おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

在家禅僧東洲斎太右衛門色暦日記秘話推敲前断章

2017-06-14 | Weblog
眠りから覚めて目を開けると、そこは色が溢れる世界だった。白い天井、茶色の木目調の壁、パステルカラーの青色のシーツ、黄、青、緑、白のストライプの枕カバー、寝床脇にあるコーヒーテーブルの群青色の天板に乗った黒色のトランジスタラジオ、白いレースのカーテン。外を見ると、東の空は朝焼けで燃え上がるような赤に染まっている。東洲斎の1日は色のない闇の世界から色彩だらけの時間と空間で誕生し、寝床を起点に屋内外のあちこちへ移動を繰り返して、その日が終わる頃には再び寝床に戻って来て、昨夜と同じように目を閉じて闇の世界へ帰っていく。これを1年365日繰り返し、2年が過ぎ、そのうち10年が過ぎ、ふと気付けば還暦、古希、喜寿、米寿、卒寿を生きながらえてきた。

全身から絞り出す鳴き声と初初しい肌に包まれた赤子時代から、加齢で足腰が弱った老残の身となった今日までの成果を振り返ってみると、年を重ねたものの、すべては集まり散じてしまうばかりだった。経歴や肩書を寿ぐのは実は自分1人だというのがしみじみ分かり、他人はせいぜい3分間ほど関心を持てば後は他の話題へと移っていく。資産の王様である現金は入っては消えていった。不動産も3代でゼロになってしまうという税制ゆえに一炊の夢の御殿領土みたいなものである。頑健を自認していた健康や体力も青年期をピークに下り坂に入って、血液が固まるのを防ぐバイアスピリンをはじめ各種お薬のお世話になっている。バイアスピリンは、死ぬ1日前まで常用してくださいねと医者に言われてから飲んでいるものの、明日死ぬと分かったら、1日前に飲むのをやめていいのではないかと思って、医者にそう言ってみると、それじゃ死ぬ2日前まで常用してくださいと言われた。2日前に死ぬと分かったら飲まなくても、と言おうと思ったが、医者と千日手の禅問答となるので、医者の言う通りに素直に飲み続けることにした。

たくさんの本を読んだ。大半は内容を忘れてしまった。時代の旬の人たちの講演会にも出掛けた。でも話の内容はきれいさっぱり記憶が飛んでしまっている。けっこう旅にも出掛けた。訪れた都市名は出るものの、たしか行ったよなあ、といった程度の思いしか出てこない。いろんな食べ物を頂いたが、これもまた、これが1番というのを思いだすのができないほどに忘れてしまっている。最後の晩餐には何を?などといった質問があったりするが、あつあつご飯の上に掛けた生卵とか、永谷園の梅茶漬け、吉野家の牛丼、神戸牛のフィレステーキ160グラムなどと答えられる方には呆れられるかもしれないが、冷蔵庫にある残り物で十分です、というのが答えとなる。その最後の晩餐でおいしい緑茶でも出ようものなら、こんなにおいしいんだったら、明日の晩餐でも飲ませてくれないかと言い出しそうだ。そうなれば、明日で最後、明日で最後と駄々をこねて長生きを続けてしまうな。お願いだから来年の新茶の時期まで生かしてくれないかと頑迷、わがままを絵に描いたような終末期老人となること間違いなしだ。周りへの迷惑をまったく顧みないモンスターオールドマンだな。末期になるとね、人は食べること以外、関心はなくなるのさ。とにかく生き続けるというのが本能となるんだ。とにかく、というのがミソだな。別の言い方をすれば、とにかく、というのが生きる理由なんだよ。

ご飯以外は何もしたくない、何も関心がない身であっても、思いだしてちょっぴり愉しいのは異性の存在だね。母親から生まれ、近所の小娘たちと遊び、女子児童たちと集団登下校し、フォークダンスで手を触れ合って顔を赤らめ、女子中学生からラブレターをもらい、マドンナの女子高生を遠くから眺め、大学生になって初めて交際というものを体験し、社会人になって縁あって結ばれ、子どもが生まれ、生活と育児のために働き、子どもの巣立ち、夫婦2人きりになったら連れは天国へ。そして今、自炊孤食の日々となっている。おんなたちの存在がわが人生に彩りを添えていること、そのことを覚醒することが流れ去っていった人生の要所に咲いた桜色の花々というものだ。昼間は淡く、儚げで、優しい桜色が、夜ともなると妖しげで、艶やかな、官能を帯びた色合いへと豹変する。毎日のめしと愛の思い出があれば、人生十分ではないか。

白黒の水墨画の世界なんて現実にはありえないのだよ。開眼すれば世界は色合いに満ちた、極彩の絵筆で描かれた世界が広がっている。あえて悟らない、ということを悟ったのだ。禅の公案にある婆子焼庵みたいに、性愛は哲学の大事なテーマなのだ。あなたが出会うおんなたちこそ人生の公案そのものだ。いくつかある答えの中から選んだあなたの決断こそが、老残の身となったときに浮かんでくる桜色の思い出となる。それは淡くもあり、切なくもある色合いだ。
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