おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

2017年の3日間 三日目

2017-01-03 | Weblog
大安 かのえ とら 九紫

おせち料理の旬も3日まで。元日、二日目と各人の箸につまみ取られ、縁起物として胃袋の中に消えていった料理の数々。重箱に残された最後の縁起物とブランチで対面、一品一品を味わいながら、残り物に福ありと過信しながら3が日にわたる重箱料理に終止符を打つ。食後感を綴る。それぞれの縁起物の「いわれ」はネット上で流布しているものである。

黒豆 いわれ:邪気払い、まめに働くで勤勉を願う

小指の先っちょほどの大きさのものがたくさん残っていた。艶のある黒光りした表面を見る。引き締まったタンパク質と、高級感と深みのある黒色がいい。ひとつ、ふたつ、みっつと箸で丁寧につまんで口元へ。やや甘さ控えめの味わいが印象に残る。

白花豆 いわれ:黒豆と同じく、まめに働く

親指大で、上品な色合いがいい。甘煮でいくらでもいけそうだが、5個ほどしか残っていなかった。1個ずつ味わいながら頂く。

数の子 いわれ:ニシンの腹子、卵の数がぎっしりと多く子孫繁栄を願う

魚の卵の味わいにも好き嫌いがある。めんたいこの「にゅちゃっ」としたのが、うまい魚卵のスタンダードとなっている。数の子は色合いは品のいい薄めの黄金色でいいが、歯ごたえの「ぽりぽりっ」とした感覚がどうにもなじめない。正月のおせち料理の王様みたいにしているが、個人的には親指の先っぽほどの大きさのを1つ頂くだけで十分。

いくら いわれ:数の子の子孫繁栄と同じ

なぜか、たっぷりと残っている。痛風の元であることは十分知っている。だから日頃は控えている。正月は禁を堂々と破る。匙ですくう。口の中に入ると同時に舌が武者震いしているのが分かる。ぷち、ぷち、ぬるっ、ぬるっ。バブル、マハラジャ、お立ち台、酔狂乱舞の味わい。痛風なんか、どんと来い! 食べている数分間だけ、1年で最も強気になれる。

田づくり いわれ:片口イワシの稚魚を干して飴炊き、農作物の肥料として片口イワシを使い、田畑が豊作になったことから五穀豊穣を願う

甘いものが好きだった小さい頃の思いは少年、青年、壮年を過ぎてもそれほど変わらない。食べやすい小魚も好きだし、これに甘さが絡まっていれば、箸の動きを止めることはできない。

叩き牛蒡 いわれ:ゴボウは地中深くに根が入り込むことから、家の基礎が堅牢であることを願う

牛蒡もちは甘さがあって、ねばねばしていて好きなのだが、叩き牛蒡の歯ごたえ感が良くない。「さくりさくり」とした感じがどうもしっくりこない。「さくりさくり」は「さくっさくっ」の切れのいい歯ごたえがないことを言う、個人的な表現である。

紅白かまぼこ いわれ:紅白でおめでたさを表現、赤は魔除け、白は清浄を意味する

幼少時からこれまで、いろんな機会や場で目にしただけに新鮮度、期待度は最後尾集団に位置する。味わいも紅白の色合いもマンネリ感があるが、正月の縁起物ゆえ残り物4切れを完食。味わいは可でも不可でもない。紅白の色合いがありながら、縁起物として極めて透明な存在である。

伊達巻き いわれ:形が巻物に似ているため、知識が増えることを願う

わたしには巻物よりカタツムリの殻に見える。大きなカタツムリ。個人的には伊達巻きの形をしたカスタードプリンが好み。

栗きんとん いわれ:漢字で栗金団、黄金にたとえて金運を呼ぶとか

ねっとり感に甘さが加わっているから好物の1つである。箸を匙に代えて、しっかり丁寧にペースト状になった金運を舌でこねくり回す。

紅白なます いわれ:水引をかたどっている、平安や平和を願う。

取り立てて感想はないので、箸でごっそりとつまんで口中へ。象牙色の歯で完膚なきまでに噛み砕く。

鯛の姿焼き いわれ:「めでたい」の語呂合わせ、恵比寿様が手に持つ魚

前日までにSOLD OUT。中身がない四角の仕切りの枠だけがあるのみ。

鰤の照り焼き いわれ:イワシは出世魚、立身出世を願う

小さな切り身1枚だけが残っていた。取り立てて美味しい感じはしなかったが、縁起物ゆえ胃袋へ送り届ける。

車海老艶煮 いわれ:長寿を願う

鯛の姿焼きと同じくSOLD OUT。姿、形と味わいを想像するしかない。

昆布巻き いわれ:「こぶ」は「よろこぶ」に通ずる

なぜか、けっこう残っていた。こぶりでぱくぱくと各人の箸につままれて残り少なくなっていてもおかしくないのだが。個人的に昆布は好きなので残り全てをたいらげる。

筑前煮 いわれ:穴にちなみ先の見通しがいいというレンコン、小芋をたくさんつけ子孫繁栄となるサトイモなどで末長い幸福を願う

花の形に切り込まれた小さなニンジン片1個が残っていた。他は食べ尽くされたみたいだ。何かを砕き、潰し、呑みこんだなという印象。味わいの印象もほとんどなし。


これだけの縁起物を年の初めに食した。全身隅々まで縁起物だらけである。効能書き通りかは生きていく中で答えが出るだろう。数の子・いくらをしっかり食べた結果、双子、三つ子が立て続けに生まれて金策に走ることになったり、鰤の照り焼きを何個も食べたのに万年係長のままということもあろう。その時は願いとは違った縁起の世界に入ったんだなと自己を見つめよう。新年におせち料理に箸をつけることが出来ただけでも、いい縁起の始まりなんだから。

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