おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

美味求真の男たち 末日の昼 松阪牛のすき焼き 

2017-02-22 | Weblog
美味求真の食べ納めの地は三重県松阪市である。市の名前より、牛の名前で有名だ。松阪牛。と言えば、「和田金」となる。地方ののどかさを感じさせる小ぶりの商店が道路沿いに連なる中に、ひときわ高いビルがランドマークみたいにそびえ立っている。5階建てのホテルを思わせる佇まいである。屋上には和田金の文字が入った看板があり、遠方からでもはっきりと分かる。それを目にしたら「あっ、ここだ、ここだ。和田金だよ」。われら食道楽4人衆のような遠来の客たちはそんな思いをして、この看板とビルを眺めたのではないだろうか。ビル全体が鈍い金色っぽい色合いをしており、なにやら金満な雰囲気が漂う。入り口の両開きの自動ドアを入ると、ホテルのロビー風の広々とした空間が現れる。女性スタッフが靴を脱いでスリッパに履き替えるよう案内している。わたしたちを担当する和服姿の仲居が先導し、エレベーターに乗せ、予約してあった個室まで同行し、部屋の入り口の襖を開けてくれた。和室に椅子席が用意され、食卓の中央部に炭と五徳が準備万端で据え置かれ、松阪牛を焼くための火が起こされるのを待っていた。

和田金をはじめ、界隈で松阪牛を出す店での食事体験が豊富な食道楽の名古屋人がお品書きを見ながら、お薦めを選んで注文をする。すき焼き単品4人前に野菜を4人前である。品数が多くなるコース料理やステーキなどとの組み合わせではなく、単品の注文に徹することがお代の高騰を回避し、しかもすき焼きに1点集中することで松阪牛の味わいの奥義に迫り、食後の印象も上々との判断である。腹いっぱい食べるのではなく、腹6分で抑えるところが食道楽の節度であり、品格に磨きをかけることになる。和田金のブランドに呑みこまれて気分が高揚、食欲の放縦に任せて呑み食いすると、高額のお代を見て驚くことになるようだ。

仲居がすべて眼の前で料理をしてくれる。すき焼きを、和田金では寿き焼きと表記している。炭火が起こされると、1人前でリブロース2枚・130グラムが4人分、大皿に載って運ばれて来た。リブロース1枚で大人の手の平を広げたほどの大きさである。野菜はタマネギや豆腐、和田金の店名が入った焼き麩、笠の上に紅葉葉の形の切り込みを入れたシイタケなどだ。黒光りした南部鉄の鍋が五徳に置かれ炭火で温められていく。牛脂の塊が鍋の底で溶けだす。まずは赤身と脂身が入り混じった肉切れ2枚が置かれた。すかさず白砂糖がけっこう多めにふり掛けられ、肉片が真っ白に覆われる。これには一同、驚きの表情となる。心の中で一斉に思ったことは「血糖値が急上昇しちゃうなあ」「甘すぎないか」「大量の白砂糖は体によくないんじゃないの」。この後、たまり醤油をそそいで味付けとなる。肉の旨みと砂糖、醤油が評判の味わいを創り出す。

「はい、どうぞ」。生卵を溶いた小鉢に仲居が頃合いを見て鍋から肉切れを菜箸で取り出して入れてくれる。「いただきます」。見た目同様においしい味わいである。同じ要領で煮えた野菜が小鉢に入れられる。肉切れは1人前2枚だから、残り1枚が順次、鍋で焼かれていく。2枚目を食すための小鉢と生卵が用意されている。1枚の肉に1個の生卵を使う。リブロース2枚130グラムをぺろりと平らげる。やや物足りなさを感じるような量でとどめる。食欲を野放し、放し飼いにしない。美味しいものの極みを少なめに味わうだけでいい。量の少なさを補うのはわたしたち気の合う仲間の談論風発のやり取りである。和田金に出向いたというだけで、食欲は半分ほど既に満足しているもんだ。

和田金の玄関を出て、わたしたちは帰路に就くため名古屋に向かう。風光明媚の地を訪ね、美味求真巡りをし、食卓を囲んで過去、現在、未来を語り、四方山話で笑いあった。旨いものを長く食べ続けるために、わたしたちは腹6分という少々ストイックな食道楽哲学を実践していくことだろう。帰宅して和田金のすき焼きを思い返している際に、父親がすき焼きをつくってくれたことがよみがえってきた。大きな鍋の底に牛の脂身を溶かし、牛肉を入れ、砂糖と醤油をたっぷりとそそぎ、野菜を放り込んでいた。和田金と同じように、溶き卵を小鉢に入れて牛肉に絡めて頬張った。そんな光景が少年時代から壮年時代を通じて何回も、何十回もあった。父親は故人となったが、あのすき焼きの旨さは忘れられない。和田金のすき焼きよりおいしかった気がする。家庭のほのぼのとした味わいがすき焼きの中に沁み込んでいたからだ。親の愛情がそそがれた料理に勝るものは、世界中のどこの食べ物屋を探しても、多分ないだろうから。
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2 コメント

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Unknown (SNです。)
2017-02-23 22:18:08
お見事!読み応え120%!さすがですなあ!
Unknown (nazo)
2017-02-24 22:18:07
貴殿が構想した行程と厳選したお店、K氏が持ち込んだ車両の機動力が愉快な旅の成功につながりました。ご苦労さん。

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