高校時代の恋愛はこういうものだったのだ!)

 

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『さよならを教えて』 藤岡亜弥 著 (発行:ビジュアルアーツ 発売:リコシェ)

2005-08-23 00:37:38 | 写真集

 本とは意外な出会い方をするものである。

 この本とは仕事の帰りの新幹線の中で出会った。

 新幹線の中で発売していたわけではない。隣の座席の人が読んでいたわけでもない。
 実は、隣の人が読んでいた「朝日新聞」の日曜の書評に掲載されていたのだ。
 書名はかの有名なフランソワーズ・アルディのシャンソンと同一である。 私は目が悪いので、隣の人の書評を読むなんてことはできない。しかし、書評に載っている鮮明ではない白黒写真は、なぜか強く私を呼ぶのである。

  駅で降りるとすぐに、書評を読むために朝日新聞を購入してみた。まず、「えっ」と思ったのは、日曜日の書評欄の書評なのにもかかわらず作品の問い合わせ電話番号が掲載されているのである。実は、この写真集、自費出版のようだ。(リコシェという販売会社を経由しているので書店でも購入できる)。落ち着いて書評に目を通してみるが、読者の購買心理をくすぐるような絶妙な文章なのだ。

  私はすぐに注文した!

 本は、いかにもアートといった装丁である。1枚1枚の写真そのもののレベルは、あまり高いものには思えないが、処理やレイアウトすると、写真集として不思議なトーンを放つものに仕上がっている。今でもたまに本棚から取り出してページをめくってみることがある。感動系でも、癒し系でもない。やはり不思議なトーンを放ち続けている。

 不思議な出会いをした1冊だったが、これだけでは終わらなかった。

 朝日新聞の日曜日の書評に掲載されるということは、著作者にとっても発行元出版社にとっても一種のステータスである。
 現に本著は朝日新聞の書評のおかげでそれなりに売れているようである。 しかし、インターネットで検索してみると、著者以外に2人の名前がクレジットされていたのである。(本書奥付にも2人の名前はたしかにクレジットされている)。その中の1人が実は、朝日の書評を書いた評者なのである。

 これって反則じゃないかな? 朝日新聞さん!

(個人的評価:★★★)
(おすすめ度:写真というものとアートというものの違いを知ることのできる1冊)

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『流学日記』 岩本悠 著 (文芸社)

2005-08-07 06:59:46 | 

 インターネットでこの本の存在を知った。

 タイトルもなかなか惹かれるネーミング。表紙のデザインも良さそうだ。「ここに書いてあるものはすべてタカラモノようなものです。」と帯にある椎名誠の文句もインパクトがある。原稿を二十数社に持ち込んだもののダメで200万円借金して2000部自費出版したというパワー、インターネット上のレビューでの★5つ連発にも興味をそそられた。

 1万部以上売れているらしいが、1か月以上、いろいろな書店を回ったがなかなか在庫がなかった。 インターネットで本を取り寄せようかと思った矢先、近所の書店で在庫を見つけ購入した。

 自費出版本なので編集という作業はされていないようだ。242ページの本だが、「神の下ではみな平等」「踊るインド人」など一部に読みどころはあったものの、ほかはどうしようもないような文章が続く。きちんと編集すれば、32ページくらいの本にしかならないのではないだろうか? というより、こんなに世界を自由に回って、この程度の内容しか書けないのだろうかと情けなくなってしまうわけだ。(濃厚な旅をしたことが必ずしも文章化につながるとは思わないが、濃厚な旅をしたのなら、こんな文章は書くべきではないと思った)。第一、椎名誠に帯を書いてもらえるようなコネがあったのなら、自費出版する前に、椎名誠に文章を見てもらうべきだったたと思うし、内容が良ければ「情報センター出版局」あたりからでも出版できたただろう。

 作品全体(本文+著者の写真+経歴)を見て、「ドラッグや万引き窃盗に手を染め、自己正当化して生きてきた」著者のことが、たとえ過去の話であっても許せなく思える内容なのだ。さらに不快感に油を注いだのは★5つのレビューに見られる賛辞である。どう考えてオール★5に近い状態は組織票的なもので、もっと★1といった評価があってもまったく不思議でない出来である。


 椎名誠が書いた本書の帯「タカラモノ」は「宝物」ではなく「多空モノ」の諧謔的表現ではないかと、今になって思ってしまうのだ。 それに、880円の本を2000部つくって、どうして200万円もの費用がかかるのだろうか?

(個人的評価:★)
(おすすめ度:著者の笑顔が素敵だと思う人は、まず立ち読みから)

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『大黒屋光太夫』(上・下) 吉村昭 著 (新潮文庫版)

2005-08-05 00:13:20 | 
 この物語は、18世紀後半、三重県白子の船乗り大黒屋光太夫たちが嵐に遭いカムチャツカ沖の島に漂着してから、帰国するまでの10年間を描いた実話である。

 私は20年ほど前に井上靖の『おろしや国粋夢譚』を読んだことがあるので、話の流れは知っていた。それでも、2年ほど前に毎日新聞の書評で本書『大黒屋光太夫』が大きく取り上げられているのを見た時に「書店に行かなければ!」と思ったほど、大黒屋光太夫は私の人生において興味のある人物なのである。
 その書評は切り抜いたものの、時間はズルズルと流れてしまった。この2年間、巨大書店では、『大黒屋光太夫』に偶然出会うこともなかった。 しかし、出張先で目を通していた新聞に文庫本の広告が出ていたので、仕事が終わると書店に急行した。店員の話によると、その日、大量に売れたらしく上巻が最後の1冊。下巻は売り切れていた。

 本書を手にした時の第一印象。活字がデカイ。活字がデカイので2巻で600ページだが量も気にならなかった。
 読み始めてからの第一印象は、艶話が目立った。最初、少し抵抗があったが、事実に基づくようなので結果的には楽しめた。機会があれば、本書の参考文献にあたる『極珍書』という書も見てみたいが、こういう思いが湧いてくると、古文の時間に怠けていた自分が悔しい。
 とにかく、井上靖の『おろしや国粋夢譚』とは結末が違うので、それだけでも一読の価値はある。私自身、これを機会に『おろしや国粋譚』を再購入し、読み比べてみようという気になった。

 ロシアのエルミタージュ美術館の奥深くに、大黒屋光太夫が置き土産にしたと思われる「根付」が展示してある。大黒屋光太夫の名前は記されていなかったと思うが「白子」か「津」の地名が記されていた覚えがある。興味のある方はぜひ。(常時公開されていますが、団体旅行では、この展示場所まで足を運ばないと思う)

 ところで、インターネット上のレビューを見ていると、この話を安易に「北朝鮮の拉致問題」と同一視しようとするものや、ロシア人の親切さに懐疑的な見解を投げかけるものを見たが、かわいそうな人たちである。 一度、言葉の通じないところを旅して、人の優しさに触れてみるべきだと思った。


(個人的評価:★★★★)
(おすすめ度:『おろしや国粋夢譚』の結末がイヤだったという人はぜひぜひ)

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『伝えたい言葉』 写真作家たつろう 著  (新風舎) 

2005-07-23 17:53:44 | 写真集

「ひど~い!」
「ひどすぎます!」
 今流行の写真の上にナルシスト系ポエムを書き込んだものの集大成。2100円(税別)なのに写真の発色がメチャクチャ悪い。反射原稿を使用(詩を書き込んだ写真そのものをスキャンした)のではないだろうか? 字も個性より小学生の文集を彷彿させるし、写真に記されているサインなど小学生の落書きレベルだ。そして、ペンネームがすごい。「写真作家たつろう」。自らのことを「写真作家」と呼んでしまっているが、ペンネームとWEBのハンドルネームを勘違いしているのではないだろうか? 本を制作する時に、編集者は、写真原稿の扱い方、ペンネームのつけ方などでアドバイスしなかったのだろうか?

 それでも「蓼食う虫も好き好き」とは言ったものだ。路上販売をしている彼にはファンも多いらしく、掲示板には「感動した!」なんて書き込みも目立つ。私の感性の方が経年劣化してしまっただけなのではと不安に駆られ、仕事関係の本好き20代女性に、この本を貸してあげた。
 「自己完結型の人って好きじゃないんです」。
 本を返してもらう時の彼女の一言で、なんかホッとした。

 ところで、どうしてこのようなダボ~ンがエルミタージュ図書館に存在するのか? それをここに書くと著者が寝込んでしまいそうなので、やめておく。

(個人的評価:-)
(おすすめ度:宝くじで5億当たった時に購入してください!)

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日本の島ガイド『シマダス』 財団法人 日本離島センター 編 (日本離島センター刊)

2005-07-17 23:22:23 | 

 南西諸島はもちろんのこと、尖閣諸島、竹島、軍艦島、南鳥島(気象庁・海上自衛隊・海上保安庁の職員のみの15人の島)、孀婦岩(見たことないだろ~。私は見たことあるけど)、臥蛇島まで、有人無人、日本にあるすべての島を網羅している書。
 【所在地】【面積】【周囲】【標高】【世帯数】【人口】【年齢比率】【産業】【来島者数】【交通機関】から【窓口】まで。地図の記載も多い。私の所有しているものは1998年版1152ページで2800円(税別)。しばらく改訂版が出ていなかったが、2004年7月、『シマダス第2版』(1327ページ 税込3150円)が出た。
 地図や時刻表で「旅」することのできる人には必携の1冊!


(個人的評価:★★★★★)
(おすすめ度:地図や時刻表を見て、旅することができる人には一生モノです!)

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『南京事件「証拠写真」を検証する』 東中野修道 小林進 福永慎次郎 共著 (草思社)

2005-07-05 23:58:36 | 戦争

 たしかに「ある意味で」面白い本だった。これまで見てきた中国での戦争中の写真が本物であるか否か?

  しかし、 写真に関しては、ありとあらゆる角度から疑問符を投げかける著者だが、日本軍にとって都合の良い写真や、従軍記者や日本軍大尉などの発言に対しては何の疑問も感じず鵜呑みである。

 南京での「合法的処刑」については著者は本書で認めている。ジュネーブ条約やバーグ陸戦法規などを挙げているが、当時の関係者や一歩兵がそういった法を熟知・遵守していたのだろうか? 現在のようにマスコミが発達していてもイラクでは捕虜に対する不適切な行為が行われているのだ。また、そういった戦争法を知っていたなら、第二次世界大戦末期に多くの日本兵や一般人が自決的行為を行わなくても済んだはずである。

 埋葬した遺体は15000体であるということも著者は本書で認めている。また、虐殺かどうかは別として、中国での戦闘行為の死者についても否定していないが、他人の土地に上がりこみ武力を行使すると、その正当性・合法性が当時どういったものであろうが禍根を残すことは明白である。

 たしかに著者が主張するように、何枚かの写真は、南京大虐殺や日本軍の残虐行為とは無縁のものもあるかもしれない。しかし、中国で日本軍が行ってきたことは、加害者側の告白からもわかるし、虐殺の数の多少はあるかもしれないが、否定できない事実だろう。ちょっと洞察してみればわかることではないか? 治安が良いといわれている今日の日本でも、日々、尋常でない事件・陰湿な事件が起こっている。「スーフリ」のような鬼畜の所業もあるわけだ。鬼畜の所業までは行かなくとも、性欲をコントロールしきれない男は五万とおり、アジア諸国で女を買ったことを自慢するバカもいまだに少なくない。学校ではイジメがあっても中に入って止めることのできる人間は少ない。当時は人権意識も今日ほど高くなく、「チャンコロ」などという蔑称が当たり前に使われていた時代だ。現在でも、近隣諸国の人たちに対する差別意識や偏見・無知は多々存在する。そんなことなどから考えると戦時下の中国で、日本人がそれなりのことをしてきたことは容易に想像がつくはずだ。

 もう少し私なりに逆に疑問符を投げかけてみよう。「日本軍は代価を払って鶏を買った」とあるが、日常でも汚い上下関係がある場合、「よこせ!」という奴や、買うといって品物を受け取った後、金を払わない奴も多々いるではないか?  また、中国人の臓器試食について、著者は「そんな残酷な行為をする習慣があっただろうか?」と記しているが、戦争末期、撃墜したB29搭乗員らを生体実験し、医者が臓器を自慢げに喰ったというレポートを読んだことがある。

 私は、虐殺の数が、30万人だったのか、3万人だったのか、3千人だったのかは、わからない。しかし、30万なら大虐殺で、3千人なら大虐殺でない、なんてことはないはずだ。
 「南京事件は歪曲」と簡単に言い切る若者が増えていることは、戦争体験の第三世代への伝承がいかに難しいかを物語っているようで、とても残念だ。


(個人的評価:★★)
(おすすめ度:一読の価値くらいはある)

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