おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

昔の光今いずこ 神戸異人館

2013-07-19 | Weblog
神戸・北野界隈の異人館を巡りながら、ふと頭をよぎる歌詞があった。

春高楼の花の宴

めぐる盃 影差して

千代の松ヶ枝分けいでし

昔の光今いずこ


主が姿を消した異人館というものは、抜け殻が持つ寂しさが漂う。家具や調度品が置かれてあっても、その後の変遷で室内の一角がお土産品売り場になっていても、案内人がいても、主のいない喪失感を埋め合わせることはできない。



昭和30年代の北野界隈の異人館。



神戸の異人館のフラッグシップ的存在とも言える風見鶏の館。明治38(1905)年、ドイツ人貿易商が住居として建てた。主人の妻と娘の肖像写真が室内に飾ってあった。一家がドイツに一時帰国した直後に第1次世界大戦が勃発、敵国となった一家は日本へ戻ることができなくなった。日本生まれで当時14歳だった娘エルゼが風見鶏の家を再び訪れたのは昭和54(1979)年。神戸市の招きによって、故郷と呼ぶ日本の地を踏んだ。エルゼは80歳になっていた。



夏の暑い日差しを浴びる萌黄の館。明治時代のアメリカ総領事の住まいだった。煉瓦の煙突、ガラスの出窓、横板を張った外壁。軒先がつくる陰影さえも洋館の魅力となっている。



2階のベランダもガラス窓で覆われている。晴れた日はもちろん、雨の日も風の日も、そして夏でも冬でもベランダの内側から神戸の街を一望できた。居ながらにして周りの景色を愉しむ。これぞ豊かな日常と言うべきものだろう。



うろこの家の外観。外壁に張られた天然スレートが魚の鱗のように見えるのが名前の由来。右側の塔屋がある館が本体。左側の塔屋がある部分は新設の美術館。長崎、横浜の洋館巡りをした経験から言えば、外装だけで観光客を引き付ける洋館としては日本で1番かもしれない。これだけの外装に負けない中身にするには美術品を展示する館を併設するしかないと後代の誰かが考えたのだろうか。その名もうろこ美術館。なぜか現代ロシア絵画などが展示してあった。1階、2階、3階と上がっていく中で、わたしにとってまたとない掘り出し物に巡り会えた。




                
わお、その1! 熊谷守一が描いた裸婦。しかもトイレの入口前の壁に架かっている!



              
わお、その2! マチスの油絵! 居並ぶ絵画の列の中で唐突に出くわした。


                
わお、その3! アンドリュー・ワイエスの作品じゃないか! 題名は階段。どういう経過でここにある?


お気に入りの画家の作品に出会えただけでも異人館巡りの甲斐があったというものだ。これら3点と神戸とがまったく結びつかないのだが、現実にそこに在るという不思議さに心地よい目まいがしてくる。


うろこ美術館3階の展望窓から神戸のビル街を眺める。眼下に夏草が生い茂った風景が広がっている。炎天を跳ね返すような濃い緑色の草草が生命力を溢れさせている。ダイダイ色の花を付けたカンナも青草に混じって群生している。雑草地に面した民家の生垣の隅でシェパードが暑さにへばって横になっている。目の前に広がる夏の盛りの迫力ある光景。それは今そこにある現実だった。
      

            
うろこ美術館の隣の風景。これぞ神戸の今だ! 暑くて、生命力に満ちた夏じゃないか。どんな異人館も、さきほど見たマチスや熊谷守一、ワイエスの作品でさえも、これほど濃厚で荒荒しい生にはかなわない。





















コメント    この記事についてブログを書く
« 神戸カレイドスコープ | トップ | メリケンパークに始まり、メ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事