おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

新緑に染まりし我が頬をそっと撫づ

2017-04-23 | Weblog
どっしりと円座に腰かけ、さては物思いでもと大脳が働いた際、頭の右手側にある窓ガラスが緑色に染まっていた。?を想う前に窓を右手で開けると、新緑がいっぱいの世界が広がっていた。黄金週間の到来を前にわが庭は新緑週間に入っていた。用をそこそこに済ませて、スマホを持参して窓越しに新緑の歓喜の様を捉えた。



南天の老木である。黒っぽく見えるのは先輩の緑葉たちだ。寒い冬を乗り越えた貫禄の緑色である。春になって新参ものの若葉たちは軽やかに舞い、踊り、飛び跳ね、群れている。見ているだけで、こちらも緑の季節ならではの浮き浮きとした心持ちになってくる。手洗いを飛び出して戸外に出よう!

春の朝の陽光に照らされて、木々の新緑たちが青空に映えて輝いている。新陳代謝、世代交代、古い老葉よ、さようなら。新しい緑の葉よ、こんにちは。その初々しさと若さ漲る色合い、嗚呼、後生畏るべし。



枝を伸ばし、葉先を広げ、空に向かって飛翔しようかという新緑の勢いである。

春夏秋冬の日ざらし、雨ざらしにも負けず、木枯らしに耐え抜き、氷点下で食いしばり、剪定という人間の美意識による一方的な刈り込みにもめげず、生き続けるための艱難辛苦を乗り越えて、新緑たちは樹木のあちこちから一斉に芽吹きの雄叫びを上げ続ける。



樹齢を重ねた太い幹から伸びる力強い枝ぶりに群がるように芽吹く新緑たち。その様は新しい生の産卵場のようでもある。見ているうちに少しずつ血が沸き、肉が躍りだしてくる。木の芽どきに人はしばしば小躍りしたくなる。その理由が分かってきた。この世に生まれ出でて躍動する新緑に人は感化されるのだ。

芸術は爆発だ! ならば新緑も爆発だ! 芸術も新緑もドドーンと音をたてず、人を殺傷したりはしない。実に平和的な爆発だ。



手前で噴水のように爆発をしているのは楓。後列左手で立ち会い役を務めるのは椿の古木、後列右は脇役の椎の木。椿は花の木という自尊があって新緑を即座に芽吹かせてはしゃいだりはしない。椎の木は椿ほどはお高くとまっていないので新緑を頭に頂いて楓を盛り上げる。

多くの樹木が新緑を迎える前に花盛りの時期を終えて、葉なしの曲がりくねった枝だけの骸骨姿だった枝垂れ梅も周りの新緑の勢いに誘われるように芽吹きだした。小さな命を振り回す大車輪のような景観である。



見ようによっては、薙刀、弓矢が入り混じった合戦場の場景である。相手を威嚇するウオーという武者たちの野太い声が聞こえそうだ。血しぶきの代わりに緑のしぶきが宙に飛び散る。

正統があれば異端あり。大勢が徒党を組んで左に進めば、右に進む独立独歩がいる。みなが皆、新緑で春本番を浮かれ騒ぐならば、こちとら意表を突いて秋を思わせる色合いでお出ましとなる。それがこちらだ。



場違いだ、季節を間違えている、秋になって出てこい、色を緑に変えろ! そんな遠吠えなんか気にしないのさ。青空に映えるのは俺様だと言わんばかりの濃い赤い色。新緑を真っ青にし騒然とさせるのは出猩々(デショウジョウ)モミジ。新緑の季節を過ぎると周りに合わせて緑色の葉になり、秋になると鮮やかな赤色の葉に変身する。なかなか手の込んだ芸達者なモミジなんだな。他とは違うよという個性をあざといほどに発揮する、このモミジ、わが身を見るようで個人的には好きなんだな。九州弁で言えば、のぼせんもんだね。

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